②王立学園の初日
「アンドレアちゃん」
「嫌です」
「アンドレアさま」
「嫌です」
「ほら、ルイス君も協力してくれるって言っているわよ」
「絶対!嫌です!」
昨日から母が亡霊になって、ずっと背中にしがみついてくるので、アンドレアはもう疲れきっていた。
「いくらなんでも、許されないです!もしバレたら、退学どころじゃなくて、罪に問われますよ!」
「そこをなんとか上手くやるのがアンドレアちゃんでしょう。大丈夫よ。勉強だけ大人しくしていたら、だれも気がつかないわ。アンドレアだって羨ましがってたじゃない。なんでアルバートだけ学校に行けるのかって……」
アンドレアは疲労からか、まともな思考が出来なくなってきた。
確かに学園に入学できる男子が羨ましかった。嫌々連れて行かれるアルバートを、窓から悔しい気持ちで眺めていた。
確かにそうだが、これは違うと思う。でも、一度だけでいいから学園の生活をしてみたいという憧れが顔を出しはじめて、葛藤で体が震えてきた。
「一ヶ月だけよ。アルバートが見つかり次第連絡して面会に行くから、そこで何食わぬ顔で入れ替われば万事上手くいくわ」
母が亡霊から悪魔に変わり耳元で囁いた。
目をつぶって耐えていたアンドレアだか、ついに体の力を抜いた。
「分かりました……、一月だけです。それで見つからなければ、病気を理由に退学します」
こうしてアンドレアは、兄のアルバートになって、一月だけ、王立学園に通うことになったのだった。
そこでの出会いと、待ち受ける運命など、このときはまだ、何一つ分からなかった。
□□
ガタガタと揺れが激しくなって、夢から覚めた。
目を開けると向かいの席では、アルバートの友人であり、アンドレアの共犯者であるルイスが口を開けたまま爆睡していた。
馬車での移動は三日かかったが、その間に必要な知識は入れたつもりだ。
ルイスを休む暇なく質問攻めにしていたら、その都度答えるから、お願いだから寝かせてくれと懇願されてた。
用意してきた質問はあと二十個あったが、協力者のルイスを叩き起こすわけにもいかず、諦めて外を眺めていたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。
すでに、隣国サファイアに入ってから、かなりの時間が経過していた。
農業が盛んなサファイア王国らしく、ひたすら田園地帯が広がっていて、ずっと同じ景色を見ているのもさすがに飽きてきた。
暇をもて余すのは好きではない。アンドレアは、鞄を開けて荷物の整理を始めた。
「ふぁああー。よく寝たぁ。あれ?アンドレア?すごい荷物だね。ほとんど寮に置いてあるのに」
「ルイス!言ったはずだ。その名は口にするなと!俺の名前はアルバートだ」
「あっ……ああ、はいはい。さすが、もう入っているね」
「準備にこしたことはない。一応、うちの領土で生産している茶葉も持ってきた。他国の王族もいるのだろう。気に入ってもらえれば良い宣伝に……」
「いやいや、アルバートはそんなことしないから!目立つことしたらダメでしょう!」
「はっ!そうか!」
ルイスの話では女好きのアルバートは、男だらけの学園で全く気力がなく、いつも死んだ魚のような目で、ルイス以外は誰とも交流することなくやる気なく過ごしているそうだ。
自分としたことが、つい商売気分を出してしまったと、アンドレアは恥ずかしくなった。
「全く、こっちのアルバートは真面目で堅物なのに、どっか抜けているんだよなぁ」
「何か言ったかルイス?」
「いえいえ、あっ、ほら王都の門が見えてきましたよ」
隣国、サファイアは膨大な国土を持つ大国だ。四方を小国に囲まれていて、アンドレアの国であるベイフェルムもその一つだ。
かつて争いの多かったこの地も、今は平和になり、各国の友好が深まるようにと、中心にあるサファイア王国に学園が作られて、王族や貴族の男子を国を問わず受け入れるようになった。
数年前までは、女子も受け入れていたのだが、生徒同士の争いが起こってしまったらしく、女子生徒に危険が及ぶといけないということで、女子の受け入れはなくなり、完全な男子校となった。
ベイフェルムには、女子を受け入れるような学校はなく、おかげで、アンドレアは勉学に触れる機会がなくなってしまった。
今は家庭教師がたまに来てくれるのと、独学で学んでいる状態だ。
王都の門を通ると、学園の関係者は整備された専用の道を通る。町の中を見てみたいが、そんな時間もないだろう。
やがて、サファイア王立学園の門が見えてきた。石造りの女神の大きな彫刻が、門の両端にそびえ立っている。
どちらも、本を手に剣を腰に下げていて、学問と力を表現しているのだとアンドレアは思った。
アルバートはこの門をくぐるとき、何を考えたのだろう、そして、今どうしているのか、そんなことを考えながら、アンドレアはいつまでも窓の外を眺めていた。
学生寮の造りはいたってシンプルだった。
二人の部屋でそれなりに狭くないが広くもない。部屋の端にそれぞれベッドが置かれていて、その奥に机があった。
部屋に入ってすぐのクローゼットを開けると、制服が二着かけられていた。
一度着たものは、夜のうちに廊下に出しておくと、翌日にはクローゼットにかけられているとルイスから説明があった。
とりあえず、制服に着替えてみたが、やはりサイズは問題なく、ちょうど良かった。
一応貴族の令嬢で、身の回りの世話はメイドに任せることもあったが、普段から自分でなんでも出来るようにしていたので、着替えや身支度などに不安はない。
まずは、慣れることだと思い、アンドレアはクローゼットを閉じたのだった。
食事は食堂で自由にとれるし、共用の風呂があるのも嬉しかった。こちらは時間の予約制なので、誰かに見られる心配もない。
まだ寝足りないというルイスを残して、早速食堂に行くと、少ないが何人か食事をとっていた。
授業は明後日からなので、ギリギリに到着する生徒の方が多いそうだ。今日は人が少なくてゆっくり食べれそうだとアンドレアは嬉しくなった。
どれにしようか迷ったが、定番であると思われるサファイアセットにした。国の名前が付いていれば間違いないだろうと思ったが、ライスと肉野菜炒めだけで、シンプル過ぎた。名前に負けているだろうと軽く怒っていたら、食堂内がざわざわとして空気が変わったのを感じた。
「おい、お二人が来られたぞ。珍しいなこちらに……」
「きっと、今日は空いているからだろう。さすが、キントメイアの獅子はいつ見ても威厳があるな」
アンドレアの後ろの方にいた者達の少し落とした声が聞こえてきた。
人々の視線の先を見ると、入り口から二人の男が入ってきた。
一人はかなり大柄で背が高く、黒髪でがっちりとした体つきから、強者の風格を感じる。近寄ったら食い殺されそうな雰囲気があり、とてもお友達にはなれなそうだ。
もう一人は隣の男よりも背はないが、長めの銀髪で片目は完全に髪で隠れている。端正な顔立ちで、口角が自然に上がっていて優しそうな雰囲気があった。
周囲の一般貴族と明らかに違うオーラを感じるからして、彼らはどこかの国の王族なのであろうと、アンドレアは思った。
そこで思い出したのは、キントメイアという言葉だ。
年に一度行われる学園の剣闘大会、パド・ガレの優勝者には、キントメイアという名誉の名前が贈られる、一番強いものという意味だった気がする。
アンドレアはトレーに食事を載せて運ぶ彼らの姿を眺めた。あの二人のどちらかが、昨年の優勝者できっと今年も出るのだろう。
明らかに強そうな黒髪の男で間違いないと思った。
しかし、パド・ガレが開かれるのは来月。その頃にはアンドレアはいない予定なので、パド・ガレに誰が出るかなど興味がない。
目線を肉野菜炒めに戻して、大人しくこちらの攻略を開始した。
アンドレアは、野菜を食い入るように見ながら、もしかしたら、この野菜のどれかがサファイア産の特別なものではないかとフォークで分けながら目を凝らして調べることにしたのだ。
クスクスと、笑うような声がして手を止めた。
声の方向を見ると、先ほどの王族らしき二人組はアンドレアの隣のテーブルに座っていて、銀髪の男の方がアンドレアを見て、口許に手を当てておかしそうに笑っていた。
目が合ったので、いきなり笑われるのは失礼だと睨み付けた。
「あの、何か?」
「あ、いや、失礼。先程から見ていると、一生懸命野菜を分けていて、なぜそんなに好き嫌いがあるなら、それを選んだのか不思議になりまして……、何しろメニューは十種類以上はありますから……」
そう言われて、アンドレアは目を白黒させた。
どうやら、自分は好き嫌いで野菜を避けていたのだと思われたらしく、恥ずかしくて泡を吹きそうになった。
「こっ……これは、決して好き嫌いではなく、サファイアセットを頼んだら、あまりにも寂しいのが出てきたので、この野菜に何か特別なものがあるのかと調べていたのです!」
すると銀髪の男は、少し微笑んだまま、こちらの様子を伺うようにじっと見てきた。
何か居心地の悪いものを感じていたら、銀髪の男はさらりとこう言った。
「………君は、一年生ですか?でも、タイは二年のカラーですね」
「はぃ?」
「ばか!そりゃ、新入生の洗礼だろ。食堂来て始めに浮かれてサファイアセット頼んで、ショボいのが来てがっかりするっていうやつだよ。お前、二年にもなって、やっと引っ掛かったのか?」
向かいの席に座っていた黒髪の男が、肉をばくばく食べながらも、冷静に突っ込んできた。
アンドレアは、登園して初日に新入生向けの洗礼にまんまと引っ掛かってしまったようで、真っ赤になって慌てふためいた。
「そっそうなんですか!?俺、友人が少なくて、そういった情報には疎くて……今まで運が良かったようです。あははは……」
自分でも苦しいと思ったが、こう言い訳するしかなかった。
さっさと興味を失ってくれと思っていたら、銀髪の男は先程よりももっと楽しそうに微笑んでいた。
「そうですか、では私と友人になりませんか?」
「えぇ!?」
「はぁ?」
これには、なぜか黒髪の男がアンドレアと一緒に驚きの声を上げた。
「お前の物好きには感心するよ。よくまぁこんな訳の分からないリスみたいな男と仲良くしようと思うよな」
「リス?あぁ、確かに小動物っぽいね」
リスだとか小動物だとか言われて、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「……あの!お二人とも!俺はれっきとした貴族の男子です!り……リスや、小動物などと一緒にしないでください!」
「おーおー、真っ赤になって。確かに面白れーお坊ちゃんだな」
「これはこれは、失礼しました。男子たるもの、プライドは大切でしたね。それでは、これで友情は成立ですね。ではあなたのお名前は?」
「名前は、アルバート・ブランです…。って!ええ?友情?成立?」
名前を聞かれて、素直に反応してしまった自分がますます恥ずかしくなった。もうバカにされているのかもしれないが、どうでもよくなってきた。
「アルバートは素直な子だね。ますます気に入った」
混乱しつつ考えたが、別に友人を作ったところで、バレなければ問題ないのではと思った。
一月であれば、さほど深い付き合いにもならずに、挨拶や世間話でもして終わりだろう。
アルバートが戻ったら、後は本人がもっと仲良くなるなり、そのまま疎遠になるなり、好きにしてもらえばいいのだ。
「友人はべつにいいですけど。なんか、俺だけ知られているのも気になるので、お二人も名前を教えてください」
学年はカラーが決まっている。一年はブルー、二年はオレンジ、三年はパープルだった。
二人のタイはオレンジだから同じ二年生だ。
しかし、アルバートを知らなかったのだから、同じ学年でも、クラスが違うのだろう。
友人になったとしても、接点はあまりなさそうだ。
「私はローレンス、彼はライオネルだよ」
おい、勝手に紹介するなと、黒髪の男ライオネルが面倒くさそうに言った。
なんとなく嫌な予感がしたのだが、とりあえずもったいないので、考えないようにして食事を口に運んだ。
ただの肉野菜炒めだったが、意外と美味しかったので満足感があった。帰るまでにまた頼んでみようかと、この時まではのんきに考えていたのだった。
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