おっさんと女聖騎士
「ジャコブはたしかに私の父ですが」
俗世を離れた聖騎士に父も母もまして兄弟などいないと彼女は告げた。
「登記簿上ではジャコブには妻との間に五歳以上まで育っただけで六人の子供がいたようだ」
「王国の記録がそう残るのならそうなのでしょうね」
兜をかぶる為頭を刈り上げ、稲光を思わせる切れ込みを髪に入れた長身の女性は美しさより凛々しさが勝る。
彼女ら『使徒』は老化が遅いため人より長身かつ壮健に育つものが多い。
小都『立夏の嵐』の炎天下で激しく動けば十分足らずで呼吸困難と熱中症をおこして倒れるような鎧を日常的にまとう訓練を受けた聖騎士なら尚更だ。
中肉中背で脚気に侵されて脚を引きつつも酒瓶片手に人のいい笑みを浮かべている思い出の中のジェイクとは似ても似つかないが面影はなくもない。
「ジェイクなど『今は』他人です。心当たりなどありません。『今の』私には家族などいません」
「そうですか」
聖騎士は家族を持つこと自体は許されている。
多くは神託婚だが拒否も出来る。
婚約段階に限るが神託の後に『この者の想いに応えぬのは不実』として覆された前例もある。
「それは神に誓えますか」
「ミルク。私は彼と話しています」
正義神はもちろん嘘を禁じてはいるが人を不幸にしないための嘘は黙認する。
例えば四月初めの祭りの最中。
聖騎士はそんな日に最も働く。
すなわち嘘などとんでもない。
だから『今は』をつけた。
「そもそもコソ泥の兄など兄ではありません」
ダッカードの表情が一瞬凍ったが愛想笑いを浮かべてごまかした。とりつくしまもない。
「仮にその男が生きていたとしてです。死んだ子供たちが甦るのですか」
「いえ」
戸惑うおっさん冒険者。
気をつけの姿勢のまま少し拳を握る聖騎士。
「ですね。ちなみに私はとあるコソ泥の腕を神の御心のままに斬りました。去年のことでしたね」
今度はおっさん冒険者の愛想笑いが消えた。
その様子を見て彼女は応える。
「後悔などしていませんよ」
その後その子が死んだとしても神の御意志ですと彼女。
「それ、ほんとそうなのかな。後悔していないのにそのあとのことも把握しているの」
ボソっと神官見習の少女がつぶやき一瞬身を固めた。睨まれたのだろう。
「とにかく、私はコソ泥などとは今は無関係です。隊の士気にも関わりますので余計な噂を流されるのも困ります。私たちは過去も未来も捨てて神に仕える身なのですから」
聖騎士には人には言えない出自や経歴のものもいないわけではない。
そのことを暗に匂わせて黙らせようとする彼女におっさん冒険者は義憤を覚えない訳ではなかったが聖騎士になるに至った事象も知らないこともあり一度黙る。
彼女は過去も未来も捨てたという。つまり『過去の話はしない』と告げたのだ。
「ではこれは私の独り言としてお願いします。正義神は力無き民の告解や愚痴は裁かないといいますよね」
「乱暴狼藉を伴うものは信徒として如何なるものかとは感じますが。年に一度は語ること、そして許すこと、秘密を守ることを義務付けています」
ダッカードは語った。
ジェイクという男の懺悔を。
彼を愛しつつも身を引き一人で子を育てることを決意した娘の話を。
幼い妹弟たちを捨てた農村魔導士の人生を。
街を捨て愛する人を捨て、彼を慕う者たちのために身を散らした生き様を。
その話を彼女は微動だにせず聞いていたが冒険者の語りが止まったと同時に「では私たちは用がありますので」と話を打ち切り神官見習の腕を掴んで歩き出す。
おっさん冒険者は「家族は依頼人に会うことを望んでいない。依頼人に代わって必要な話は話した」としてリンダに報告を終えた。
――――――
「納得いかないがリンダ……宿の主人には報告しておこう。取り次ぎありがとう」
「いえ、本日は申し訳ありませんでした」
法僧ミモザは財布の事はさておき母からもらった女の子の人形が気になるとのこと。
法僧は子爵家で生まれたもののその母は妾としても認められていない。
母が没落貴族であり身分上は母の家督を継いでいるため父の意向を無視できるはずだが実際は違う。
母を人質にとられているようなものだ。
少し控えめに自分の生い立ちを語る法僧に真剣に聴き入ったりそれでいて余計な慰めや助言をあえて避ける誠実な態度を見せるおっさんに彼女は少し好感を覚えた。
父や教団の意向や信託に従わねばいけない自分を顧みて彼女はちょっと空を見る。
相変わらず皮肉なほどに空は神の加護に満ちている。
すっと何か口元につきだされたものを不覚にも口にしてしまう法僧。
パンに何かはさんである。口にすると驚くほど柔らかくて美味しい。
「これ、鉄パンとまったく違います」
「神糧を再現する研究を行っているものが王都にいる。そのレンバスは不味くて食えたもんじゃないがその過程でできた」
ふわりとした小麦の歯ごたえ。
柔らかな空気と共にその香りが広がる。
バター代わりに使われた魔物の脂が程よい刺激とかすかなときめきを喚起させ、歯ごたえのある葉が新鮮。
そして全体を貫く練肉のうまみと塩気が喉を潤し鼻腔を刺激する。
香ばしさもある。軽くパンの表面を焼いたのだろう。
「おい……しぃつ!!!」
「そっか。もう一個ある」
適当に座り込んで駄弁りに入るおっさん冒険者に反し正義神殿の使途は座り込むことを是としない。
直立不動の『気を付け』を基本姿勢とし歩き方や方向転換も定められている。『休め』と言われた時のみ足を20センチ開いて背中奥後ろ手に組むことは許されているが。
「い、いえ! 私達は立ったままや歩きながら食事をとるような汚れた行為は」
汚い地べたに座るなど論外だ。
「そうか。もう一個はイチゴとか柑橘類とか入っていて壊血病の特効薬だ。
ちょっと魔物油で性欲が喚起されるらしいがこれは今年はバターが高いから仕方ない。
それよりこのバターで一回水気を切ることでフワフワとシャキシャキを両立できる。そしてだが」
おっさんは彼女にそのサンドイッチを見せた。
見るからにあまいあまいクリームが入っている。
質素な食事を是とする彼女は異教徒の誘惑に見事に屈した。
余談だがこれはダッカ―ドが第一話で食べていたものと同じものである。
魔法の助けなくば新鮮な野菜や果物を季節を考えずにふんだんに使う技はあり得ない。
「これは薬! これは薬なのです! あまい! おいしい!」
「つくったものをそこまで喜ばれるのは光栄だ」
指についたクリームを舐める法僧に呆れるおっさん。
彼の瞳も晴れ渡った空を眺めていた。
それはそうとこの様子をリンダに見られたらなんと思われるだろうか。
若い娘に手を出してとか本気で嫌がらたらどうしよう。
そういう問題じゃない。
ジークの誤解も解かねばならない。
おっさんは大変である。
――――――
お兄ちゃん。お兄ちゃん。
妹、弟。
みんなみんな死んでいった。
寒くて辛くて虐められて怖くて。
空は暗くて冷たいばかり。
その空に叫んだ。呪った。
神の声を聴いた。
『お前の正義を追求せよ』
きょうだいの墓を作ることは土が固くてできなかった。
足が破れ手が凍りそれでも街道を進んだ。
吹雪の合間に光が見えた。
光は掴む一歩手前で逃げ続ける。
走る。闇を引き裂く剣を習う。
影を払う鎧をまとう。
心を打ち消す鏡を構える。
馬に乗ってもその光は届かない。
光を追う。
今も届かない。
優しい兄はある日彼女らを捨てた。
……横になっていた。
夢を見ていた。
今も夢を見ている。
「私達を捨てた。あのコソ泥を私は許さない」
その小さな私心は、本来聖騎士には不要とされるもの。
しかし彼女には捨てられない『怒り』であり生きる力であった。