聖女候補と女聖騎士
ジークは自分があまり頭が良くないと思っている。
一つやっているともう一つの事はあっさり忘れる。
それは路地裏で生きる重要な資質であった。
「えっと指輪をおっさんに返さないと。あれおっさんになんか……あああ! あのおっさんおれにうそをつきやがった! 親父がなんとかかんとか……おふくろだったっけ?」
「……しらない」
ビナは冷たい足をさすってくれるジークが好きだ。
本当の兄だと思っている。
兄を奪われるような話はしたくない。
どうせこの兄はすぐ重要な話を忘れるのだから黙っておけば。
『それは正義か』
「うるさいもん」
彼女 は脳裏に輝く『ことば』を無視した。
昔から変な声を聴くのだが皆莫迦にするので彼女も人に話さなくなった。
唯一馬鹿にしないのはジークくらいだ。浮浪児仲間に対してもそうなのだから大人になんか話したことなどない。
「ん? おれうるさかった? ごめんな」
この兄は気遣いができる。
素直に目下の自分にも謝ってくれる。
「おにいちゃんはかみさまみたい」
「なにいってるのだおめ?!」
泥だらけの顔を真っ赤にして少年が照れるのでクスリと笑う。
そして凍った地面を軽く蹴って少年の前を進む。
「こら、からかうなビナ」
「ここまでおいでおにいちゃん」
彼女の足取りに合わせて追う足音に微笑む彼女。
ほとんどの足音は恐怖でしかないが、兄の足音は別。
ビナはジークが大好きだがジークもビナが好きだ。
勿論恋愛感情ではない。過酷な路地裏生活に足手まといの幼女など要らない。
実際何度捨てようと思ったか腹立ちまぎれに何度殴ろうと思ったかわからない。
だがジークは自制した。
ほとんどの子供たちにはこれが出来ない。
大人になっても出来ずそれは連鎖する。
ジークには優しくしかってくれる大人たちがいた。
怒ると叱るは別と教える人がいた。八つ当たりは恥ずかしいと律するせいで子供にからかわれる中年冒険者を知っている。
だから律した。
この怒りを自分の内に封じる。
そんな彼を妹は愛した。
だから力がなくとも拙くとも二人は協力し合って毎日を生きている。
ジークはビナを足手まといだと思ったことは何度もある。
あるのだがぐっとこらえて口に出さない。子供が無力なのは致し方ないとダッカ―ドも言っている。
それにビナは妙にカンが鋭く、本人言うところのかみさま云々はさておいても何度も危険を先に教えてくれている。
賢いことが幸せとは限らないのが路上生活というものでビナは心身ともに傷つきやすい。ジークはもっともっと強くなりたいと思っている。
無駄だとわかっているが時々棒きれを振っている。
「子供の頃は命をチップに冒険者になろうと愚かなことを考えた」
知り合いが無謀を咎める台詞だがその気持ちはジークにもよくわかる。
強くなりたい。
殴られたくない。
虐められたくない。
飢えたくない。
おなか一杯食べたい。
美味しいものが食べたい。
痛いのは嫌だ。
寒いのは嫌いだ。
温かい中にいたい。
もっともっともっと。
気づくと痛くなくなっていて、苦しくもない。
剣先と定めた曲がった棒が正しく弧を描き線となる。
それは一点の針であり貫く存在となる。
剣は全てを置き去りにする。
聖なる剣で全てを……。
「何を思い出したのだろう」
呆然としていたようだ。ビーネ嬢は兜を直して馬の腹を優しく蹴る。
「次代の聖女は見つかるのでしょうか」
「見つけるのが我らの使命だ」
異端審問官の資格を持つ法僧ミモザ嬢に女聖騎士は周囲の監視を怠ることなく応える。
その一方で昨日ビーネにやられた頭をさすりながらミルク嬢がぼやく。
ガンガンに詰め込まれてバシバシに掌で頭の上を叩かれた。
「だいたい先代がスラムからうまれたからって」
「代々、我ら『聖騎士』を統べる聖女は神々の教えと無縁なる無垢な存在だ」
なにそれ無茶苦茶じゃないと見習い神官。
「先代が『破壊の女神』の化身と相打ちにならなければこんな無駄なことしなくていいのに。でしょ。ミモザさん」
「正義神殿の『聖女』は名誉職です。しかし法で裁けぬ悪を断つと同じく制で救えぬ民を救う聖女捜索は重要ですよ」
異端審問官見習の言を受けて調子付く見習い神官の頭の上に六本羽蜻蛉が止まったが彼女は気づかない。
「正義神殿の聖女は教団の意向とほぼ関係ない。ただ強い加護を得た『使途』でしかないでしょ」
「聖騎士たちより強い加護は危険とみなされてしかるべきかと」
法僧は立派な剣を軽く撫でながら呟く。
彼女は馬に乗れないので驢馬の上で下男に引いてもらっている。
いまいちかっこよくない。
「えっと、主に異世界から来た『この世ならざるもの』や不死者などの自然ならざる存在を一撃で消し去るご加護とか聖騎士にならないと使えない高位な加護を」
「だれでも使えるはずだが」
それはビーネさん。あなたが『聖騎士』だからでしょう。
見習い神官は聖騎士にぼやく。部門が違うのに何故か組むことが多い。
ビーネは何故かミルクを従えるのが好きなようだ。
「まぁ、そう愚痴るな。飴を買ってやろう」
「店主たちがビビッて『お代なんてそんなそんな』っていつも怖がっているのですが」
たまにビーネはミルクに飴とか買ってくれる。本当はやっちゃいけないはずだが。
「なぜだろう。心当たりがない」
「間違っても『悪意感知』とか使わないで下さい」
あのやり取りが面白いのですとは神殿に入るまではまともに買い物を楽しんだことのない法僧の発言。
他の聖騎士達も一ミリの隊列の乱れも許さないように秩序だって馬を歩ませる。
乱れ無き隊形は絶大なる防御力と神の加護を保証する。
正義神は本来秩序の神だったと言われる。
かの神は秩序だったものを好むからだ。
「ほかの異教徒どもとそこが違う」
「はいはい。ビーネさん。この際ハゲていいですよ」
まじめぶった女聖騎士の後ろで悪態をつく見習い神官。
聖騎士の多くは兜をかぶるために頭頂を剃っているかビーネのように刈り上げている。
悪態に反して見習い神官の両の掌はしっかりビーネの腰に。
「あーあ。ビーネさんみたいにボンキュッボボンになりたい」
勿論常に完全武装しているビーネなので体型はわからない筈なのだが。
ことごとく見習い神官の悪態を無視していた聖騎士の口元が緩む。
とはいえ見習い神官の掌が一瞬胸のほうに移動したのは気づいていないようでもしそうならばさしものビーネも何らかの措置を取るはずだ。
「お尻と太腿が大きめで足首までするっと線が流れているのが特にいい。二の腕から肩回り、背中とかおなかのラインや線なんてすごくいい。そそる。肩甲骨の周りとか」
若いというには幼い聖騎士が一瞬興味を引かれたかのようにビーネのほうを向いた。
勿論お互い兜越しなのだが『目視』礼を欠いた行動ではある。
その視線のさらに先にいた法僧は豪華な装飾の施された木剣に軽く手を伸ばしニッコリ笑って見習聖騎士を威嚇した。彼女は全体的に細く引き締まった体つきである。
「適度な重石を付け天秤靴を履き屈伸一〇ほど。腕立ても。一〇の呼吸の間に全力で走る。これらを短時間で連続して複数の運動を行え。よく寝て食べろ。水も飲め。酒は飲むな」
「わたし、皆さんみたいに回復の御加護を乱用できるわけじゃないのですよ! 私達には『奇跡』の使用許可申請書にサインしないといけないってご存知ですよね!」
ピーピー叫ぶミルク嬢に苦笑して見せる年配の聖騎士。
齢にして六〇になるが未だ現役で容姿も三〇代そこそこを維持している。
「先代を思い出します。先代の幼いころもそれはそれは……いえいえこんなこといえませんね」
「そういえばクランツ翁とレィ君は王都にお勤めでしたよね。どうです王都のクソどもは相変わらずですかね」
「こら! こいつの妄言を聞くな! 隊を乱すな! 十二番! 一番もしっかりしてください!」
たまらず噴き出す若いというには幼い聖騎士を叱咤するビーネ。
基本聖騎士たちは名前を呼び合うことを避ける。
「このままだと『聖女』は先代の身代わりを演じていた娘が勤める事になる」
「ローラさんでしたっけ。別にどうでもいいでしょ。性格も良いらしいし家柄も悪くないし。王都に先んじたいとかですかね。うちの神殿も」
それよりさっきの詩人の演目がみたいみたいと暴れる見習い神官。
あえて受け流す聖騎士たち。
「本当にこの子、陪臣家なのかな。私より育ち悪く」
「レィ・カシム……あとであなたの食事に多めの塩と辛子甲虫の粉末を振るわ」
馬上でありながら自分の悪口は聞き逃さないミルクに肩をすくめる彼が小声で何か呟く。それを睨む見習神官。
「貴様ら隊を乱すな規律を守れ」
悪態をつくビーネの腰をしっかり抱いているミルク。
「ああ。はやく馬に乗れるようになりたい」
いちおう、ミルクは平民とはいえ法曹陪臣家のお嬢様で本来馬に乗る必要は無い。
最近馬の練習を始めたのはビーネと並走するのが楽しいからである。
正義神殿が集める馬は名馬が揃っている。
馬の世話も聖騎士達は勤めて行う。
何故かミルクも参加させられる。
ミモザのように法律の勉強がしたいとビービー文句を垂れるが。
「だいたい私は法律系陪臣家の」
「平民だろ。ミモザさんみたいに全科目満点取ってから言えよ欠点神官。人と比べてサゲるのは良くないがローラ……いやいや」
頰を膨らませる神官見習と肩をすくめる聖騎士見習。
「もう! ビーネさんも叱ってください! 私の方がお姉ちゃんなのにこの貧民生まれは不遜です!」
呆れる老聖騎士のそばで内心溜息をつくビーネ。
ミルクを連れ歩くといつもこうだ。
「まあ、どうせ仕えるならコソ泥の仲間より貴様の方が良いからな」
「なんかおっしゃいましたか。ビーネさん」
半眼で睨む少女に内心苦笑する聖騎士。
そういえば『彼女』もわがままでむちゃくちゃだった。
『おねえちゃん。おねえちゃん』
『いきなさいビーネ。おねえちゃんもすぐお兄ちゃんやビーネといっしょに』
だめだよだめだめ。おねえちゃんといっしょじゃなきゃいやだ。
「ミルク。ところで」
「なんですか。ビーネさん」
女性の胸に触るのが楽しいですかと問われて『単純に鎧の形から上に手を乗せやすいだけです』と叫ぶ見習神官。
その後ろでは真面目ぶった法僧が自らの胸元をそっと確認していた。
やっぱりミルクの悪行はビーネにばれていたらしい。
神よ罪深き『使徒』を許したまえ。