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心臓の持ち主

作者: 真宮克

 あるところに杉本という男がいた。

 杉本は四十半ばにして心臓病を患い、病院に通いながら薬漬けの日々を送っていた。しかし、杉本の「すぐに治る」という期待に反し、病は徐々に深刻化していった。


 何十回目かの通院で、担当医の瀬川が杉本に苦い顔を見せた。

「杉本さん、あなたの心臓は予想以上に悪くなるのが早いです」と。

 瀬川が言うには、心臓の移植手術をしなければ、杉本は助からないらしい。杉本は絶望の淵に立たされた。

「先生、もし手術をしなければ、私は······?」

「せいぜい三年、といったところでしょうか」

「ド、ドナーはどれくらいの期間で見つかるんでしょうか?」

「何とも言えませんね。長ければ数年かかってしまいますから」


 杉本は絶望の底まで落とされてしまった。

 今日は薬を変えて様子を見る、ということで帰路についた。


 その帰り道、杉本は酷く落ち込んでいた。

 ドナーを探している間に死んでしまうかもしれない。仮にドナーが見つかっても、適合しなければ手術は出来ない。

 いつ死んでもおかしくない状況に変わり、杉本は不安で涙が出た。

 四十半ばのいい大人が、家に着くなり、妻の顔を見るなり、おいおいと泣き出してしまった。


 妻は夫のその姿に病の重さを察すると、身体を震わせて縋るように抱きしめた。そして二人で涙を流して苦しんだ。

「ああ、神様。どうか夫を助けてください。ああ、神様。どうか、どうか」

 妻は杉本の背中でそう呟いた。

 杉本は自分の胸に手を当てて、心臓が動く度にひと粒涙を流していた。


 ***


 妻の願いが届いたのか、ドナーはひと月ほどで見つかった。

 電話を受けた杉本はすぐ病院に呼ばれ、その日のうちに手術することになった。

 病院に着くなり麻酔の説明や、手術の内容を聞かされ、あれよあれよという間に手術台に体を預けていた。


 手術室に瀬川が入ってきた。点滴や器具の確認をしている彼に、杉本は声をかけた。

「いやぁ、こんなに急ぐもんなんですね」

「ええ、急がなくてはいけないんですよ。移植手術は時間がかかりますしね」

「へぇ。手術日やら入院準備やら、確認しないもんでびっくりですよ。私ったらてっきりね、そういう話をたっぷり聞いてから手術すると思っていたので」

「すみませんね。ドナーの方がついさっきの事故で亡くなった方でして。杉本さんと適合したものだから、保存などしているよりか早く移してしまった方がいいかと思ったもので。さぁ麻酔がかかりますよ」


 瀬川がそう言うと、コンと後頭部を叩かれたような衝撃が走り、杉本は眠りに落ちていった。

 気がつくと、杉本は病室に寝っ転がっていて、その横に愛しい妻が寄り添っていた。

 妻は杉本が目を覚ますと目を潤ませて、杉本の手をきつく握った。杉本はピリピリとまだ痺れの残る手で握り返した。

「先生が明日様子を見に来るそうよ。あなた、体の方はどう?」

「ああ·····大丈夫」


 そう返すので精一杯だった。杉本は微かに動く胸に、自分が生きていることを実感した。


 ***


 その夜のことだった。杉本は夢を見た。

 真っ暗だった。とても真っ暗だった。しかし、自分の足元だけ明るかった。

 杉本は歩いた。真っ直ぐ歩いていった。

 歩いていったその先で、とある男性と出会った。

 全身に包帯を巻いていた。幾多もの点滴を繋いでいた。

 すきま風のような呼吸で懸命に生きようとしていた。

 杉本は男性に二歩近づいた。男性は杉本に気がつくと、首を回して杉本を見つめた。


「お前か。お前か」

「私が何でしょう?」

「お前か。俺の心臓もらったのは」

「へぇ? ああ、あなたですか。ドナーの方は」


 男性はククッと笑ったかと思うと、とても瀕死とは思えない高笑いをした。包帯の隙間から見える目は血の色をしていて、黒目がユラユラと落ち着きなく揺れていた。

 男性はいきなり自分の胸を鷲掴みすると、骨を折りながら自分の体内に手を入れた。そして、心臓をずるりと引っ張り出すと、杉本に向かって投げつけた。

 杉本は慌ててそれを掴むと、手の中で心臓は強く拍動を続けた。

 男性は自身の体が崩れていくのを楽しむかのように笑うと、杉本に言った。



「どうだい。俺の心臓は」



 ***


 杉本は目を覚ました。

 驚いて起き上がると、汗をかいた胸に自分の手を押し当てた。

 心臓はちゃんと動いていた。杉本の中でちゃんと動いていた。

 杉本は近くのタオルで汗を拭った。ふと廊下から看護師の会話が聞こえてきた。

「昨日運ばれてきた事故の人、仮釈放されたばっかりだったんだって」

「え〜! そうなの?」

「警察が来ててさぁ、何か話を聞いた限りじゃまた強盗やって逃げてたらしいのよ」

「それで事故に? いい気味じゃない」

「それがさぁ、運ばれてきて瀬川先生が見るまでは、まだ生きてたっていうのよ」

「そうなんだ。瀬川先生も大変ね。悪人も助けなきゃいけなかったんだから」

「ホントよね。でも結局助からなかったみたいだし、いいんじゃない?」


 杉本はまた自分の心臓に手を当てた。

 そして動き続ける心臓に、杉本は歯を食いしばり、爪を立てた。

 それ以来、杉本は瀬川と話すのが嫌いになった。特に、あの言葉が嫌いだった。



「杉本さん。心臓の調子はいかがですか」



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