⑬夢か現実か
とんでもない夢を見てしまった。
体調不良で保健室で寝ていた日、放課後まで熟睡してしまい、結局校医に起こされてやっと気がついた。
校医の話では、自分が会議から戻るまでローレンスが付いていてくれたそうだ。
アンドレアは、寝言で変なことでも口走らなかったか気が気ではなかった。
なぜなら、とんでもない夢を見てしまったからだ。
覚えているのは、華やかなダンスパーティーの会場。
アンドレアは真っ白なドレスを着て、集まった人々の間を縫うように、誰かを探していた。
探しても探しても見つからず、泣きそうになっていると、その人の姿をやっと見つけることができた。
その人もこちらに気がついて、名前を呼んでくれた。
だが、アルバートと呼ばれてしまった。
アンドレアは急いで近づいて、ちがう!と怒ってその人に抱きつくのだ。
見上げるとその人は、ふわりと優しい微笑みを浮かべていた。
アンドレアは嬉しくなって、その人の名前を呼ぶ。
ローレンス
名前を呼ぶと、ローレンスはどこへ行っていたの?と聞いてきた。
そして、もう私から離れないでと言ってくれた。
そんな甘い言葉を言ってくれるなんて、嬉しくて嬉しくて、アンドレアはローレンスの首にしがみついて、なんと、自分からキスをするのだ。
経験豊富な兄と違い、アンドレアはキスどころか初恋の経験もないほど真っ白なはずなのに。
なぜか、自分から積極的にローレンスの唇を貪るように求める。
舌を絡めて吸って、唾を飲んで、息苦しさも快楽のひとつというくらいに、ぐいぐい求め続ける。
何度だって自分に確認するが、決して口づけなどしたことはない!しかも、舌をどうにかするなど、アルバートから話を聞いただけで、真っ赤になって逃げ出した自分が、なんということをしているのか。
夢なのだ。夢なのだけれど、ものすごい現実のようで、その唇の感触や、舌のざらついた感じ、息苦しさまで、本当のことのように覚えているのだ。
保健室で起きたときは、最初は呆然としていて、夢の中の自分を思い出すにつれて、叫び出しそうなくらい恥ずかしさと、よく分からない熱を感じて、走って寮まで帰ったほどだった。
自分の願望があのような形になって現れたのか、信じられない思いで、帰ってからもしばらく一人で膝を抱えて呆然としていた。
ルイスの様子もまたおかしかった。
アンドレアが帰ってきたら、死人でも見たみたいに、キャーっと叫んで転がったかと思ったら、何でもない聞かないでくれの一点張りで、とりつく島もない。
かと思えば、意味ありげにこちらに視線を送ってきたと思ったら、目が合うと真っ赤になって目をそらすの繰り返し。
とにかく部屋にいると、結局一人ではないので疲れるだけで、朝は早めに寮を出て教室に入ったのだ。
「昨日変な夢見てさー」
完全に自分の世界に入っていたのに、レイメルの言葉で、椅子から落ちそうなほど驚いた。
気がつけば、いつものうるさい双子が、アンドレアを挟んで、またペチャクチャと話していた。
「でかいネズミが追いかけてきて逃げるんだよ。でも持っていたチーズを取られたくなくて泣きながら走って逃げる夢だよ」
レイメルの、のんきな夢の内容にアンドレアはなんだよそんな夢かと言って、力が抜けて机に突っ伏した。
「なんだよって!僕はチーズを守るために必死だったんだよ!ひどいなぁアルバートは!」
頬を膨らませて怒るレイメルの可愛らしい姿に、少しだけ気持ちが和んだ。
「なぁ……、やけに現実みたいな夢って見たことないか…?」
「なにそれ?アルちゃん、どんな夢みたの?」
アンドレアが思わず投げてしまった質問を、目ざとくランレイが拾って投げ返してきた。
最近ランレイにはアルちゃんと呼ばれていて、やめろと言っても聞かないので諦めて受け入れている。
「い!いゃ…内容は、その、言えないんだけど。手触り?触感がやけに本物みたいに感じて……」
「なにそれ?パンの夢でも見たの?」
アンドレアの変な質問に、レイメルが大笑いしていた。
パンと言われて初めはなんだよと思ったアンドレアだったが、ふわふわとした柔らかさを思い出して、自分の唇を触った。
「……確かに……パンみたいだったかも」
一瞬誰もいなくなったように静かになって、ハッとして二人を見ると、真っ青な瞳が二人してキラリと光った。
「もしかして、アルバート!」
「もしかして、アルちゃん!」
アルバートは真っ赤になって急いで手を背中に隠した。何でもないフリをするが、閃いてしまった双子は、もう誰にも止められない。
「欲求不満なのアルバート?」
「そういえば、あれだけ町でブイブイ言わせてたのに、最近聞かないね」
「そそっっ、そんな訳ないだろう!なんだよブイブイって!」
そこまで言われて否定しながらも、アンドレアはハッとした。
自分の思いに素直になれないから、変な夢を見たのかもしれない。
「それで、相手は誰なの?カフェのお姉さん?酒場のお気に入りの子?」
「なんだそれは?そんなわけないだろう」
アンドレアが、心外だと睨みながら否定すると、双子は顔を見合わせた。
「え?いたって普通の健全な男子の妄想でしょ。若いんだからみんなそんなもんだよ」
可愛い外見で、あっけらかんと際どいことを言うレイメルに驚かされる。
「ふっ……普通なの?」
「普通だよ。ただでさえ、こんな男だらけの空間で窮屈しているのに、夢くらい好きなの見なきゃやってられないよ」
ランレイも簡単に肯定してくれたので、アンドレアは安堵した。妄想的な夢を見るのは、若さゆえ、仕方がないということであれば、一応納得はできる。
「そうか、それなら良かった……」
アンドレアは頬を赤らめながら、目元を潤ませて、悩ましげに遠くを見つめて自分の世界に入ってしまった。
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「これは、やばいね。何かあったな。いつもの五倍くらい振りまいてる」
「全くあの人は何しているんだか。ここは飢えた狼がたくさんいるのに、中途半端に手を出すからこういう事に……」
レイメルとランレイかヒソヒソと話し合う間も、アルバートは遠くを見ながら、熱いため息をついていた。
きっかけはイアンとの決闘だった。
あの方に聞かれたとき、アルバートがクラスでの人間関係が上手くいっていないことは、さらりと伝えていたが、まさかの事態にレイメルもランレイも驚いた。
そして、ちゃんと動いていなかったことを散々怒られて渋々アルバートに声をかけたのだ。
レイメルとランレイの国はフィランダーだ。あの方、ローレンスは国の王子であり、従兄弟でもある。
ローレンスが一時期、王都から消えて、再び戻ってきた辺りから、顔を合わせるようになり、友人というよりは、使いっぱしりのような関係で、ローレンスの知りたい情報を得るための手伝いをしていた。
同じ歳であったため、学園にも同じ時期に入学した。特別クラスには入れなかったが、普通クラスで過ごしながら、呼ばれれば細々とした手伝いはしていた。
そんな自国の王子様が、どうやら普通クラスの男と友人になったらしいと聞いて二人して物好きだなと思ったのだ。
アルバートという名前とクラスでどうしているかなど聞かれたので、ただの気まぐれだろうと適当に話しておいた。
なぜならアルバートのことを、レイメルもランレイも良く思っていなかった。
同じクラスであるが、話したこともない。
綺麗な顔はしているが、いつも人を見下すような態度で、ルイス以外の他人を毛嫌いしているように見えた。
そのくせ、学園の数少ない女性達に片っ端から声をかけて、根っからの女好きで、頭の軽いくだらない男にしか見えなかった。
まさか、イアンとの争いで決闘までしてしまうとは、そこまで熱いものを内に秘めていたのかと驚いたほどだった。
結局、アルバートは人気者になってしまい、次々と声をかけられるようになってしまった。
本人も慣れていない様子であったし、ローレンスからも今度こそちゃんと見ておけと言われてしまったので、渋々近づいた。
初めて二人で話しかけたとき、アルバートは大きな目をいっぱいに開いて、レイメルとランレイを見比べた。
二人は双子なの?と今さら驚いていた。
一年同じクラスにいて、今さらかよとランレイが突っ込むと、今度は青い顔をして、知っていたけど言えなかったとかよく分からないことを言い始めた。
かと思ったら、確かに二人で耳たぶを触っているねと、二人のクセを発見して嬉しそうに笑った。
その屈託のない笑顔に、今までもっていた苦手な印象は飛んでいった。
レイメルとランレイの世界は二人で完結する。見た目は似ていない二人だけど、性格や好みは似ていて、話すことも遊ぶことも二人いればそれで満足できた。
だから、二人でペラペラと喋っていれば、みんな疎外感を受けるらしく、気がつけばいつも二人だけだった。
アルバートの前でも、二人でいつものように喋り倒して、夢中になりすぎたと気がついて、やっとアルバートの方を見たら、アルバートはごく自然に、それでその後はどうなったの?と聞いてきた。
なんとちゃんと真面目に会話を聞いていたらしく、普通に会話に入ってきた。
しかもしっかり感想つきで、レイメルやランレイの意見に、ダメだしまでしてきたのだ。
二人は唖然として顔を見合わせた。
それがレイメルとランレイの世界に初めて二人以外の人が入ってきた瞬間だった。
どうやら、ますます王子はアルバートに夢中のようだし、このアルバートもまんざらではない。というか、恋愛詐欺師みたいだった男がとても初な反応を見てせいて、見ていて飽きない。
面白いので王子には何も報告しないでいる。
「ねぇアルバート、さっきの時間のノート見せてよ」
「は?お前?授業中何していたんだよ!?」
社交的な方のレイメルは、すぐアルバートに慣れてベタベタとくっついている。
お陰で、他の連中は話しかけたくても、声をかけるタイミングを失ってしまい、のそのそと帰っていく。優秀な虫除けだ。
良い意味で雰囲気の変わったアルバートは、最近物憂げな表情を見せるようになって、美少年に磨きがかかり変な色気まで発するようになった。
ルイスは番犬としては抜けているので、使えないし、忙しく動き回っているのは双子の方だった。
「アルちゃん、僕にも見せてよ。アルちゃんがまとめたノートは分かりやすいんだ」
ランレイがさりげなくアルバートを褒めると、学生の本分についてレイメルに説いていたアルバートは、ちょっと照れた顔になって、分かったと言ってランレイも呼んでくれた。
アルバートは分かりやすく褒めてあげると、素直に喜んで動いてくれる。全くもって扱いやすくて可愛いとランレイは思っている。
「……二人ともさ、俺もいつまでも優しいわけじゃないと思うから……」
たまに、こうやってアルバートは変なことを言う。だが訳を聞いても教えてくれない。
アルバートを無視して、ランレイとレイメルで競い合いながらノートを写していると、アルバートはクスクスと笑った。
なんだよと、二人で声を揃えて抗議した。
「ごめん、ごめん。なんだか、仲が良くて良いなと思って……。二人とも弟みたいで可愛い」
なんだか、アルバートに言われた言葉が、しっくり来て、二人の胸にストンと落ちてきた。
「じゃ、お兄ちゃんこれもやって!」
「わーい!優しいお兄ちゃん、大好きー!」
「おい!ちょっと、調子に乗るな!」
もう少し、可愛く悩んでいる兄を見たいと思った二人は、やっぱり王子には何も報告しないでおこうと目配せして頷き合ったのであった。
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