⑩三人目の孤独
目を閉じてうたた寝をしている彼を見つけたときは、なんて可愛くて美しい生き物なのだろうと思ってしまった。
触れたら壊れてしまいそうで、でも近づきたくて横に座った。かくかくと揺れていた頭が落ちないようにと、自分に言い訳をして肩を寄せると、待っていたかのように彼の頭が寄りかかってきた。
その無邪気な寝顔は甘い毒のようで、目に入れば簡単に身体中を支配してしまう。
思わず食らいついてしまいたい衝動を抱えて、ローレンスは小さくため息をついてごまかした。
全く困ったものだと思った。
自分の趣向はいたって普通だったはずだ。
今まで好きになって付き合った人は女性だったし、男をそういう対象で見たことなど一度もないのだ。
ローレンスはフィランダー王国の第三王子である。次は王女をと言われていたときに、三男として生まれた。
長兄は王としての教育を徹底的に叩き込まれていたし、次兄は補佐が出来るようにと、同じ環境で教育を受けていた。
大した期待もされず、むしろ兄達の邪魔だと、早々に田舎に住む母方の祖父の家に預けられた。
祖父は穏やかな人で、早くに妻を亡くしてから、心を病んで田舎に引きこもってしまった。
祖父との暮らしは平穏だった。畑を耕し、野菜を育て、暗くなったら眠る。父に期待されることなく、見捨てられるようにこの地に送られたことを初めは恨んでいたが、その気持ちもやがてなくなった。
祖父は野菜作りの名手でもあったが、かなりの剣の使い手でもあった。
初めは練習用に木を切って、小さな剣を作ってくれた。毎日それを振って遊んでいたら、やがて祖父が稽古をつけてくれるようになった。
打てば響くと言われた。
祖父の才能を受け継いだのか分からないが、めきめきと上達した。
その頃、あれだけ邪魔だからと、遠ざけたくせに突然王都に戻されることになった。
祖父との別れを惜しみつつ、王都に戻ると、長兄は城にいなかった。完璧な教育を受けていたくせに、やっぱり自分は王にはなれないと言って、行方をくらませてしまった。
聞けば、勉強は頭に入らず、剣は握ると震えて動けず、落馬して以来恐ろしくて乗れないというひどい状態で、ついに逃げ出してしまったのだった。
ならば次兄はというと、今までそこまで責任はないと軽く考えて生きてきたのに、急には無理だし、怖いと言い出して、すっかり引きこもって部屋から出なくなってしまった。
そこで急浮上したのが三男、ローレンスだった。
祖父の家で独学で学問を習得し、王都に戻っても非常に優秀、剣を握らせれば、とんでもなく強いと、まさに皆が求めていた期待の星になってしまった。
そうして、学園に入る歳になったが、いまだ誰が王位につくかというのは、決められていない。
長兄が心を改めて帰ってくるかもしれないし、次兄が責任を感じて立つと言い出すかもしれない。いずれにしても、三番目であるがゆえ、自分がこうと決められない微妙な位置なのだ。
ローレンスとしては、追い出しておいて今さらという気持ちもあるが、もし自分が求められるのであれば、国のためそれに答えたいという気持ちでいた。
ただ単に、三番目という気楽な立場であれば、思うままに好きになった相手を求めても良いのだろう。それが男であっても、付き合う者達がいることも知っている。
結婚は出来ないが、王族としての立場を使えば、それに近いような関係で添い遂げることも出来るかもしれない。
しかし、王に選ばれたら、傷つけることになってしまう……。
そこまで考えてローレンスは頭を振った。
そもそも、自分と彼は恋人ではないし、気持ちが通じ合ってさえいない。
しかも彼は女好きで有名で、サファイアの城下町では、彼の帰りを待つ女性がたくさんいるらしい。
「悩む以前の問題ですね……」
そう言ってローレンスは苦笑した。
彼のことは一年の時から何度か見かけたことがあって一方的に知っていた。
と言うのも、初めて見たときの彼は、廊下で事務員の女性を口説いていた。
まさか、こんなところで堂々と職員を口説く生徒がいるのかと驚いたのだ。
次に見たときは、女教師を、その次は、聖歌を歌いに来た聖職者の女性まで……。
とんでもない男がいるものだと憤慨した。ローレンスの国であるフィランダーは、女性には賛美の言葉を惜しまなく贈り、褒め称えて大切にするという考えがある。
次々と女性に手を出すような軽い男は、フィランダーでは男として失格と評価されるのだ。
悪くしか思っていなかったが、その際立った容姿はやけに印象に残っていた。
そして、あの夏期休暇明けの食堂で、初めて彼と話すことになった。
人が少なかったので、その日は珍しく食堂に行くと、となりの席に必死で野菜を分けている彼の姿があった。
女性には次々と手を出すくせに、野菜はやけに好き嫌いがあるのかと呆れたが、わざわざ野菜炒めを頼むのがおかしくて笑ってしまった。
すると、笑われたからか、彼はこちらを睨んできたのだが、その顔がやけに可愛かったのだ。
まるで、覚えたての怖い顔を必死にしようとしている子供のようで、上手く振る舞えていると得意気になっている顔も可愛かった。
今さら新入生の洗礼に引っ掛かっているところもそうだし、真っ赤になって怒る反応にも目を奪われてしまった。
あの廊下で見た、遊びなれた視線や言葉遣いで、女性を誘う方法を巧みに使いこなす男とは、とても同じだとは思えなかった。
それで興味が湧いて、友人になろうなどと、誘ってしまったのだった。
一目惚れなどと言う言葉は信じないし、彼は何度も見かけているのだから、一目ではないはずだが、一目惚れという言葉が何故かしっくりくるのだ。
興味程度と思っていたが、その日の対面で、本当は心を奪われてしまった。
なぜなら、次に中庭のガゼボで一人でいる彼を見つけたとき、心が踊ってしまった。
言葉を選びながら、悩みごとを相談してくる彼を見ながら、抱きしめてあげたい衝動を隠すので必死だった。
ただ大人しいかと思えば、かなりの情熱家で、色々悩んでいたのかもしれないが、クラスメイトとの揉め事で、なんと決闘をすることになってしまった。
彼が廊下で、キントメイアだとしてもお前を倒すと宣言したとき、その目線の強さと潔い心に、完全に私の心は痺れてしまった。
彼を失いたくない一心で、立会人に立候補してルールを変えて、彼が危ないときはいつでも助けるつもりで準備していた。
そんな私の苦労など必要ないかのように、彼は自力で相手を倒してしまったのだが。
だから、戦いの終わりを無視して突っ込んできて、彼を危険にさらしたイアンは、本当に殺してしまおうとまで思って頭に血が上ってしまったが、彼に止められてしまった。
なんとも可愛く説得してきた彼を、その場で抱きしめて、さらって閉じ込めてしまいたかった。
休日の二人きりの練習の時間は夢のようだった。
もちろん練習は真剣に行ったが、終わり際、彼は私の隠れた瞳が空の色より美しいと言ってくれた。
その言い方がやけに可愛らしく、まるで女性と話しているようで、ついに自分はおかしくなったのかとさえ思った。
彼は何故か慌てて帰ってしまったが、それで良かったのだと思う。
あの時、自分が彼に何をしようとしたのか。
あのままいたら、きっと……。
夢から覚めつつあるのか、彼はもぞもぞを顔を動かし始めた。
名前を呼ぶと、もう少しなどとまた可愛いことを言ってきたので、塞き止めていた思いが流れ出してしまった。
思わず丸くて可愛いおでこにキスをした。
すると、彼は寝惚けながら、とても幸せそうな顔で微笑んだ。
まるで何か罪を犯したみたいだった。
思いが知れてしまったら、この微笑みは崩れてしまうのだろうか。
寝惚けながらやっと起きて慌てる彼、アルバートを愛しい気持ちで見つめたのであった。
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