4 不思議な箱庭
泣き疲れて軽く放心状態だった所に、差し出された風呂敷包み。
声をあげて喜ぶ事も、風呂敷包みに飛びつく事も出来ず、老婆はソファーにだらしなくもたれたまま動けずにいた。
テーブルに置かれた風呂敷の中身の大きさは雑誌やカタログと同じ位の長方形で、片手で持ち上げた所を見るにあまり重たいものでもないようだ。
余程訝しそうな目つきで見ていたのだろう、男はため息をついて腕を組み何やら思案しはじめた。どちらともなく気まずい沈黙が流れる。
そこへ絶妙のタイミングで客間の襖が開く。同時に大輪の花束のように甘いのに、仄かに麝香や爽やかなハーブが鼻孔をくすぐる官能的でエキゾチックな独特の香りが漂う。
「どーお?この世界気に入ってくれたぁ?」
香水のイメージと同じような、賑やかで華々しい雰囲気を纏うとても目を惹く中性的な青年だ。低めの美声に気付かなければ服装や髪形からも女性のように見える。
純和風な見た目の目の前にいる男と古風な屋敷のせいで忘れていたが、やはりここは異世界なんだと思い知らされる。
おネエな美青年は男の隣に座ろうと、老婆と向き合った瞬間、入ってきた笑顔とは打って変わって、驚きの表情をする。
「やだアンタ…お婆さん泣かせてどんな説明したのよ…」
「なっ…!!何だと?」
「怯えてしまって可哀想に…口下手なアンタ一人に任せておくと、いつも大事になっちゃうんだから!」
「まあ!お茶もお出ししてないの?ここに来てから結構経ってる筈でしょう?」
賑やかなエリアスの畳み掛ける言葉に押されて、男はしぶしぶ言葉を発する。
「…予定より婆さんが転移されるまで時間が掛かった」
「わ私、だいぶあそこで寝過ごしたのかしら…」
「気にするな、こっちの都合だ。こいつは婆さんを勝手に待ちわびてただけだ」
「こっちの世界に来て貰う人は珍しいからねぇ、お会いしたかったのよ。初めまして、エリアスよ」
異世界に来て、初めてまともな自己紹介を受けたと感心する。そう言えば最初に会った男は名前すら聞いていなかった。
何だか聞きにくい態度に気後れしてしまった私も悪かったと思う。
「初めまして、私は…あれ?名前…出てこない…」
生前軽い物忘れと多少の記憶力の低下はあったが、まさかここにきて痴ほう症ではと女は薄ら寒くなる。
「まだ不安定だな。やはり人間の老人に異界は負担が色々ありすぎるようだ」
「負担…ですか」
否定的な言葉が女の胸に引っ掛かる。
「ちょっと!いやねぇ、よくある事なのよ。
記憶の混乱や過剰な能力。最悪、体が耐えきれなくてバラバラになって召還された事もある位なの」
「バラバラ…」
「お前が怖がらせてどうする」
「やだわ~!じゃあ落ち着く為にもお茶にしましょう!今用意するわね」
花の嵐のようなおネエの美青年は、楽しそうに台所へと消えていく。
二人のやりとりを察するに、目の前の男は誰に対しても無愛想なようだ。せっかく彼も男前だというのに実に損な事だと思う。
でも年寄り相手に優しく接してきてたら余計怪しいと思うかも知れない。
そんな事を考えていると、持ち手のついたトレイにお茶のセットを乗せたエリアスが戻ってくる。さりげない日常の所作も丁寧で美しい。
「さぁどうぞ」
西洋風の花柄があしらわれたティーカップに、ティーポットで蒸された紅茶が丁寧に注がれる。
透明感のある綺麗なオレンジ色を眺めてから、そっと口に運ぶと優雅な芳香がふんわり広がった。
温かい飲み物はどうしてこんなに心を解してくれるのだろう。
無意識にほっとため息が漏れる。
そんな私の様子を確認してから、二人もそれぞれ紅茶を飲みはじめる。
小休止を経て、リフレッシュした所で改めて風呂敷包みの説明を求めた。
「婆さんにこの世界は色々負担が大きい事は判った。だからこれを使って少々身体を若返らせようと思う」
「若返る?」
彼女の疑問を余所に包みを開けると、そこには正方形の箱をベースとした、精巧なミニチュア模型の家屋と庭が現れた。
「なんて可愛らしいの!」
女は珍しい物を見たと、両手を合わせて喜びを表した。
「あら…こんなものがあったのね」
「お前に見せたら勝手に弄られそうだからな」
エリアスが覗き込もうとするのを、男は肘でつついて静止させる。
「素敵な模型だけど、これが私に関係あるの?」
「これは特別な箱庭だ。お前はここに住んでもらう」
「このお屋敷に置いて下さるという事かしら?」
「住むのは屋敷ではなくて………説明が面倒だ。実際に中に入れば分かるだろう」
その言葉をきっかけに、箱庭と呼ばれるミニチュア模型全体が不思議な光に包まれ、じっと眺めていた視界が霞んで見えた。
そして次に気が付いた時には、先程眺めていたミニチュアだったはずの家が普通の人間が住める大きさになって、目の前にあったのだ。
ご指摘頂いた所と気になる所を訂正しました。
・エリアスの香水についての行
・紅茶の行