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35 古き良き貴族紳士



 以前屋敷に宿泊した事もある、ウツワノとの付き合いも古い帝国貴族ブルーノ。




 彼は古き良き気概を持つ貴族紳士であり、自領の民の為魔物の脅威から逃げる事もせず、街の前線にて果敢に指揮を執っていた。


 自腹で討伐隊を雇い、もう何日も魔物の撃退を繰り返している。


 彼の懐にはウツワノが渡した加護の守りが忍ばせてあり、長年の友好に対する信頼が彼を奮い起たせても居た。




 そしてもうひとつ彼が守りたいもの。


 それは、同じく誇りある貴族として育ててきた養子の息子。




 奥方が病気で子を成せなかった為迎え入れたの多くの子供のうちの一人だが、特に優秀で人身掌握に長けており将来を期待していた。


「父上、一度屋敷に戻られて身を清めては如何でしょうか?」


「ふむ、臭うか?」


「それ以上汚れては討伐隊隊長と見分けがつきません」


「そんなに強そうに見えるか?」


 老いても尚、覇気を纏う姿は現役の討伐隊に見劣りはしない。

 そんな父親の姿に驚きと尊敬の思いで、目を細めて笑ってみせる息子は言葉を続ける。


「それに、奥方や妹達が不安で寂しがっております。少し位顔を見せて安心させてやって下さい」


「襲撃はこの所夕方からが多い。私が戻る迄の間指揮をお前に託そう。

 隊長、構わないだろうか?」


「我々は交代で小休止しております。領主様もずっと前線に詰めてお出ででお疲れの事でしょう」


「では暫し離れる。息子を頼んだぞ隊長殿!」


「了解です!」


 隊長と肩を並べる息子の姿に成長をひしひしと感じながら、ブルーノは誇らしい気持ちで改めて前線の様子をぐるりと見回す。


 有志の戦える民兵と雇い入れた討伐隊の面々が皆一丸となり、脅威に立ち向かう為心をひとつにしている。


 思い出すのはかつて自身が若かりし頃、自領開拓と拡大の為奔走し魔物と戦った懐かしくも誇らしい日々の事。


 その時出会った男がウツワノであり、ブルーノが背中を預けた数少ない戦友でもあった。


(この感覚……懐かしいのぉ)


 独特の緊張感と戦場の匂いに古い記憶を呼び覚ました所で、験を担ぐつもりで渡された加護の守りを取り出した。


「おぉそうだ。これは旧友から授かった守りだ。これもお前に預けておこう」


「心配性ですね父上」


 ブルーノは、息子に加護の守りを手渡すと、配給や救護のテントを視察した後妻と子供達が待つ屋敷へと戻り休息を取った。




 昔は領地拡大の為武勇にものを言わせて戦場を駆け巡った武人でもあったが、平穏で鈍った身体と迫る年の瀬には勝てず、緊張の糸が切れた途端にブルーノは直ぐに眠りに落ちてしまった。



 気を使った妻が少し長めの休息をと言い付けたのだろう。

 部屋が薄暗くなった頃、ようやくブルーノは鉛のように疲れて重い身体を持ち上げベッドから起き上がった。


「少しの仮眠のつもりがいかんな」


 手早く戦支度を整えると、寝室を出てエントランスホールの階段を降る。


 夕方からは有志による民兵も交代で入れ替わるので、外は賑やかな筈。

 皆に疲れた顔を見せてはいけないと口許に笑顔を作ったブルーノは、玄関ホールのドアを開け外に出た。




 そこに広がるのは見知った顔の死体、死体、死体。



 屋敷に戻る前まで笑顔で挨拶を交わしていた自領の民達。


 屋敷の敷地ではテントが立てられ、備蓄した食糧を使って炊き出しを行っていた。

 多くの民に配られる筈だった大鍋のスープはグラグラと沸き立ち、もうもうと湯気を立てている。


 ちょうど配給の時間だったのだろう、多くの子供とそれを庇うように折り重なった大人が、将棋倒しのようにバタバタと列を成して倒れている。


 ヨロヨロと足を引摺り歩みを進めれば、街の中心広場にも多くの民が倒れており、その視線の先、街の入口最前線からは白煙が上がっているのが見えた。


 ブルーノは冷や汗と鳥肌で固まる身体を必死に動かし、早鐘を打つ自身の心臓の音しか聞こえない静かな街の中心を通り抜け、時に死体に足を取られ躓きながら、気が狂いそうな心に歯を食いしばって耐え、歯軋りを立てながら何とか前線に辿り着いた。




 休息を取る前、優しくも凛々しい顔で父を案じた息子。


 そして短い期間ながら何度も魔物を撃退する中で信頼が芽生えてきた討伐隊隊員とその隊長。


 魔物を足止めする為作った杭型のバリケードが、息子と隊長の身体を貫く串刺しの磔にする材料に使われている。


 磔の遺体が街の入口を塞ぎ、あらゆるモノを拒絶する肉塊の壁となって並んでいる。


 その中心の目立つ位置に居る息子の凄惨過ぎる姿を前にして、ブルーノは糸の切れた操り人形のようにぐしゃりと膝から崩れ落ちた。


 魔物による見せしめにしてもあまりに惨い仕打ちに怒りと悲しみが一度に込み上げ、嗚咽と慟哭が発した事のないような叫びになってつま先から脳天へと突き抜けていく。




「なぜ、なぜ、私は目覚めなかった!!!

 皆が悲鳴を上げる中で、私はのうのうと眠っていただと!?」


「あり得ない……あり得ない!!」




 血の涙を流して何度も地面に額を叩きつけたブルーノの頭上から、乾いた拍手のパチ、パチという音が聞こえた。


「遅れて登場した役立たずの気分はどーお?」


 甘ったるい鼻に掛かる不快な声はさも愉快そうで、聞いてしまった耳を引きちぎりたくなる程怒りが込み上げてくる。


「守りの加護を握りしめて、最期まで貴方の名前を呼んでいたわ」


「守りでも何でもなくただの目印だったのだけど~」


「な……に……?」


「これを持ってる奴を殺せってねえ」


「本当は貴方が持っている筈だったんでしょお?

 でもその絶望が欲しかったから間違えて良かったのかも~」



 血に染まった加護の守りをブルーノが臥せる地面へと放り投げる。


「この守りは旧友から貰ったものだ」


「旧友~?ただのカモの間違いでしょ」


 息子の血で染まった守りを震える指で手繰り握ると、ブルーノはぶるぶると身を震わせ地面をかきむしった。


「う……ウツワノォォオ!!!」


 地の底から響くような咆哮は彼の口から黒い霞に具現化される。


「怒りと絶望のまま、死ね」


 不快な声の持ち主は、柔らかな塊にナイフを入れるように雑作無く領主の首を切り落とす。


 この世の怒りと慟哭を表現した形相を留めた彼の首級は、そのまま首をすっぽり覆うサイズの壺に丁寧に納められ、蓋には厳重に封印が施された。


「はぁ~~素敵な表情……ずっとずっと大切に眺めていたいわぁ」


 とろりと官能的な表情で壺に頬擦りした不快な声の持ち主は、舌舐めずりをして壺を抱え何時までも興奮していた。


「さて……次の戦場に向かいますか~」


 壺を小脇に抱えながら、ご機嫌な様子で不快な声の持ち主は次のターゲットの元へと向かった。





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