7 ついに出た!屋敷の付喪神
それは昨日の晩の事。
ウツワノと陽が屋敷で晩ご飯を終え、ウツワノ用の晩酌支度をしてから箱庭へ戻って、暫くの事。
ウツワノは陽が用意したつまみと菓子と酒を盆に乗せ、屋敷のとある部屋の前まで行くと、声を掛ける。
「姐さん達、居るかい」
しんとした人の気配のしない部屋の筈であったが、音もなく入口の引き戸が開かれる。
薄暗い廊下に開かれた部屋からの明かりが洩れていない。やはり部屋の中は無人であるようだ。
ウツワノはそのまま暗い部屋へと進んでいき、引き戸が静かに閉じられた。
もしこの様子を他のものが見ていたならば、化物屋敷と逃げ出すかも知れない。
更に勇気を出して部屋を覗いたとしたら、暗い部屋にただじっと座る男が居るだろう。
独り言を話すでもなく、置物のように佇む男は、空が白み始めるまでそのまま部屋に居たようだ。
陽が起き出す前に部屋を出たウツワノは、すっかり空になった盆の中身を台所へ戻し、眠そうに欠伸を噛み殺して自分の寝所へ向かった。
「挨拶は済んだし、手加減してやってくれるといいが」
数時間後、陽は箱庭から屋敷へやって来て、いつもの様に朝ごはんの支度を始める。
暫くしてご飯の炊ける匂いと焼き魚の香ばしい香りが漂ってくる。
竈周りは土間を残して、現代のガスコンロやシンクに合わせてタイル張り床にリフォームされた台所。
続き間は数段上になった板間となっており、茶の間に行かなくとも食事をとれる場所となっている。
お膳に乗せて板間で食べようと振り返ると、そこには薄紫の小紋に黒い長羽織姿で、長い髪をボリュームある結い方にした古風な女性が正座していた。
「おはようさん」
「お…はようございます、陽と申します」
「私は時たまウツワノに水仕女(※ご飯支度係の意)をしていた竈の付喪神。お玖と呼んでおくれ」
「宜しくお願い致します、お玖さん。あの…何か不備でもありましたか」
「いいや。手慣れてるし、扱いも丁寧だし問題ないさ。竈の手入れは別の手伝いが魔法ってので綺麗にしてくれてるからね」
お玖と名乗った女は、結った髪を気だるげに撫でながら、陽を品定めするようにして改めて上から下まで眺め、ふっと自嘲する。
「本当は覚束ないようなら…なんて思ってもいたけどね。若い娘ならやりようがあっても、年寄りは言う事聞かないから」
「自分のやり方が染み付いてるもの、中々ねぇ。でもアドバイスならお聞きしたいわ」
「まあ、台所で困った事があったら私に聞きなよ。常連客の味の好みなんかも教えてやるから」
「ありがとうございます。頼りになります」
陽もお玖に負けず劣らず元老婆の片鱗を見せつつ、素直に頭を下げた。
「他にも顔見せるかも知れないけど、まぁあんたなら大丈夫そうだね。
ただし…ウツワノには色目使っちゃあいけないよ?
他の付喪神がへそ曲げるかも知れないからね」
「それは心配には及びません。私は主人一筋ですから」
陽は自信満々で答えると、お玖は少々面食らった顔をしてからくくっと笑いを堪えた。
「まぁ…ここは異世界なんだ。楽しみなよ」
最後にぽんと陽の肩を叩いて、竈の付喪神お玖は姿を消した。
「お屋敷の付喪神様に会えるなんて!」
陽は朝ごはんを終えると、張り切って次の仕事へと向かった。
朝飯を終えた後は各部屋を見回り、窓を開け空気の入れ換えをする。
やはり気になるのは始めに転移した行李のある部屋だ。
あの後何度見ても、行李の中には女物の長襦袢が詰められているだけ。
他にまた何か転移されてくるのではないか。
そんな期待と不安が彼女にあって仕方ないのだ。
それにこの部屋は白粉のような化粧の微かな香りと、焚かれた香の匂いがする。まるで屋敷に女がいるかのような気がしてならない。
「あら?」
部屋を出ようとした所で、床に何か落ちている事に気付いた。
「お酒の盃…?」
ここは着物や箪笥が置かれている部屋で、食べ物を持ち込む所ではない筈と不思議に思いながら、陽はエプロンのポケットへ仕舞う。
そして再び部屋を後にしようと引き戸に手を掛けるが、何故だかびくともしないのだ。
「あれ?関貫なんてあったかな?」
両手で引いても全く動かない扉に焦り始めた所だった。
「お姉様、あの盃は持ち込まれたものでしょう?
彼女は盗んだ訳ではない筈よ」
「ひゃああ!」
背後から心配そうな声で訴える若い娘の声がした。
力を込めていた所に驚かされたものだから、陽は床に尻餅をついてしまう。
「いい気味!」
また別の娘の声がする。ちょっと勝ち気で意地悪そうにクスクス笑っているようだ。
「いつも行李の中をじろじろ見てるんだもの。何か持ち出そうと狙ってたに違いないわ!」
へたり込んだまま振り返ると、部屋の壁際に邪魔にならないよう置かれていた衝立が、入口寄りの場所に平行で置かれており、その奥は更に箪笥や調度品が飾られた座敷が続いているように見える。
しかしそれはおかしいのだ。
この部屋は箪笥や着物を置く衣装部屋で、見渡せる程度の間取であった筈。
そして声の主達は、衝立の奥から姿を現した。
「ここは女座敷なのよ。女中程度の貴女がおいそれと入っていい場所ではないの!」
陽を笑った勝ち気な娘の方であろう。
長い袖の真紅が華やかなアンティークの振袖に、リボンをあしらった長い黒髪を揺らして仁王立ちしている。
隣には申し訳なさそうに、同じくピンクの愛らしい振袖を纏う可憐な娘が立っている。
少し癖のある茶色い髪を緩めに一つの三つ編みにしていて幼い雰囲気だ。
「屋敷の手入れはしていますけれど、女中というつもりではありません」
尻餅の姿勢から膝を折り正座して向き合うと、陽はまっすぐ見据えてぴしゃりと反論した。
「あらそうなの。そんな格好だから分からなかったわ!」
赤い振袖の勝ち気な少女は、つんと澄ました顔でそっぽを向いて答えた。
「行李を何度も見ていたのは、そこから私が転移されてきたからです。何か盗もうなんて考えてもいなかったです」
「行李に入ってたなんて、何か罰でも与えられていたのかしら?」
「お姉様…」
ピンクの振袖姿の気弱な少女が、不安げに勝ち気な方の少女を姉と呼んで、長い袖をつんと引く。
「そうですねぇ…棺桶代わりかとびっくりしましたから、あまり入りたくはないですね」
「…狭いところは私も嫌いだわ」
「私は暗いところは怖いです…」
それぞれ何かトラウマでもあるのか二人はそれぞれ蒼い顔で呟いた。
「貴女方はこのお部屋の付喪神様でしょうか?」
「そうよ。私は着物の付喪神、牡丹と云うわ」
赤い振袖の勝ち気な少女が、胸を張って名乗る。
「わ、私は蒔絵櫛箱(※化粧箱の意)の付喪神、桃乃です」
対照的なピンクの振袖の少女は、両手をもじもじさせながら小さめの声で名を告げた。
「ではこの部屋に入る時はお二人に許可を頂ければ構いませんか?」
「そうね。その代わり…」
赤い振袖の牡丹が勿体ぶるように次の言葉を溜めると、ピンクの振袖姿の桃乃が頬を膨らませて牽制する。
「お姉様!意地悪はいけないってウツワノさんにも言われたでしょう」
「意地悪なんかしてないじゃない。ただの挨拶でしょう?ねえ、陽?」
「私の行動が怪しかったんだもの。でももう誤解は解けましたよね」
もう悪意は無いのだと牡丹が陽に目を合わせてはにかむ。
まだ心配そうに二人を交互に見つめる桃乃を見て、思わず二人同時に笑ってしまった。
「怪しまれる陽がいけないのよ?だからたまにここへ来る時は甘い菓子を持ってきて頂戴。それで手打ちにします」
「まあ…お姉様ったら。本当に甘い物に目がないのですね」
二人が楽しそうに微笑む様は仲の良い姉妹のようで、尚且つ華やかな大輪の咲き誇る美しさもある。
「ウツワノさんはお茶やお菓子をあまり嗜まない方でしょう?私達だからあまり姿を現さなかったの」
確かに来客用に茶菓子を用意するようにはしていたが、ウツワノさんはそういう事には無頓着な性格であろう。
「持ってくるのは部屋を汚さない菓子にしてね?他のものが食べたくなったらお願いすると思うから」
「分かりました」
「では、もう良いわ。帰してあげましょう」
その言葉に合わせて赤い振袖の牡丹がぱんと手を叩くと、後ろの引き戸が静かに開いた。
陽が引き戸から視線を部屋に戻すと、先程まで広々奥まで続いていた座敷の様子はいつもの衣装部屋に戻っていて、衝立も壁際に置かれたままもとの位置にあった。
「…明日から朝ここに来る時はお菓子を用意しますからね~」
人気の無くなった部屋に声を掛けると、くすくすと楽しそうな二人の笑い声が微かに聞こえた。
「今日は付喪神様に沢山会っちゃったわ。さてはウツワノさんね」
陽は嬉しそうに呟くと、次の仕事へと向かって行った。
ウツワノさんの好物を竈のお玖さんに聞いて、夕御飯に用意しようと考えて。
やっと屋敷の付喪神が現れました。まだまだほんの一部のようですが。