⑭止められない想い
「やぁ、アルバート。調子はどうですか?」
恒例の中庭ランチに、ローレンスは爽やかに颯爽と風をきってやってきた。
その清らかなオーラに、邪な妄想を抱いてしまった自分が恥ずかしくて申し訳なくなり、アンドレアはまともに顔が見られなかった。
「はい。もう大丈夫です。あの、心配かけてごめんなさい」
恐る恐る顔を上げると、ローレンスの天使のような微笑みがあった。なんだか、薄紫の目がじっくりとこちらを観察しているようでドキッと心臓が鳴った。
アンドレアのお年頃らしい妄想を気づかれないようにと、必死で取り繕った笑いを浮かべた。
「いえいえ、元気になったならそれで十分嬉しいですよ。そういえば、ルイスは何か言っていましたか?」
「へ?ルイス?別に何も……」
なぜ急にルイスの名前が出てくるのかと、アンドレアは不思議に思った。
「あぁ、でも、なんだか態度がおかしいですね。話しかけても、適当な返事だし。なんだか避けられているような……」
「そうですか。そうでましたか……」
ローレンスが何やら考え込んで呟いていたので、何かと聞いてみたが、気にしないでくださいと、笑顔でごまかされてしまった。
「お礼の件ですけど、こちらからお願いしても大丈夫ですか?」
「あっ、それはもちろん。ローレンスへのお礼だし……」
「でしたら、今度の休みは剣の稽古ではなく、私の部屋に来てくれませんか?」
「部屋に?ですか?」
まさか、部屋に呼ばれると思わなかった。二人きりの密室で、自分の心臓がもつのだろうかと別の心配が出てきてしまった。
「ええ、忙しくて色々と整理ができなくて、困っていたのです」
「ああ、それなら。喜んで」
部屋の掃除や整理であれば、手を動かしていれば問題ないだろうと思った。アンドレアは何かしてしまいそうで、自分が信用できないという複雑な心境だった。
「良かった。それじゃ楽しみにしています」
アンドレアの心配をよそに、ローレンスはキラキラとした聖人のような微笑みで答えた。
アンドレアは罪人のような気持ちで、ぎこちない笑顔を返したのだった。
□□□
週末、アンドレアは学生寮の最上階、これまた王族しか入れないスペースに許可をもらって入った。
さすが、特別仕様の階だけあって、廊下もハナメンという模様の入った石が綺麗にはめられていて高級感があった。
それぞれの部屋のドアもまた、細かい彫刻細工がほどこされていて、模様でそれぞれの部屋が分かるようになっていた。
ローレンスの部屋は鳳凰の模様と聞いていたが、探すまでもなく廊下の突き当たりに、豪華で躍動感のある鳳凰の彫刻が見えた。
ノックをすると程なくして返事があり、恐る恐るドアを開けると、大きな円形のホールが広がっていた。
次の部屋へ続くドアが何ヵ所か付いている。
ドアを開けると、ベッドまで丸見えの下の部屋とは大違いだ。
足音がして、正面のドアが開いて、ローレンスが顔を出した。
今日は部屋の中だからか、長袖のゆったりした長い丈のチュニックにズボンという軽装だ。薄手で柔らかそうな素材だが、金糸で刺繍がほどこされていて高級感があった。
「アルバート!よく来てくださいました。お休みの日にありがとうございます」
満面の笑みで優雅に近づいてきたローレンスは、ごく自然に両手を広げて、そのままアンドレアに抱きついてきた。
腕の中にすっぽりとおさまってしまい、全く身動きがとれない。
「えっ……!えええっちょっ………」
まさか、自分の妄想の夢の中のローレンスが出てきてしまったのかと、真っ赤になって心臓が飛び出しそうになった。
「あぁ、驚かせてしまって、申し訳ありません。これは、フィランダーの親愛を示す挨拶なのですよ。外ではやらないですけど、この部屋は自分の国と同じ感覚でいたので……つい……」
ローレンス流のもてなしだったのかと、アンドレアは変な妄想ではなくて良かったと安堵して力を抜いた。
「いっ……いえ、そういう、ことなら。でも、あの…、けっこう長く…されるんですね」
ローレンスの胸の中におさまったまま、しばらく経っている。気のせいか、頭がもぞもぞしてくすぐったく感じる。
ローレンスはライオネルにもこんな挨拶をしているのだろうかと、また変な妄想が出てきてしまった。
「名残惜しいですが、こんなところでしょうか。どうぞ、こちらです」
親愛の挨拶がやっと終わって、ようやく部屋の中へ通してもらえた。
最初からこんなことでは、心臓がもたない。
通された部屋には、すでにお茶の用意がされていて、どうぞと座らされたうえに、ローレンスが手際よくお茶を出してくれて、これもどうぞとお菓子もつけてくれた。
部屋の中を見渡したが、ここは椅子とテーブルがあるだけだ。たぶん来客用の部屋でベッドなどがある自室はまた別にあるのだろう。
「頼みたいのは書斎の整理なんです。忙しくて手をつける暇もなくて…」
ローレンスの深刻そうな顔から、どんな荒れ具合なのかと気合いを入れたが、書斎はほとんど整理されていて、あっけなく終わってしまった。
ろくに働いていないのに、ご苦労様ですと、また別のお菓子を用意されていて、ただお茶を飲みに遊びにきたみたいで、申し訳なくなってきた。
「色々やっていただいた上に、申し訳ないのですが、今日来ていただいたのは、アルバートに教えてほしいことがあって……」
「はい。なんでしょう。俺に分かることなら何でも!」
アンドレアはやっと力になれると、喜んで目を輝かせた。
「アルバートは交際経験が豊富なのですよね?」
ローレンスの口から出てきた言葉に、驚きで何と答えていいか一瞬声が出なかった。
自分はアルバートだと言い聞かせて、なんとか声を絞り出した。
「はっ……はい」
「お恥ずかしながら、私は交際というものが上手くできなくて、いつもすぐだめになってしまうのです」
「ええ!?そんなまさか……!?」
容姿端麗、剣術にも秀でたローレンスが、女性にモテないはずがなかった。そんな格の違う男がまさか交際で悩んでいるなんて、想像もつかない。
「アルバートには、ぜひ、好きな相手の喜ばせ方を教えてもらいたかったのです」
「おおお……俺にですか!?」
「はい」
「好きな相手の喜ばせ方を?」
「はい。家の事情とはいえ、慣れていらっしゃるのでしょう?」
「えぇ…まぁ……」
アンドレアはパニックになりそうな気持ちをどうにか保つので精一杯だった。
こんな時、アルバートならなんと言うのか、というか、女性目線でどうしたら嬉しいか考える方が早いかもしれない。
いつの間にか、近くに来ていたローレンスは、アンドレアが座っていた長椅子の隣に座ってしまい、かなり近い距離に心臓はドクドクと揺れ出した。
「こうやって二人きりでいる時は、なんと声をかけるのでしょうか。私に実践でやってみていただけませんか?」
「やっ…やってみるんですか!?」
「ええ、ぜひ」
アンドレアは完全にパニックになった。何をどうしたらいいのかさっぱり分からない。適当なことを言ったら怪しまれてしまう。
とにかく兄がどうしていたかを頭に巡らせた。
「ふっ二人きりのときは、女性は緊張していると思います。リラックスさせるように、何か会話をして楽しい雰囲気を作ります……」
「なるほど…それで?」
¨女の子はさー、多少強引な方が嬉しいんだよ。真面目とか紳士であるとかさ、そういうのは、二人きりの場面では、ただの気が利かないやつなわけ。目が合った瞬間が狙い目、そこで一気に猛攻を仕掛ける!耳元で甘い言葉を囁いて、女の子が赤くなったら………¨
兄の言葉がぐるぐるとアンドレアの頭を回っていく。
「多少の強引さも必要で……、話していて目があったら……耳元で甘い言葉を……」
混乱する頭をなんとか動かしながら、顔を上げるとローレンスとバッチリ目が合った。
「甘い言葉ですか?」
ローレンスの薄紫の瞳と目が合うと、痺れたように体が固まってしまった。
目線を下に下げると、あの夢の中で自分から奪いにいった口許が見える。
心臓はドクドクと鳴りやまないし、熱くなって汗が止まらない。もうアンドレアは限界だった。
「あぁ、だめです。やっぱり俺…すみません。これ以上は……」
女の子を赤くさせるどころの話ではなく、自分が真っ赤になって泣きそうになっているのだから、遊び人の名前は完全に詐欺だ。
「その、女の子が相手じゃないと…勝手が違うというか……」
悔しいので言い訳だけは、一応言っておくのは忘れなかった。
ローレンスを見上げると、いつもの優しい笑顔だがどことなく、視線に感じたことのないような強さを感じた。それは、まるで、剣を手に向かい合っているときに似ている。ゾクゾクと痺れる感覚が背中をかけ上がった。
「では、逆にしましょう。私は勝手とか気にしないので、実践してみますので、感想を言ってください」
「え?」
ローレンスが耳元に口を寄せてきた。とんでもなく近い距離に、信じられない気持ちで全く動けない。
「アルバート……、そんなに顔を赤くして、目を潤ませて…可愛いですね」
「!!」
「その赤い唇は果実のようですね。今すぐ食べてしまいたい……」
「ちょっ……」
「あぁ、そんなに開いたら大きな目がこぼれ落ちてしまいそうですよ。目を閉じてください。それとも、私のキスでないと閉じられませんか?」
「ちょっと!待ってー!」
気がつくと、アンドレアの背中は長椅子の座面に付いていて、完全にローレンスに押し倒されている形になっていた。
「なんですか?まだ実践練習中なのですが?」
ローレンスの顔には、不満そうでもあり楽しそうな顔が浮かんでいる。
「もう、十分に分かりました。その勢いならローレンスは全然大丈夫です。今すぐどこの令嬢でもオトせます」
「……分かりません」
それだけ巧みに使いこなせて、何が練習かと思っていたのに、これ以上のことを聞かれても、アンドレアに分かるはずがない。
「これ以上何を知りたいのですか?俺よりよっぽどご存じかと思いますよ……」
「いいえ、分かりません。一番オトしたい相手が目の前にいるのに、どうしたらいいか分からないのです」
ローレンスが何を言ったのか、一瞬分からなかった。言葉遊びの続きみたいに、流れるように耳に入ってきて、その意味が頭の中に染み込んでいくと、信じられないと否定する気持ちが飛び出してきた。
「え?オトしたい相手って…、嘘……」
近すぎる距離に外していた視線をローレンスに向けると、紫と青の目に完全に捕らえられてしまった。
「あなたです。アルバート」
聞き間違いようがない至近距離で、ローレンスは兄の名を呼んで、アンドレアを見つめていた。
これは夢の続きなのか。
アンドレアは自分で答えを出すしかなかった。
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