おっさんと古書の主
埃。紙の匂い。糊や膠の残滓を紙魚が這う。
虫食いだらけの紙の束。ある人には千金。知らぬ人には尻すら拭けやしない。
ここは本屋。古書の戦さ場。
歴戦の古強者たちは未来の智者たる愚者を待つ。
光を避けて闇に潜み。密やかな言葉を封じて粛々と。
『おお。まだくたばってなかったかダッカード』
その声なき言葉に苦笑いでかえすおっさん冒険者はこの物語の主人公である。
「おお。朝もはやくからよう来てくれた。さあさあ御呼ばれ」
埃まみれの本の束を老店主が手のひらで押しのけ、その跡形に指を這わすとテーブルの黒。品質の良いものらしくその黒の中にはおっさん冒険者の顔がかすかにうつる。
黒く輝く苦笑いを覆ったものはトーストの乗った欠けた皿。
フライパンで丁寧に表面を焼き、バターをかけたパンの上、湯気が埃に戦争を仕掛けここに紙の香りとパンとカフィ茶の香りが相争う。
おっさんは勧められるまま椅子の上の本をどかして埃を指で拭い、サクッとトーストの上にて湯気を放つ目玉焼きに歯を立てる。
戦争也戦争也。
牙に儚い熱を与えて漏れ出ずる卵黄がバターの油で四角のリングから踏み止まり白い卵白はといえばもはや敵の胃袋へ。
儚く散らす塩とスパイスの奮戦はカフィ茶の濁流に押しつぶされる。ままやこのまま突貫を。青に赤に黄色、色とりどりの豆が絡んだサラダは青葉と共に敵口中へと突撃せん。
たたかいすんでその跡形をミルクの川が流すころ。
美味しかったと冒険者は告げて本の山と格闘する。
最新の魔物目撃例。邪悪なる機械教徒どもの暗躍。鮮やかなる冒険者たちの勲歌の写し。
血により築かれし知の山を骸にするか金山にするかは受け手次第。丁々発止と刃かわすかのごとく乾いた指を舌が濡らしてページをめくる。
「こら。つばをつけるなら別料金とるよ」
本は未だ高価だ。印刷機なるものが登場してなおも写本家や装丁家の需要絶えない時代においては正しい知識と確かな声を選ぶ知恵を得ることは魔術に匹敵する。
「ララ・バード写本はこっちだ」
「ありがとう。分けてくれたのか」
老人は胸を張る。
「あの娘の写本や装丁はとりわけ出来がいいからな。最近仕事を再開したようで本当に売り上げに貢献してくれるよ」
この時代における写本家は優れた編集者にして校正者であり乱文乱筆をただして装丁や時として挿絵の監修まで行う専門職であり、『一人人生に一冊』の時代において必要とされる職である。
『(作者はこのように書いているが、この時代における聖騎士の生活様式は現在と全く異なり、『騎士』と『聖女』の相互関係による問題解決を是とした。参考資料:王立図書館『魔導帝国崩壊期』ディゴリー男爵家蔵書『戦乱の時代における吟遊詩人の旅』など。詳細は末尾。写本家註訳)』
実はおっさん冒険者はかの写本家に面識がある。あるのだが。
『(性の営みを描いた猥本を写本して騒動が起きたなあ。あの子今は結婚したのだろうか)』
などと雑念にかられイマイチ集中力がない。歳なので腰が痛いし目も痛い。本を保存する環境は温度変わらず湿度は適切。そして暗いことが大事である。年寄りには辛い。
『おれの出番かな』
「いらないよ。ドゥーリットル」
おっさんは適当に手を振ってその声に答えたが後ろの老人が不思議そうな顔をしている。
『(現在の聖騎士の形は三〇〇年前、新王国歴200年代に編纂された『はなみずきの辞書』に記されており、聖王国成立以前であるこの時代、既に現在の聖騎士制度が確立していたと考えていいだろう。写本家註訳)』
あの子は瓦版でも作ればよかったのではないか。そういえばもう結婚していたっけ。
貴族同士だが愛のある幸せな結婚だったと記憶している。
書架隅にあるまとまっていない膨大な書類に取り掛かろうとしたおっさんに老人が辞めるようにと笑顔を向けた。
「その資料は『ララ・バード』の弟子が一冊にまとめているから調査は不要だ」
「マジか!」
おっさんは駆けよってそれを見ると『今日のずぼら料理 ユースティティア監修 王都慈愛神殿共著』のように系統ごとにまとめられ、さらに『はなみずきの辞書』を参考に口語順になっていてすごく読みやすい。
大抵の本がペンによる一発描きで誤字脱字だらけ、記事の順も思いつくままバラバラで重複記事など当たり前な中でこの本は丁寧にまとめられている。
『新王国歴521年における『車輪の王国』にて起きた風俗などを見聞きしたまま綴る』(リンス・リンシィース著)
こんな系統の本は観たことも聞いたこともない。
たわいもない流行歌の歌詞の紹介。王国における食文化。庶民の祭りの姿。
歴史や流行は貴族のものとされる中、あえて庶民の行動に着目し、事実をあるがまま見て思いのまま興味深く綴っている。挿絵も印刷で捺されているのに出来がすごぶる良い。
「著者は神族の賢者らしいぞ」
「それはすごく珍しいな。しかし納得だ」
賢者学派はあらゆる学問や知識を実践と実用の中で運用することで真なる知恵を得ようとする学派であり、過激な探検や疫病鎮圧などに同行することで英雄になるものも多く、あらゆる知識の探求と相性が良いため多くは魔導士でもある。しかし無限の寿命を持ち知識に優れたエルフたちが敢えて目指すことは珍しい。
「『我が親族は人間は鼻で語ると述べたが、このようなことを人間に語るのはお勧めしかねる』……なんだこりゃ」
「神様って変わっているからな。その子は絵画でも活躍していてね。これが出来がすごく良いから。贋作とわかっている作品ですら飛ぶように売れているのだぜ」
「エルフが絵画?! おいおい。聞いたことないぞ。そうとうそのエルフは変わっているのだな」
そっちの贋作はオリジナルにかなり近いと老人に指さされてそれを見るおっさんの視線の先。
左手に絵筆を持ち、神秘的な笑みを浮かべるエルフ女性が描かれている。タイトルは『自画像』。
ほかの絵と違い寓意などは見て取れず、作者の腕の限りありのままを描いているだけだが画題が優れている。
「凄い美形だな」
「だろ? 模写した絵師はこの絵の出来をもってしても自身が見た作者自身の美貌を1/10も再現できなかったって悔しがっていたよ」
何故か先日会った半妖精のことを思い出しつつおっさんは聖騎士に対しての資料を漁っていく。
「王都の瓦版のまとめ、他のはないのかい」
「残念だけどその娘は519年に森を出てきて一年で帰ったらしいからないね」
ならばなぜ521年の記事をまとめているのやら。出来がいいからとりあえず信じることにする。記事の多くはおっさん冒険者の記憶や実際体験した冒険とも一致する。
真偽の分かりかねる雑多な憶測記事ばかりの瓦版の山を見てウンザリするおっさん。その中から整合性を突き詰めて正しい情報を精査していく。
「あった。聖女の記事だな。なになに」
そもそもごく最近起きた奇跡の声の聖女とやらは正義神殿からみて異教徒だという噂すらある。王都からくる冒険者仲間たちの証言からも整合性がある。
「『立夏の嵐』の聖女、行方不明……これは違うな」
小都『立夏の嵐』の幼い聖女が行方不明になって久しく、聖騎士たちもついに捜索を断念したとある。ずいぶん前の記事だが恐らく生きてはいまい。政治的な要因で聖女たちが『行方不明』になることは稀にある。
「こっちは『車輪の王都』で正義神殿の聖女、復活した『破壊の女神』の使徒と相打ち……有名な記事だな」
『両方生きているぜ。ダッカード』
「王都では現人女神のように人気があった慈愛神殿の高司祭を虐殺した『破壊の女神』の使徒を? ほんとかよドゥーリットル」
『俺の話をもっと読めば全てわかるぜ』
おっさんは一番上の棚で埃を被りカビにまみれ今にも朽ち果てそうなのにも関わらずなぜか本を破りかねないほどの図太い鎖で封印された書に一瞥をくれてやると「おまえはそこで朽ちていけ」と憎々しげに呟いて立ち上がる。
王都に正義神の声が響いた奇跡は五年ほど前。『立夏の嵐』の正義神殿が奉じる聖女が消えたのは四年前でその二年後に捜索は打ち切られている。
慈愛神殿の高司祭を虐殺した『破壊の女神』の使徒と王都の聖女が相打ちしたのは有名な話だが。
「……」
憎々しげに彼は立ち上がると調べものを切り上げて老人に挨拶し、去っていく。
残された『本』が声なき声を上げて嘲笑う。
『慈悲深い俺様が両方生きているぜと言ってやったのにまあ聞かない奴だぜ。この本に閉じ込められて俺もずいぶんと丸くなったのにな。あ、巻物って意味じゃないがって誰も聞いてねえな。つまんねえ』
埃とカビの臭いの奥、邪悪なる魔導師だった男の嘲笑が誰の耳にも届くことなく。
店主である老人はよっこいしょと立ち上がると扉に閂をかけ、魔法の封印をして泥棒に備えて眠りについた。
『古の聖騎士は邪悪を討つため時も超え。
古の聖女も愛のため場所をも超越した。
いまはむかしのものがたりってな。
しかし忘れてはいけないダッカード。
むかしは今の連続なのさ。
いつか俺も復活しててめえに吠え面をかかせてやる』




