⑰見つかった鼠
「おはよう、アルバート」
教室へ行く廊下で何人かに話しかけられた。
いつも、誰とも挨拶なんてしなかったのに、声をかけられて驚いて叫びそうになったくらいだ。
「お…おはよう」
この一ヶ月で何があったのか、だんだん恐ろしくなって緊張してきた。
教室の前でまた声をかけられた。しかも今度は馴れ馴れしく、腕につかまってこられた。
「お兄ちゃん!おはよう」
げっ!とアルバートは驚きを隠せなかった。アルバートが苦手に思っていた双子の片割れで、確かレイメルとかいうやつだ。
俺よりデカイくせに何がお兄ちゃんだと、ゾワリと寒気がした。
レイメルは何を感じたのか、パッと手を離してこちらをじっと見てきた。
「あれ…アルバート?」
ごめん、調子が悪くてと言いながら、さりげなく避けて教室へ入った。
心臓がドキリとして、汗が出てきた。まさかこんな小物に気づかれるはずがない。何かの思い違いた。
「気を付けなよ。あの双子、最近あの子にまとわりついていたから」
ルイスがまた小声で教えてきた。そういうことは早く言えと背中を小突いてやった。
少し焦ったが、大丈夫だっただろうと、アルバートは気持ちを切り替えた。
心臓に悪いし居心地が悪すぎるから、さっさと王子に会って帰ろうと、そわそわしてきた。
しかし、アンドレアはどこで王子と会っていたのか、そもそも接点が分からない。ルイスに聞いても、さぁと首をかしげて全く番犬として不能だし、さてどうしたものかと途方にくれた。
王子ともあろうものが、わざわざ会いに来るなんて考えられない。アンドレアが足しげく会いに行っていたのだろう。
そこで思いついたのはあの双子だ。やつらはみんな同国なので、その繋がりで王子と仲良くなったのかもしれないと考え付いた。
人気のないところへ呼び出すなら、あの双子を使おうと考えた。
レイメルの方は先ほど変な目線を向けられたので近づきたくなかった。
もう一人の眼鏡の方、ランレイを使うことにした。
休み時間、廊下を一人で歩いているランレイを呼び止めた。
「なに?」
馴れ馴れしいレイメルと違って、こっちの方は冷たい返事だった。アンドレアとは仲良くないのだろう。
人気のない場所を指定して、昼休みに来てもらうように手紙を書いた。
それをランレイに渡して、王子に持っていってもらうように頼んだ。
冷たい態度だったから断られるかと思いきや、あっさり了承してもらえたので拍子抜けした。
「おい、アルバート」
去り際に急に名前を呼ばれたのでドキリとした。
「なんだよ」
平静を装って返事をしたが、ますます冷たい目で見られた。
「なんでもない。手紙は渡しておく」
呼び止めたくせに、興味をなくしたみたいにさっさと行ってしまった。全く気味の悪いやつだ、やはり、あの国のやつらは苦手だとアルバートは嫌な気分になった。
やっと昼休みになり、アルバートはいよいよご対面だと動き出した。
王子が馴れ馴れしくしてきたら、頬を叩いてやろうかと、ちょっと悪いことまで考えてニヤニヤしたきた。
人目につかないところは、備品倉庫の裏を選んだ。気になるからとルイスは遠くから隠れて見ているらしい。
待ち合わせ場所に、あの男、ローレンスは一人で立っていた。
いや。
立ってはいるが、片手に剣を持って、優雅な微笑みを浮かべていた。
なぜ、あんな物騒なものを持っているのか分からない。二人はいつも昼休みに剣術の練習でもしているのか。
アルバートはパニックになりながら、恐る恐るローレンスに近づいていった。
「やぁ、アルバート。あなたから呼び出してくれるなんて、嬉しいですね。では、早速いきますよ」
挨拶もそこそこに、ローレンスは剣を構えだして、今にも攻撃に入りそうな気配を出してきて、アルバートは何が起きているのか分からなかった。
「ひぃ!?あ……あの?なっなんですか?いったい……」
「ほら、あなたの足元に剣が落ちていますよ。いつものように、それを取ってください。待ちかねていたんですよ」
アルバートは、足元に落ちている剣に気がついた。やはり、二人はまさかの剣術仲間だったらしい。
「ん?どうしました?それとも、何か剣を持てないわけでも?」
ローレンスの視線に凍るような冷たさが混じった。アルバートは震え上がりながら、促されるまま、恐る恐る剣を手に取った。
もうローレンスが邪悪な怪物にしか見えない。ニヤリと笑ったローレンスは、何も言わずにいきなり斬りつけてきた。
「ひぃぃぃ!!」
いや、子供の相手をするように、まったく本気は感じられない。
「どうしましたか?いつもこのくらいは簡単に受け止めますよね。まだまだ、これからですよ」
アルバートは必死に避けていたが、ついに避けきれずに足がもつれて、地面に転がってしまった。
すかさず振り下ろされた剣がアルバートの喉元でピタリと止まった。
しかも、剣先でペチペチとアルバートの頬を遊ぶように叩きだしたのだ。
「さぁて、鼠くん。アルバートのふりをして、君はいったい何者?私のアルバートをどこへやったのですか?」
邪悪な怪物どころか、もう魔王にしか見えなくて、アルバートはがたがたと震えだした。
「違うんだ、最初から…おっ…俺がアルバートなんだ!」
魔王は片方の眉を上げて、一瞬考え込んだようだった。
「……そうか、君が最初のアルバートなのか!だからそうか……これで色々と不可解なことの説明がつく」
どうやら、入れ替わりに気づいたようだったが、アルバートに剣を向け続けることは忘れていない。
「ては、夏期休暇明けからここに来た彼は誰なのですか?なぜあなたのふりを?」
アルバートは観念して、現実から逃げるように目線を遠くへ向けた。
「………彼じゃない、彼女だ」
ローレンスが向けていた剣がわずかに揺れて、二人の間に沈黙が流れた。
「………それはどういうことか。詳しく教えていただきましょうか」
ローレンスは剣を納めて、座り込んでいるアルバートの前に腰を落とした。
自分の前に落ちてきた影の濃さに、アルバートは震えた。いつも周りに優しく助けられて、自分勝手で適当に生きてきたアルバートが初めて恐怖を感じた瞬間だった。
□□
ここまではなんとか上手くいった。
アンドレアは、額に浮かんだ汗をゆっくりと拭った。
何人か生徒が通りすぎて行く、見知った顔もあったが声もかけられなかった。
というか、この学園の生徒は、こちらなど見向きもしない。空気のようにしか見えないのだろう。
一応挨拶くらいするべきだと思うが、今はその方がありがたい。
しかし、体格のいい男性向けなので、上も下もブカブカで動きにくい。ズボンは落ちてこないように紐で結んであるが、どこかでまた直さないと落ちてきそうだった。
アンドレアは制服で寮から抜け出した後、用務員事務所に入って、清掃係の制服を拝借した。
学園を違和感なく動き回れるとしたら、清掃係は適任だ。彼らは決まった時間ではなく、どこにでも入れて常に歩き回っている。
帽子をかぶり、グレーのシャツにグレーのズボンという、目立たない格好もちょうど良かった。
帽子はは大きめが幸いして、後ろ髪を全部帽子の中に入れることができた。
これでどう見ても、学園の清掃係だ。
さりげなく、袋と箒を持って教室の辺りをうろうろしていた。
時間は昼休みに入っているので、アルバートならそろそろ動き出すころだと思った。
しかし、いつものクラスをチラリと覗いたが、アルバートの姿はすでになかった。
出遅れたのかと、アンドレアは焦りだした。
そのとき廊下の端の方で、よく知っている声が聞こえた。
「どういうことなの、あれは?」
「僕たちをバカにしている?気がつかないとでも思っていたの?」
いつもアンドレアに甘えてくるレイメルの声は、聞いたことがないくらいに低くて尖っている。
「いやさ、俺の口からは言えないんだよ。ほら、早く俺も倉庫裏に行かないといけないから…」
情けない声を出しているのはルイスだ。双子にしつこく絡まれて困っているのだろう。
「何でお前が行くんだ。鼠の駆除はうちの王子がやってくれるよ」
「いやいや、駆除しちゃ困るんだよ。色々と事情があるんだ!通してくれ」
盗み聞いた感じでは、どうやら、アルバートが入れ替わったことに双子は気づいたらしい。同じ双子だけあって、人を見分ける力があり勘が鋭いのだ。
倉庫裏という言葉にアンドレアはピンときた。確か、よく授業をサボって倉庫裏で遊んで、というようなことで、先生から怒られているやつがいた。
人目につかないし、比較的広い場所だったはずだ。
アンドレアは三人に気づかれないように、清掃人として、さりげなく移動して倉庫に向かうことにした。
目深に帽子をかぶって、空気になりきって通り抜けようとした瞬間、ランレイが律儀に、ご苦労様ですと声をかけてきた。
まさか、ちゃんと挨拶する子だったのねと、今する必要のない感動を覚えながら、軽くお辞儀をして通りすぎた。
ところが、アンドレアは大人しくしていないだろうと予想していたルイスが、案の定見つけた変な後ろ姿に、あっ!っと大きな声を出した。
「アン!アン!アア……えーと!」
「なんだよ、アンアン言って気持ちわりーな!ルイス」
「ねえ、レイメル、もしかして……」
背中に視線を感じて、アンドレアは絶対振り向いてはダメだと心に念じて、ぎこちない動きで退場しようとした。
しかし、パタパタと走ってくる足音が聞こえて、両腕を片方ずつ双子にそれぞれ捕らえられてしまった。
「みーつけた!僕たちのアルバート!」
「いったい何の遊びをしているの?俺達もまぜてよ」
ややこしいのに見つかってしまい、もう完全に終わったと、アンドレアは頭が痛みだして顔をしかめた。
「ちょっ、アン……!まずいよ!もうローレンス様にバレバレらしくて、あいつボコボコにされるかも!早く止めに行かないと!」
いくらなんでも、ローレンスはそんなことをしないだろうと思った。だか、プライドの高いアルバートが暴れて、不審者として報告でもされてしまったら困る。アンドレアは不安に思っていたシナリオ通りになりそうだと慌てた。
「あー!もー!二人も一緒に行くよ!」
ぼかんとしている双子を引っ張って、倉庫裏に向かって急ぎ、足を走らせたのだった。
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