①赤い果実
「だ……だめですよ。こ…んなところで……」
柔らかな日が差し込む昼休みの中庭は、誰も来ないことをいいことに、静かなランチの場所から密会の場所へとすっかり変わっていた。
困惑の熱いため息をつくのは、アンドレア。兄のアルバートの代わりに学園に入った。一月と決めていた学園生活だったが、居心地が良く、仲間にも恵まれてこのまま続けることになった。
そして、ここに残ることを決めた、大きな理由はもう一つ、初めて恋をしたのだ。
いつもアンドレアを優しく包み込んでくれる、フィランダー王国の王子、ローレンスに。
いや、優しく包み込んでくれ過ぎるというのが、目下の悩みでもあるのだ。
「だめなのはあなたですよ。こんな昼下がりから、私を誘うなんて……」
「誘ってないです!赤くなったか見てもらおうとしただけです!」
今朝、同室のルイスが実家から送られてきたという焼き菓子をくれたので、ランチの後のデザートにと持ってきたのだ。
焼き菓子にはナニィという実を使ったジャムが入っていて、食べると舌が赤くなるのだ。それをのんきにローレンスに確認してもらおうとただ見せただけだ。
子供の頃、アルバートともよくやっていたし、これのどこが誘うなのかがアンドレアには理解できない。
「そんな真っ赤に色づいた舌を見せられて、食べてくださいと言われているようなものですよ。言っておきますが、他の方には見せないでくださいよ。全く無防備にもほどがあります」
言われているようなものと言いながら、この男はしっかりかぶり付いてきて、ほのかに残ったジャムの甘さまで堪能したのだ。
「こっ……こんなことをしてくるのは、ローレンスだけです!」
アンドレアが真っ赤になって初々しく抗議すると、ローレンスは可愛くてたまらないという顔で、アンドレアの頬を撫でる。
「可愛くて残酷で純粋なアンドレア……、君は男がどういう想像をするか分からないのですね」
「は?なんですか!?」
ローレンスは妖しく微笑みながら、アンドレアの耳元に口を寄せた。
「その赤い色を見ると、例えばアンドレアの……が……で……」
「ぎゃーーーーー!!!やめてください!」
アンドレアは真っ赤どころではなく、真紅に染まって後ろに飛び退いた。
それを見て、ローレンスは天使のような笑顔で微笑んでいる。
「そっ!そんな、不埒な想像をするのは……、ろろろローレンスだけです!もう!授業が始まるので……、俺は戻ります!」
アンドレアは中庭を転がりながら、なんとか体勢を戻して、校舎の中へ走って戻っていった。
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その姿を見てローレンスは今度は声を出して笑った。
純粋で無垢なアンドレアは、少しずつ自分の色に染めていけば、嫌がりながらもちゃんと自分のもとへ戻ってきてくれる。
それが分かってからは、ローレンスは少しずつ本来の自分を見せている。
外見から清廉潔白なイメージを持たれやすいが、本当はその逆をいくような性格である。こんなものではなく、もっとアンドレアには見せていきたいのたが、あまり大胆にいくと引かれ過ぎるので、まだ少しだけに留めている。
しかしアンドレアは、手の上でころころと転がせて遊んでいるうちは良いのだが、急に覚醒するととんでもないことをやらかすので、ローレンスは内心心配でもある。
もうあんな無茶なことはしないように、自分がそばにいて見守っていれば大丈夫だろうとローレンスは考えていた。
アンドレアの赤い舌を思い出して、口許がつい緩んでしまう。また、ライオネルに気持ち悪い顔をするなと言われそうだ。
ただ少し、物足りない熱を感じた。
「失敗しました。もう少し味わってからいただくべきでしたね」
大人げなく、果実に即食らいついてしまったことを軽く後悔して、ローレンスも校舎へゆっくりと戻っていった。
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廊下を走っていたら、巨大な塊にぶつかってしまった。
「おう、なんだお前か……、走って飛んでくるな危ないぞ」
「ライオネル!」
びくともせずに、バランスを崩したアンドレアを軽々と支えてくれたのは、ローレンスとは昔からの友人らしいライオネルだ。
アンドレアも立場をこえて、すっかり仲良くなった友人の一人だ。
獰猛な肉食獣みたいな外見だが、中身はさっぱりしていて、気の優しい男だ。
「……その、あいつと会ってきたのか?」
「え?ああ……、うん」
ライオネルは、アンドレアがローレンスと付き合っていることは知っている。
「そうか、まぁ……、男同士だし。色々と大変だと思うが、何かあれば俺も力になるから……」
「……ああ、ありがとう」
ライオネルには言ってもいいと思うのだが、ローレンスが面白いから黙っておくという理由で、アンドレアであることは話していない。
友人思いのライオネルに心の中で謝りながら、アンドレアは苦笑いをした。
ローレンスはライオネルですら、手の中で転がしている。
よくよく、知ってみると、恐ろしい男なのだ。
しかも最近のローレンスは、ただの優しい男ではなく、品のある外見の癖に下品な一面をちょこちょこ見せてくる。
初めはびっくりして、信じられなかったが、慣れとは怖いもので、好きな気持ちがある分、アンドレアは受け入れてしまっている。
もちろん、その度に驚くし、恥ずかしくて嫌なのだが、だからと言って離れることができない。
教室へ戻る途中、知っている背中を見つけて、アンドレアは声をかけた。
「イアン」
赤い髪の男、イアンは振り向くと、ようと言って笑った。
イアンはもともと、兄のアルバートを苛めていて、入れ替わったアンドレアがぶちキレて決闘までした相手だ。
和解してからその後、少しずつ話すようになり、今では彼も友人の一人になった。
「ダルいな、次の授業は算術かよ。昼飯の後に絶対仕組まれてるよな」
「良いじゃないか。数を数えていると、眠気は飛んでいくぞ。寝る前に算術の教科書を読むと寝れなくなってしまうから、夜見るのは禁止にしているくらいだ」
「はぁ?そんなお前くらいだよ」
数字バカと失礼な呼び方をしてイアンは笑った。アンドレアもつられて笑顔になる。こんな穏やかな関係になれて本当に良かったと思う。
「ほら、お前先に行けよ」
「え?なんで?」
教室の近くまで来ると、イアンがアンドレアを一人で先に行くように促した。
「うるさいのがいるだろう、俺あいつら苦手で……」
「あーー!イアン!なんでアルに近づいているんだよ!」
イアンの喋り声を吹き飛ばすような大声で入ってきたのは、ローレンスと同国の貴族である双子の片割れレイメルだ。アルバートとの入れ替わりを知っていて、発覚してからは、アルと呼んでくる。
「ほら来た来た、マジで勘弁!俺いくから!」
心底嫌そうな顔をして、イアンは先に教室へ飛び込んで行った。
「レイメル……、もう、イアンのことは心配しなくて大丈夫だよ。絡んでくることもないし、今も普通に話していただけだ」
「アル、ダメだよ。そうやって君は誰にでも心を許すから。いつ誰に襲われるか分からない。僕は君のナイトなんだから」
アンドレアであると分かっても、双子の態度は変わらない。今まで通り、ベタベタと接してくるが、弟のように思っていてアンドレアはそれを許している。
「二人とも、もう先生が来ているよ。遅刻扱いはトイレ掃除だって」
教室のドアから、もう一人の双子、ランレイが顔を出した。それを聞いてアンドレアとレイメルは慌てて教室に入って席についた。
学園に来て一ヶ月も過ぎて、みんなの協力もあり、アンドレアは不自由なく学園生活を過ごすことが出来ている。
そんな雰囲気を一変するような嵐が突然やって来ることを、穏やかな日常に満足していたアンドレアは、このときはまだ何も知らなかった。
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二章スタートしました。
若干ですが糖度上がっている…かな。




