5 若返ってアラフォー
屋敷の外に出た記憶はないのだが、箱庭と呼ばれるミニチュア模型とそっくり同じ家の前に今居る。
唖然と立ち尽くしていると、少しの間を置いて男も後ろから現れた。
「ここはさっき見ていた箱庭の中なの?」
「そうだ。そしてこの箱庭は異界ともお前のいた世界とも別の空間になっている」
「さっきも言ったように異世界のやり方とは別の、この箱庭の力を借りる方法で、お前の魂と転移した身体の安定とバランスを保とうと思う」
「つまり?」
「婆さんのままでは異界では生きにくい。だから、生前のお前が心身ともに安定していた時の年齢に合わせて変えてみた。
見てみろ」
そう言って袂から手鏡を取り出し、彼女へ突き出す。そこに映った女の姿は………
「えーーー何か…微妙…だわ」
彼女の予想外の反応に肩透かしを食らった男は、今日一番の仏頂面を見せる。
「何が不満だというのだ」
「ひい!ちが違うんです!
何て言うか…不思議な事がありすぎて、勝手に期待が高まっていたものだからっ」
「はっきり言うてみろ」
「えーと…ほら、映画とかでは若返るならもっと若くて溌剌とした、青春をやり直すぞーっていう年齢設定が多いじゃない?
だから、もう少し若い頃の姿なのかしらって期待してたら、まさかのアラフォー…」
「何が問題だ?充分若くなったろう?」
「……ハイ」
70代から30代への若返り。しかし40歳手前の30代。
「軽く調べたらその年齢の頃が、幸せそうで穏やかに見えたから選んだつもりなのだが」
言われて思い出すのは、そうだ主人と結婚して4~5年目辺りの年齢だった。
相手の居る生活に慣れてきたというか、自然と夫婦だなと思えるようになった頃だ。
そう考えたら悪くない。
忘れていた初心を思い出すようで、心が温かく感じられた。主人が見守ってくれてるみたいで何だか嬉しい。
「どうかしてたわ…若すぎるより断然、これ位の見た目年齢が過ごしやすいよねぇ」
「納得したのなら良かった」
「我が儘言ってごめんなさい」
男は彼女の言葉を聞いて、満足そうに頷いて見せた。
「次は家の中だな」
二人は家の中へと入る。
「あれ…?」
初めて入る家の筈なのに、既視感に襲われた女は一歩後退る。
(というか、この家の作りは忘れかけていた祖母の家だ。
とうの昔に建て壊されて駐車場になった筈の)
「これもお前の記憶から再現したものだ。外観は記憶の家と違うだろうが、内装や作りは合っている筈だが」
「ええ!ええ!間違いなく祖母の家だわ!なんて事なの!もう一度この家に入れるなんて!」
すっかりはしゃいでしまった彼女は、居間からの続き間の部屋を踊るように回りながら見ている。
男は部屋の家具に興味を移したのか、彼女の様子を気にもしない。
「古い家だったからこの家自身の記憶も強くてな。再現しやすかった」
年月を経て黒光りする太くて立派な天井の梁を満足げに男は眺めた。
「あら?でもこの食器棚…祖母の家にあったのとは違う。もしかして…私の使っていた…もの?」
「お前の住んでた部屋だけ転移するのは無理があるからな、部屋の中身だけ持ってきた。そういう約束だったしな」
「約束?」
「どれも大切に使ってきたのだろう。
昔から日本では古い物何にでも神が宿る、八百万神も信仰されていた。こいつらはその予備軍だな」
「私の使ってたものたちが!?」
「偶然お前の所にあった付喪神を知って、その気になったみたいだなぁ」
「付喪!?付喪神がうちに居たの!?」
付喪神と聞いた彼女は興奮して男に詰め寄った。
「まぁ落ち着け。付喪神なら屋敷にもたくさん居る。これからお前も管理を手伝って貰うのだから、早く慣れることだ」
「そうねえ、こんなに善くして貰って…ありがとう…」
感慨無量に部屋を見回してから男に向き直り、ゆっくり深々と頭を下げた。
「これからお世話になります。宜しくお願い致します」
憂い怯えて泣いてばかりいた老婆から、新たな世界に挑む決意と好奇心に満ちた瞳が宿る。覚悟を決めたよい表情だ。
これなら上手くやっていけそうだ、と男は密かに安堵した。
一通り説明を終えて一旦箱庭を出ると、入った時と同じように、気が付くと屋敷の部屋に立っていた。
不思議なことに、箱庭はミニチュア模型のままの姿で屋敷の部屋に置かれている。
余韻に浸る間も無く、待ってましたとばかりにエリアスが話し掛けてきた。
「どうして私も箱庭に入れてくれなかったのよー」
「これは婆さんの家だからな、入りたければ許可を貰うこった」
「もう!お婆ちゃんは失礼でしょう、ねぇ奥様」
女の見た目は箱庭を出ても若返ったまま固定されているようだ。
「ありがとうございますエリアスさん。でも奥様はちょっと…」
「そうだわ!それなら私達で名前を考えてみない?異世界で生まれ変わったつもりで、ね」
名前と言えば、タイミングを掴めず聞き逃していた相手が先にいると、改めて男へ向き合う。
「あの、お名前お伺いしても?」
「呆れた…アンタ自己紹介もしてなかったの!」
エリアスが呆れる中、男もようやく忘れていた事実に気付いて一瞬だけ申し訳ない顔をしたが、間を置いて女と向き合う。
「申し訳ない……器のと呼ばれている」
「ウツワノさんね」
ウツワノさんと呼ばれて怪訝な顔をした男を見抜く者はいなかった。
その日は歓迎と称した細やかな宴となり、賑やかに名前候補談義が行われ、異世界の夜は更けていった。