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おっさん冒険者の脱英雄譚  作者: 鴉野 兄貴
コソ泥とおっさん
1/29

ダッカ―ドという男

 空に日が昇る前。

 灯が空に残るころ。

 一足お先に木扉があく。


 冷気を少し蹴って古ぼけたブーツが夜闇に現れる。


 この物語は一人の冒険者の物語。


『天に見えざる灯あるならば地上にも見えざる星がある』


 決して吟遊詩人の歌にはならなくとも誠実に生きようとした男の物語である。


 庶民の衣服は裸足に木繊維の貫頭衣が多いこの地方。

 彼の服は珍しく織物で出来ている。


 さりとて別にこぎれいなわけでもなく、英雄のように煌びやかな鎧を付けているわけでもなく、ただ腰に愛用の鉈を下げ、農夫のような佇まいに腰を落とした武人の歩みが彼を表す。


 彼の歩みは遅くはないが走っているわけでもない。

 だが並みのひとよりずっと早くまた休むこともない。


 路には酒瓶片手に寝転がる浮浪者

 客引き失敗して悪態つく莚持ち

 早くも現場に向かう土木作業者と


 決して賑やかではないがそれでも少なくない数の人々と彼はすれ違いそして『おはよう』と互いに挨拶をかわす。



 この世界での『おはよう』を無理に我々の日本語に翻訳するならば

『今日も生き延びたな。おめでとう』

『私は今生まれ変わり新たな人生を歩むことが出来ます。神様ありがとう』

『凍死を無事に避けた豪運に感謝しよう』

 などの意味を持つ。



 人々の吐息が凍り、タコの多い手のひらが擦り合わされる。


 織物でできた服とはいえ寒いものは寒い。

 凍った路面で少し滑ってばつの悪い笑みを浮かべ、一緒に笑った浮浪者の老婆に施しを与えてまた進む彼に老婆は祈る。


「かみさま。『幸運な』ダッカードに今日も恵みを与えてくだされ」


 この世界最大の大国『車輪の王国』の小都『艶月の雪』に住まうダッカードは冒険者である。

 齢は四〇になる。



 この世界における『幸運な』という言葉には

 『お人好し』

『神々に愛されしもの』

 などと言う意味があるが彼はその名に恥じない男であった。

 転じてモテないという揶揄スラングである。


「今日は何処に行くんだ。ダンジョンか」


  若者のからかいを愛想よく受け流し彼は歩く。

 腰には鉈と採集に使う道具類。

 今の生活に使わない大仰な剣など既に質に預けている。



 ほかの冒険者の多くは還らぬ人となり


 幸運な幾つかの仲間は不具を抱えて慈愛神殿に集う列の人になる

 さらにいくばくかの豪運のものは宿の用心棒や店を構えて破産し

 志半ばでそこそこの財を持って故郷に帰れたものは畑を耕す中で


 彼は無理せず安全にそして人のためになることを信条に生きてきた。冒険者の中では異端と言える。


 彼は先日拾った銅貨を幸運神殿の拾得物箱に入れると小さく祈りをあげてまた歩き出す。



 幸運神は落とし物を自分のものにすることを是とする神であるがその教えに反し幸運神の数少ない『使徒』は拾得物の持ち主履歴を知る奇跡を授かっているためこれに落とし物を入れるのは徳とされる。


 しかしながら彼以外の人々にとって幸運神殿の生臭坊主に使徒は居らずは周知の事実である。

 事実この箱も彼以外の人間が利用することは希だ。

 ともすれば中身を漁る不届き者もいる始末。



 拾得物箱に頼りない陽が明かりを当てるころ


 森には愛用の鉈を腰に現地で手編みしたと思しきカゴに

 芝や焚き付けになる小枝などを詰め

 採集した薬草や鉱石は丁寧に処理して慎重に運ぶ男の姿があった。


 二十歳を過ぎてから素材採集を間違えたことはない。品質管理もよく卸し先は彼を喜んで迎える。

 一仕事を終え酒やゲームの誘いをなんとか振り切り、引退し不具を抱えた友人たちに卸し先からもらった酒や煙草を持っていく。


 彼は酒も煙草もやらない。

 ならば女遊びはどうかというと若い頃は先輩や悪友に無理矢理誘われて一度は体験したのだがその後は全くであり、明日の命が保証されず有り金は全て使い呑む打つ買うと過ごす冒険者仲間たちからは変わり者として通っている。


 彼の少し白さが加わったブラウンの髪が揺れ、とある一軒の宿を指す。


 彼の出入りする冒険者の店には齢にして四十一になる女店主がいる。

 荒くれどもの主としては若いが看板娘だったのはもう二〇年も前のこと。


 長命種でもない彼女は同年輩の中では美貌を維持しているがこの世界における一般的感覚では行き遅れた婆である。彼や彼女の歳なら孫がいて良い。



「ようくたばりぞこない。飯できているわよ」


 ドンと残飯の作り直しを出して愛想もよこさないリンダに彼は丁寧にお礼をいうと「遅くなってすまない」と言って『まだ何故か暖かい』食物を口に運ぶ。


「今日は角のダーマさんところのおばあちゃんに薬を作って持って行った」


 匙を口から離しそれだけを告げてまた匙を口に運ぶ。


 リンダが『何故か泥が入っていない』水を持ってくる。

 少しくたびれている目元に少しの笑みを含ませ、彼をからかう。


「あのおばあちゃん、あんたの憧れだったものね」


 二十五年も前の話を蒸し返されて無精髭を曇らせる彼に果物を押し付けるリンダ。


「昼からも仕事するだろ」



 リンダとの短い食事を終えた彼は道中であった知人の息子に果物を渡して進む。

 息子曰く父が風邪をこじらしたというが怪しいものだが彼には些細なこと。

 父が病でなくてよかった、彼の息子が甘いものを口にできてよかった程度の認識だ。


 ゴミだらけの道は彼が週末に掃除するようになって随分綺麗になった。

 街の人々が次々と挨拶してくれる。

 如何な厄介ごとでも命の危険がなくば引き受けてくれる彼は皆に慕われている。



 それには理由がある。

 この世界において薪は『エルフの恵み』と呼ばれる。

 燃料を得るには森に入らねばならぬが伐採を気ままに行うわけにはいかないこの世界において人類の生活圏や産業の限界は限りなく制限されている。


 その薪をとってくる男は街の人々に感謝されてもおかしくはない。



 危険な森に入り、そこいらで拾った人を思わせる岩に祠を作り、エルフに感謝してわずかな薪を燃やすこの世界の人々にとって昼を過ぎて暖かい食べ物は魔法の産物と言って良い。


 彼はその暖かいサンドイッチを口に運び、エルフの祠に詣でて昼の仕事を始める。

 神殿の喜捨、夫を亡くした老婆の世話、慈愛神殿の塵や糞便掃除の手伝いなどだ。


 終われば慈愛神殿でサウナの施しを受けられる。

 彼にとって唯一の癒しの時間。


 彼は齢にして四十だがいまだその身体は均整を保っている。

 日頃の節制の賜物である。愛用の鉈はもはや身体の一部となり、腰に下げていてもその気配を見せない。

 昔は魔剣や聖鎧、鏡盾や神輪を持っていたようだがこの十年、質屋の飾りとなっている。



 何重もの結界魔法に包まれた質屋の魔剣を眺めて呟く若者たち。


「いつかおれがあの剣を買うんだ」


 若者たちは領主の城が買えるほどの値段の装備たちの主が普段からかっている中年冒険者と知らない。


 リンダは時々友人をからかう若者たちをたしなめるが、若者たちは「おっかさんだけずるくね」とぼやいて酒を口に運ぶ。

 その酒は若者たちが普段からかう中年剣士が護衛した商人が運んだ代物である。


 リンダほどの美貌の持ち主が未だ独身なのは不思議な話だが、昔付き合っていた男が女遊びをして以来、言いよる男たちを退け今に至る。


 さすがに看板娘は返上し、今は三代目の看板娘であるミーナを育てているところだ。

 ミーナの両親は冒険者であったがある日を境に戻ってこない。



 皆は死んだというがダッカードは骨もなかったと報告している。

 またミーナを可愛がっていたことから捨てたわけでもないだろうとリンダは述べており、ミーナは少々幼いが看板娘としての職と神殿の手習いとの往復を繰り返しつつ両親を待って五年が経つ。


 最近おもちゃを喜ばなくなったミーナだがダッカードが帰るとじゃれついてくる。

 それを呆れて眺めるリンダがまた残り物の作り直しを二人に渡して夕刻はすぎていく。



 日が早々と沈み『最初の剣士』を讃える歌と皆の乾杯を持って営業を終えたリンダは一人寂しい夜を過ごす。


 そこにノックの音。


 彼女は眉を寄せる。


「明日は早いのに誰だい」


 昔は彼女の部屋に忍び込もうとする男もいたが最近は全くない。

 とは言っても衰えたとはいえこの美貌である。用心しない理由はない。


「リンダ。飲まないか」


 あんた呑まないだろと悪態をついてリンダは急いで白粉をはたく。


 多少のシミやシワもあるがこの歳なら愛嬌だ。

 赤らんだ頰は酒が残っているからだと年甲斐なく想って戸を開く。


「いい酒を貰えたからリンダに」


 ダッカードが入ってくる。


 リンダは彼が自分を無理やり抱こうとすることを若い頃警戒し、少し歳を取ってからは期待し、今ではすっかり諦めている。


 この男は彼女を親友か何かと思っているのだろうか。


 かつての恋人はたった一回の仲違いから彼女を抱いたことはない。

 女遊びもしない。男としてどう過ごしているのか少々疑問ではあるがそういう男だから今でも付き合いが続く。これじゃ日干しだ。


「酒だけ?」


 思わずついてしまった悪態に「いいつまみもある」と干し肉を手に子供のように笑うダッカード。


 歴戦の冒険者であるダッカードがこのような笑みを見せるのはリンダの知る限り一人しかいない。


「私に対する当てつけ?」

 小首をかしげて本気でわからないそぶりを見せるダッカ―ドに呆れるリンダ。少し微笑む。

「仕方ないわね。いただくわよ」


 ダッカードを寝台に座らせ、リンダは水を取りに行く。


 月が夜空を照らし星が見守る中、かつての恋人たちは盃を手に明日の幸せを祈り合う。

  太陽がまた昇る朝までのわずかな時を楽しみ、また夜を待つ。


「ダッカード、寝不足」


 二人を父母のように慕う少女が呆れている。 リンダは既にうつらうつら。


「リンダ、仕事してよ」


 大きな桶を手に少女はぼやく。


「さっさとくっつけ。バカ親ども」


 どこか抜けた『両親』と違い、『娘』はしっかり者であった。

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