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「……様っ」
誰か、呼んでる……?
薄目の中、かすかに差し込んだ光と呼ばれた声で徐々に覚醒していく感覚。ゆっくりと瞼を上げると、そこには心配そうに見つめる女性の顔があった。その女性は目を見開き、ホッと安心したように微笑んできた。
「ヴィオレット様!大丈夫ですか?お待ち下さいね。今、旦那様と奥様を呼んで参りますので」
慌てて部屋を出ていった女性を見ながら、この状況を確認する。広い部屋はアンティーク調の高そうな家具が置かれており、自分が寝ていたであろうベッドは天蓋がつるされていてとても大きい。
どこのお姫様か、と思うくらい素敵な部屋だった。スイートホテルでも泊まったかな?いや、その前にヴィオレットって名前?私の事?
理解不能な状況にいまだ混乱していた。ベッドから起き上がると、シルクの質感の良いパジャマのワンピースに驚いた。けれどそれよりも、
「え?」
おかしい。立ち上がった自分の目線はいつもより低いような、手足が小さく、ミディアムくらいの髪がロングだし、金髪だなんて。
「か、鏡」
部屋を探すとドレッサーらしき物に大きな鏡を発見して、恐る恐る覗き込む。
――嘘。
鏡に写りこんだのは、明らかに日本人ではない見た目の10歳くらいの金髪美少女であった。ペタペタと手で顔を触る。え、え?え……?誰?待って、私、えっと船が転覆して溺れて息ができなくて苦しくて、死んだ?のよね?夜の海に投げ出された身体は体温と体力を下げ、力尽きたはず。
これは一体。けれど、この顔はどこかで見覚えある顔に感じた。ヴィオレット、とあの女性がはっきり言ったのだ。聞き覚えあるんだよなあ。悩んでいると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ヴィオ!」
勢いよく入ってきたのは、美男美女と私より少し年上ほどのイケメン少年。今にも泣き出しそうな人物達を見て、またもや既視感が襲う。
「ああ、良かった。ヴィオ起き上がって大丈夫かい?痛い所とかはない?」
イケメン男性が近付いて優しく聞いてくる。自分もこの人達も何者なのか分からない状況で声を出せずにとりあえずコクリと頷いた。そしてふわりと抱き締めてくれた。それに続き美女とイケメン少年も。でも、ちょっとだけ苦しい。
「私の可愛いヴィオ本当に良かったわ」
「僕の天使ヴィオ。神よありがとう」
深く愛されているこのヴィオレットに、ただただ考える。
「貴女3日も目を覚まさなかったのよ?湖で溺れてしまうなんて……母は生きた心地がしませんでしたわよ」
溺れた?ヴィオレットも?……って母なの?若い。チラリと隣を見る。ということはお父さんよね。凄い一族。いまだ私を離さない少年もさすがの遺伝子。
「シオン、そんなに強く抱きしめたらヴィオが痛いだろう?」
――シオン?ドクンと胸が高鳴ると共に、聞いたことある名前、見たことある顔、ヴィオレットという名前……突如としてある記憶がまいこんできた。
『お前が妹だなんて家の恥だ』
『婚約は破棄だ。救いようのない女だな』
『――嬢と俺らの前に姿を見せるな』
『痛い目みせてあげるから』
それは一人の少女が見目麗しいイケメン達に断罪されている場面。後ろには薄桃色の髪の少女が不安げに様子を見ている、ヒロイン、カノン。癒やしの力をもつ優しい少女。学園に通う王子達と成長しながら恋を育む、そう、乙女ゲームの世界。
――思い出した。
ヴィオレットは我儘令嬢に育ち、身分の高さを盾に他の令嬢達を従わせ、未来の王妃だと、自分の思い通りのまま行動する悪役令嬢の鉄板キャラだ。王子の心をすぐに奪うヒロインへの嫉妬、嫌がらせ、毒殺未遂、最悪のエンドを迎えるヴィオレット。
つまり、よくある転生?いや、よくあるではない、想像上ね小説とかね。でも本当に私が?それなのに、また死んじゃうの?
「最悪だ」
未来のヴィオレットを悲観して頭の中が真っ白になる。目が覚めたばかりの私は再び目を閉じた。
「ヴィオ?!」
焦るその顔は実の兄であるシオン。攻略対象者の一人。元々はヴィオレットを溺愛し我儘も許していたシオン。しかし成長するに連れ人間性が酷くなるヴィオレットに甘やかしていたことを後悔する。ヒロイン、カノンに出会い、彼女に惹かれるとともにヴィオレットのカノンに対する数々の行いに憤慨、エインズワース家から追放してしまう。その後、追放先へと運ばれる最中、従者により殺されてしまうのだ。
――シオンに対しては今の所フラグは立っていない。
SWEETMAGIC〜魔法と学園〜。私が高校生の時初めてプレイした乙女ゲーム。その舞台が今まさに現実に起きている。○リー○ッター好きとしては、魔法やファンタジーの世界観は私好み。とてもハマったゲームである。ヒロインがとても可愛いし、最推しのキャラの騎士様は逞しい胸板、二の腕の筋肉もマッチョすぎず好みの身体だ。もちろん顔も。ふふ。
2歳年上の王子フィルマ殿下とはヴィオレットが5歳からの出会い。問題はこの王子殿下。見た目天使中身残念なヴィオレットとは、フィルマルートの回想にて既に良くは思われていない。表面上の作り笑いは義務感が7歳にして表れていた。幼少期のフィルマは王位継承権は3番目であり2人の腹違いの兄がいた。フィルマの母よりも高い身分の母の王子達。ちなみに王から最も寵愛を受けていたのはフィルマの母、側妃のミリアンナ様。
しかし、正妃と兄が不慮の事故で亡くなり、もう一人の兄は病で亡くなりその母である側妃も伏せているらしい。なのでフィルマが繰り上がるのは当然のこと。兄とは違い比較的自由に過ごしていたが、一気に取り巻く環境が変わり、王になるための勉強の日々、媚びる者、亡くなった兄達の派閥貴族からのあられもない言葉。そして魔力の強さについても痛い内容であった。
王族は魔力が強く、王になる者は特に。けれどフィルマは魔力の高さがいまいちでそれも懸念されていた。魔力の高い優秀な兄に魔力の低い弟。誰かが言う。
――あっちが死ねば良かったのに。
そこで、後ろ盾になる最も強い影響力のあるエインズワース家と婚姻を結ぶ事になったのだ。政略結婚は当たり前。元々、ヴィオレットは王子様と結婚が夢だったので喜んでいたが、可愛い夢が崩れていくとは知らずに。
当のフィルマは心を閉ざし、素を見せない少年となった。
けれど、紫織は知っている。フィルマが膨大な魔力を持っている事に。正妃側についていた魔術師がフィルマの魔力を抑えているのだ。お城の中は恐ろしいものだ。
学園でヒロインと惹かれ合い癒やされ成長し、原因となった魔術師と対決。本来の魔力を取り戻すのだ。そうして周りも認めさせる立派な殿下になり、自分を変えたカノンと人生を歩んでいきたいと願う。
ハッピーエンド。初心者乙女ゲームの紫織にとって王子ルートのハッピーエンドはまさに王道。騎士ルートの次に2番目に好きなルート。そこから、色んな乙女ゲームに手を出していくのだが、それは置いといて。
それよりも、完全にフィルマルートは危険。他の攻略対象者と違い既に出会い嫌われている。腐った性格のままいけば破滅しかない。フィルマルートもヴィオレットは死ぬ。
――とりあえず寝よう。本当は夢かもしれないし。
目覚めた直後は混乱し紫織が出ているが、ヴィオレットとして過ごした記憶も取り戻しています。