⑪小さな誤解
入れ替わり生活も三週目に入り、どこに何があるかも把握して、日々の生活は不自由なく過ごせるようになった。
ただやはり、いつも苦労することがある。
それは、実技、運動の授業で着替えることだ。
実技の授業は、剣術、馬術、体術、持久訓練がある。その日の内容によって場所が変わるが、基本的に着替えは専用の脱衣場で行う。
男同士気にすることもないというやつは、脱衣場に入る前から、上半身を脱いでふざけているし、中ではみんな適当なところに荷物を置いて、さくさく脱いで着替えてしまう。
一応、個室が何個かあるが、目隠し部分が真ん中に少しだけというタイプで、上は鎖骨付近、下は膝上の辺りまで見えてしまう。
今まで、アンドレアに注目する人間などいなかったので、個室に入って前にルイスに立ってもらい手早くすませていたが、変に注目されるようになり、アルバートはいつも個室だななどと、からかわれるようになってしまった。
仕方がないので、皆が着替えを終わる頃に入って運動服に着替えて、皆が制服に着替え終わった頃に入るという、常に最後の一人を狙っていくしかなかった。
なので、どちらもいつも時間がギリギリで、走り回ることになり忙しかった。
「今日は持久訓練だな。山をかけ上がって、かけ下りてくるやつだ」
朝、予定を確認していると、ルイスの言葉にアンドレアは顔を歪ませた。
「それって…砂ぼこりだらけになるやつ…、最悪だ」
学園の北にある山での単純な上り下りの訓練だが、終わると全員もれなく砂ぼこりで白くなるのだ。
脱衣場には、簡単な水をかけれる場所があるので、みんなそこでバシャバシャ砂を落として着替えるのだが、当然のように裸にならなくてはいけない。
前回は個室に桶を持ち込んで、頭と顔だけ洗って体は拭いて我慢した。
それでも、体がごわごわして寮に帰るまで気持ち悪くて仕方がなかった。
嫌だと思っても受けるしかない。持久訓練は見学は厳禁なのだ。
授業が始まると案の定、全身砂だらけになり、しかも調子に乗った生徒が、前日の雨がたまっていた場所から泥団子を作って投げ出した。
そのあとはもう…、男が集まって泥団子で盛り上がらないわけがなく…、クラス全員で投げ合って大騒ぎになった。
なんとか岩影に隠れたアンドレアだったが、気配を感じて振り向くと、レイメルとランレイが立っていて二人して息があったように、ニヤリと笑った。
嫌な予感しかしなかった。
「アルバートみーつけた」
「ひぃぃぃーー!やめろー!!!」
アンドレアの絶叫が山に響きわたった。
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「最悪だ!あの双子め!信じられない。頭から泥水をかけるなんて!もう、絶対口聞かない、もうやだ!」
山頂で軽く水で流したが、染み込んだ泥が取れるはずもなく、アンドレアは脱衣場の外で人が減るのを待っていた。
幸いまだ寒くはないので、風邪をひくことはなさそうだが、時間が経つにつれて泥が固まってくるので、泣きたくなってきた。
「え?アルバート……?ですか!?」
こういう状況に限って、一番会いたくない人に会ってしまうものだ。
どうしたのかと、心配そうにこちらに近づいて来てしまった。
「ローレンス…、山の訓練でクラスで大騒ぎしちゃって…」
「ああ…、そういうことですか。早く洗った方が良いですよ」
「あー……いや、それが…、洗い場が混んでいて、順番待ちで……」
確かにそういうことなので、まだ当分人がいなくなりそうになかった。
「ぷっ……ははははっ、なんだお前、ひどい格好だな。泥人形じゃないか!はははっ」
移動教室なのか、ライオネルまでこちらに来てしまった。うるさいやつの登場に、もう泣いてしまおうかなという気持ちになってきた。
「ここの脱衣場はどんな洗い場になっているのですか?」
一般の貴族と王族の施設は違う。ローレンスは中の構造を知らないようだった。
「ん?あぁ、俺はここが近いからたまに使うけど、洗い場は男が5、6人はいっせいに入って洗えるぞ。まぁ、その調子じゃみんな裸でふざけてるだろうな」
ライオネルが言った通り、今ごろ男同士で水を掛け合って大騒ぎしているだろう。とてもじゃないけれど、そんな中に入れない。次の時間は自習なのが救いだった。
とにかく皆がいなくなるのを待とうと思っていたのだ。
その時、バサバサと何か落ちるような音がして見ると、ローレンスのまわりに教科書が散乱していた。
ローレンスは青い顔をして固まっている。
「ローレンス…?だっ…大丈夫ですか?」
「だめです!絶対にだめです!!」
「はい?なにが……」
ローレンスにしては珍しくえらく取り乱して、ライオネルに教科書を拾っておくように言って、アンドレアの手をとって歩き出した。
後ろでブーブー言っているライオネルの声が聞こえた。
「あの…?俺、こんな汚れてて…、どこへ?」
「こっちです。王族用の施設を使ってください。私が言えば入れますから」
強引な申し出だったが、今のアンドレアには嬉しい提案だった。何しろ、もうすぐ本当に固まって人形になるかと思っていたのだ。
「……は!と言うことは、今までアルバートは、あの洗い場を使っていたのですよね」
「ええ…まぁ…」
正確には、アンドレアはちゃんと使用していないが、アルバートは普通に皆と汗を流していただろうと思われる。
「いつも5、6人と一緒に!?」
「まぁ……そういうことになりますね」
ローレンスが手を引く力がやけに強くなり、アンドレアは何事かと思いながら付いていった。
王族専用の施設は、入り口でのチェックがあったが、もちろんローレンスの顔パスですんなり入ることが出来た。
しかも彼は私の紹介だから、自由に使えるようにしてくれと警備に伝えてくれて、これからもこちらを使って良いからと、不憫に思ってくれたのか、嬉しすぎる紹介をしてもらえた。
施設の中はさすがに広くて綺麗に造られていて、羨ましいくらいだった。
脱衣スペースはほぼ個室で、洗い場もなんと何ヵ所もあり、一人で使えるようになっていた。
お湯も常時使用できるので、至れり尽くせりである。
早速お礼を言って、使わせてもらうことになった。何故か不機嫌そうなローレンスが気になったが、連れてきてもらえて文句は言えない。
嬉しかったのは、香りつきの石鹸が置いてあったのだ。寮にも石鹸はあるが、男子向けなので香りなど一切含まれていない、洗い上がりもごわごわしたものだった。
それが王族用は、さすが莫大な寄付金を支払っているだけある。些細なことだが、アンドレアとしては嬉しかった。
当然のように洗い上がりの髪は、艶々でしっとりとした手触りで、感動してしまった。
ローレンスが手配してくれて、置いてきた着替えも袋ごと運んでもらっていた。汚れたとき用の予備の布を巻いて胸を隠して、制服を着ればアルバートの完成だった。
全て終えて髪を拭いていると、ローレンスが様子を見に来てくれた。
「ローレンス!すっかり、綺麗になりました。本当に助かりました!」
久しぶりに艶々で綺麗になった気がして、興奮しながらお礼を言った。
ローレンスは驚いた表情で、じっとこちらを見てきたので、アンドレアの心臓はどきどきと鳴り出した。
「アルバートはずいぶんと髪が長いのですね。腰までありそうですよ」
そういえば髪を拭いていたので、今はアンドレアのように髪を垂らしている状態だった。
しかし、これでも学園に入るために、アルバートに合わせて短くしたのだ。
「あぁ、はい。妹が長い方が良いとうるさくて……」
言い訳が面倒なときは、アンドレアのせいにしてしまおうと、最近学んでいたのだ。
のんきに答えていたら、ローレンスはアンドレアの後ろに座って、髪を拭くのを手伝いだした。もちろん遠慮したが、いいからと言われて押しきられてしまった。
「アルバートは妹がいるのですね。どんな方なのですか?」
まさかアンドレアのことを聞かれると思わなかったので、答えが用意できていなかった。
「え?えぇと……、真面目で大人しい…ですかね」
「では、アルバートとよく似ていますね」
「そっ……そんな!正反対です…。俺はすごい遊び人だから……」
そこまで言うと、ローレンスはうーんと言って手を止めた。
「実は食堂で話す前から、私はアルバートのことを知っていたんですよ。どこにいても女性を口説いていて不誠実な方と見ていました」
「ええ!?」
まさか、ローレンスがアルバートを知っていたとはビックリだし、この男だらけの学園で、それでも女性を口説こうとしていた兄にも驚いた。
「でも、こうやって実際付き合ってみると、どうしても、あの不誠実なアルバートと、今のあなたが結び付かないのです。素直で真面目で熱いあなたが、本当のアルバートではないかと思うのです」
ローレンスは全体像は把握していないだろうが、人間が違うという違和感を捉えていた。
どう言えばいいのか、完全に頭がパニックになっていた。
「もしかして、以前のアルバートは、何か特別な事情があってそうされていたのですか?」
ローレンスから助け船が出されたので、アンドレアは急いでそれに乗ることにした。
「そっ、そうです…。家族の事情で色々あって……」
何の事情だと自分でおかしく思いながらも、そうやって言っておけば、深く追求はされないだろうと思った。
そして思った通り、ローレンスは少し複雑そうな顔をしたが、それ以上は深く聞いてこなかった。
「アルバートの妹は、何と言う名前なのですか?」
「…あ…アンドレア……」
「アンドレアですか。素敵なお名前ですね。あなたの妹ですから、きっと心の優しい綺麗な方なのでしょう」
ローレンスの口から、その名前が出るとは思っていなかった。
もしも、願いが叶うなら、その名前で自分を呼んで欲しい。
でも、こうやって皆を騙している自分に、その資格はない。
濡れない程度に乾いた髪を適当にまとめて、ローレンスにまたお礼を言って施設を出た。
母からの手紙が届いたのは、その日の夜だった。
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