③危険な遊び
「転校生?このクラスに?」
「いや、ここじゃない特別クラスの方だって。今みんなその話で持ちきりだよ」
教室での休み時間。アンドレアが次の教科の教科書に目を通していると、ルイスが話しかけてきた。
「……それって。珍しいことなの?」
夏期休暇明けから学園に入ったアンドレアは、学園の常識には疎い。生徒の出入りはそんなに話題になるのかと素朴な疑問を持った。
「退学するやつはいるにはいるけど、入学は審査があって人数も限られているし、よほどの人物でないと途中入学はないよ」
「なるほど、じゃあ入ってくるのは、どこかの国の大物ってわけだ」
「そう。で、みんな予想している」
もともと、国の関係については、本で読んだくらいの知識しかなく、どの国にどんな王族がいるかなどというのは、アンドレアにはよく分からない。
「うー……ん、まぁ関わることもないだろうし。どうでもいい。それより、俺は今は剣闘大会のことで頭がいっぱいだ」
先月行われた決闘騒動のおかげで、アンドレアは剣術の教師からすっかり目をつけられて、大会参加を打診されている。
「イアンも出るしなー、リベンジマッチを期待されているわけだな」
「俺としては出れば家名も上がるし、好都合なんだが……」
「いやいやいや、もうやめてくれよ」
「……ローレンスにも同じことを言われた。分かっているよ。イアンに勝てたのは偶然だ。俺の実力なら、一回戦通過も危うい」
大会に出れるのはいずれも実力者ばかり。いくら日々稽古をしていても、彼らとは体格も場数も違う。
それでもアンドレアは、少しだけ挑んでみたい気持ちがチラつくのを捨てることが出来なかった。
別に最後まで勝ち進むような気持ちはないが、どこまでやれるかを試したいものはあった。
ローレンスは令嬢と発覚して以来、剣の稽古はしてくれないし、ライオネルとも絶対だめだと言われて止められている。
大会に向けてイアンは忙しそうで声もかけられない。
ルイスも、双子も剣はからっきしだから、最近は体を動かせないでウズウズしている。
せめて、どこかに良い練習相手はいないかと、クラスの連中を眺めながら、アンドレアはため息をついた。
放課後、室内の練習場に入ろうとしたら、今月は出場予定の参加者のみ利用可だと言われて中を見ることも出来なかった。
ならばと、剣技場まで足を運んだがこちらも使用不可になっていた。
国の屋敷にいるときは、日課として剣や馬の訓練をかかさなかった。
ブラン家は曾祖父の代からの影響でそういった施設が造られていて、毎日何かしら体を動かしていられたのだ。今考えると恵まれた環境だったのだろう。
こうなったら、運動場でも走るかと思っていたら、良いことを思いついた。
前にレイメルが旧校舎の話をしていたのを思い出したのだ。
二年校舎の裏手の森の奥にあり、何年か前まで使用されていたらしいが今は使われていない。お化けが出るとか噂になっていて、誰も寄り付かないという話だった。
アンドレアは、むくむくと顔を出した好奇心に背中を押されるように、旧校舎へ向かった。
木造の旧校舎は森の中にぽつんと残されたように建っていた。
すでに蔦で覆われていて、なるほど納得の雰囲気だった。
建物の中は厳重に打ち付けられていて、入れなかった。
裏手にまわると小さな運動場があった。しかも、剣の練習用のスペースまである。
だいぶ古びているが、道具も揃っているようだった
アンドレアは練習用の剣を手にした。使い込まれた剣はズッシリと重さがあるが、よく手に馴染んだ。
一振りすれば体が覚えている。心地よい緊張感が全身包んで駆け抜ける。
「ふふふっ、久しぶりだ」
アンドレアは時間も忘れて、剣を振り続けた。
暗くなってから寮に戻っても、久しぶりに感じる疲労感が楽しくて、興奮が冷めなかった。
それから、しばらくは時間を見つけて練習に行っていた。ローレンスも何だか忙しいらしく、しばらく行けないのでと言われて、部屋に遊びにくることもなかった。
その日も放課後いつものように、森へ入って旧校舎の裏手にまわると、いつもとは様子が違った。
人のいる気配がして、アンドレアは反射的に身を隠した。
もしかしたら、学園の教師が誰か無断で使用しているかの確認に来たのかもしれない。
トラブルは避けたいので、今日は帰った方がいいかと思った。
足の向きを戻そうとしたとき、風を切るような音がした。
その音が気になって物陰から覗いてみると、舞うように剣を振っている人が見えた。
練習用の重い剣をいとも軽々と振っている。長身のしなやかな体躯に、漆黒の髪を風になびかせている。はるか遠くを見つめるような切れ長の瞳は金色で、全てを見透かすような不思議な強さがあった。
印象的な男だ。身のこなしも完璧、かなりの使い手だろう。
ローレンスと良い勝負になるかもしれない。上級生や下級生でもいれば際立って目立つと思うのに、アンドレアは見たことがなかった。
「誰かいるね。何の用?」
こちらに背を向けながらも、気配に気づいていたらく、早速見つかってしまった。アンドレアはおずおずと顔を出した。
「……お前に用というか、俺は、そこでたまに練習していたから来ただけで……」
「ああ、朽ち果てていると聞いていたわりには、使用した形跡があったから、そういうことか……」
こちらを一瞥もせずに、男は一人で納得したようだった。
「……あの、俺帰るので、ごゆっくり」
よく分からないが、何となくゾクリとする気配がして、さっさと帰った方がいいとアンドレアは踵を返そうとした。
「待って、一人だと退屈だったんだ。ねぇ君、俺と遊んでいかない?」
やっと男はこちらに体を向けたと思ったら、持っていた剣を投げてきた。
アンドレアは驚く間もなく、反射的に利き手で剣を受け取って、すぐに構えた。
「いいねぇ、少しは使えそうだ」
男はこちらの返事など、どうでもいいらしく、いきなり突っ込んできた。
久々の実戦で鈍っていた体が、息を吹き返したように反応して、男の剣を受け止めた。
「くっ……、なんなんだ、お前……!」
「これを受け止めるとは、なかなか良い目をしている。でも、まだ挨拶程度だ」
力で押し返して、間合いをとった。
明らかな実力差、どう読んでも負ける気配しかしない。
それでも、こうやって向き合ったなら、ブラン家の人間として引くわけにはいかない。
アンドレアは、男の目を見て気合いをいれた。やるしかないと、手に力を込めて一歩を踏み出したのだった。
「もう終わり?最初の威勢は良かったけど。まぁ、こんなもんだね」
力尽きて腕まで痺れて、荒い息をしながらアンドレアは漆黒の髪の男を睨んだ。
剣を掴もうとしても、力が入らず、するりと落ちてしまった。
「戦場では君みたいなやつは、たくさん見てきたよ。威勢だけ良くて無鉄砲。そうやって剣を落として、簡単に首をはねられて終わりだ。まぁ平和ボケした貴族のお坊っちゃまには、酷だったかな」
男の鋭い目は明らかに戦場を生き抜いてきた者の目をしていた。
アンドレアの祖父もそういう目をしていたのを思い出した。
つかつかと近づいてきた男は、アンドレアの首に剣を当ててニヤリと笑った。
「これは、練習用だけど、上手く当てれば致命傷をくらわせることもできる。というか、俺はそれができる。こんな場所じゃ誰にも見られていないだろう。つまり、君の首を打っても誰にも気づかれない。さぁ、どうしようか。命乞いでもする?」
男は笑っているが、いつでもヤれるという意思の現れを感じて、アンドレアの体は震えた。
「……お前、何のためにこんなことを……」
「さあ?暇つぶし?改めて言われると考えちゃうな。俺弱いやつが嫌いなんだよね」
「お前の好き嫌いで殺されたらたまったもんじゃない」
「あれ?そんなこと言っていいの?生かすも殺すも俺次第なのに……」
相変わらず嫌な笑いを浮かべながら、男の目は何の感情もない冷たい色をしていた。
これが本気であるかどうかも計りかねない。ただ、意味もなくその場の感情だけで動くような人物ではないとアンドレアは感じた。
「………つまらない」
男は興味をなくしたように剣を下ろして、膝をついたアンドレアから離れて背を向けた。
「もう少し怯えるとか、まともな反応してくれないと。殺らないにしても、怪我ぐらいさせるかもしれないのに」
なんだかよく分からなかったが、言うだけは言っておこうと、男の背中に語りかけた。
「……少し戦っただけだし、完敗だったから、俺は偉そうなこと言えないけど。お前の剣は先を読んで的確に攻撃してきた。無茶はせず、ちゃんと俺の実力に合わせてただろう。そんな人間がこんなところで、同じ学園の生徒を気まぐれに殺したり傷つけたりしない」
その刹那、振り返った男は、金色の目をギラギラと光らせてアンドレアを睨み付けてきた。
「……貴様に何が分かる。虫けらのくせに……」
先程とは桁違いの殺気を感じて、アンドレアは恐怖でゾクリと体が冷たくなった。
何か触れてはいけないものがあったらしい。ここにいてはいけないと感じた。
だが、足が固まって動かず、アンドレアはその男を見続けるしかなかった。
「お前名前は?」
「アルバート……、アルバート・ブランだ」
それだけ聞くとなにも言わず、男はマント翻すように颯爽と背を向けて、校舎裏からあっという間に消えてしまった。
「………なんだったんだ、いったい」
アンドレアは訳もわからず取り残されたが、力をなくした手足はまだ痺れていてしばらく動けそうになかった。
その奇妙な邂逅は、まだ小さな波紋であったが、やがて大きな波となって学園を飲み込むように広がっていくのであった。
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