24 木目込人形の恩返し
ウツワノとエリアスが屋敷に戻って来て暫くの事。
いつも通りに仕事を終えて、数日後にやって来る常連客の為に明日から準備する旨会議をし、忙しくなると陽は気合いを入れていた。
夕餉を終えて酒のつまみを用意して、屋敷をお暇しようと箱庭のある部屋に向かって歩いていたが、見知らぬ禿頭の子供がしずしずとこちらに向かってくる。
客人はエリアス以外居ないのでこれはおかしいのだが、陽は驚きのあまり動けずにいた。
「今日はお屋形様が会ってやると仰るので迎えに来た。急いで準備をしろ」
「陽様!何事でしょうか?」
ポケットに入っていた雑巾にされた古布の付喪神白うねりが慌てて実体化して飛び出した。
「お屋形様?準備って……手土産は何がいいのかしら?」
「箱庭の家から甘い匂いが漂っているでないか。それでよい」
「じゃあ箱庭に戻って用意してきます」
「あまり待たせるでないぞ」
「陽様ぁ~」
陽は逆らわずに従うと、箱庭で焼いていたパウンドケーキを取り出し、簡単に包むとプレゼント用の手提げ袋に入れる。
「服は……着物でいいかしらね?」
着物を収納している桐の箪笥から茄子紺色の付下げを出し、手早く着付けていくと、格を合わせた織の帯を締めた。
趣味で着物を着ていたので、着付けは慣れたもの。
さほど時間も掛からずに済んだ陽は、手提げ袋を持って子供の元へと急ぐ。
勿論白うねりも護衛の役目として陽と共に着いていく。
廊下で待つ子供が陽と手を繋ぐと、屋敷の廊下は一変して石畳の道となり、脇には燈籠がずらりと道を照らしている幻想的な風景に変わっていた。そのまま道なりに進んでいくと、寝殿造り風の屋敷が見えてきて正面の庭へと案内される。
そこには子供が話していたお屋形様と呼ばれる者が、階隠間と呼ばれる中央の間から御簾で姿を隠した状態で座っている。
何やらとても雅な雰囲気に気圧されて、陽は暫しぼーっとその様子を眺めていると、お屋形様の方から声を掛けてきた。
「ほれ、もっと近う寄れ。お主が屋敷に請われた人間か」
「は、陽と申します。この度はお招き頂きありがとうございます」
「陽様の御付きの白うねりだ」
「ふむ。そちが陽に繕われた古布の付喪神か。愛らしい見目よ」
「恐悦至極に存じる」
「あ!手土産を持参致しました。お口に合えば嬉しいのですが」
手提げ袋を子供に手渡すと、簀縁と呼ばれる場所に控えて座る御付きの者に手渡し、そこから御簾越しにまた別の者が受け取り中身を確認してから、やっとお屋形様の元へと献上される。
「よい香りの菓子じゃ。歓迎しよう、陽。では、簀縁まで参れ」
子供に手を引かれ、陽は中央の階段を昇って右側の簀縁へと案内されると、陽の他にも招待された者達が既に簀縁に並んで座っており、皆一様に陽へと興味を示した視線を送る。
板間の簀縁なので褥(※毛の敷物の意)が置かれており、陽はそそくさとそこへ座った。
続いて奥から女中達が現れ、高坏と呼ばれる丸い朱塗りの器に足の付いた膳を掲げ持ち、客人の元へ置いていく。
高坏の上には小鉢に盛られた料理が数点あるが、どれも素朴で素材を活かした調理法であるようだ。
「では歓迎の舞を」
お屋形様の合図で皆が庭に視線を向けると、先程まで何もなかった場所に正方形の舞台が現れた。
舞台は三段の階段が付いた高さで、周りを朱の低い柵に似た高欄で囲っており、仰々しさがある。
高舞台上に、萌黄色の緞子の打敷と呼ばれる敷物が広げられ、隅には楽器を演奏する楽人が控えている。
奥から鬼を模したような仮面を付けた舞人が静かに現れると、階段を昇って舞台へ上がり準備を整え、舞と演奏が始まった。
舞の知識など無い陽だが、仮面を付けた舞人は目の前に敵がいるかのような振る舞いをしているので、退治成敗する物語の舞なのかも知れない。
時折コミカルな動きでもって何かを避ける仕草をしたりするので、とても面白く見応えがあり陽はどんどん惹き込まれていった。
白うねりはと云うと舞に興味が無いようで、出された料理に夢中であった。
やがて舞人が腕を空へ突き出す仕草をすると槍が手元に現れ、しっかと握ると逃げていた様子が一変して、激しく槍を振るい出す。
終盤に差し掛かり勢いが増した所で、周囲があっと声を出すのと同時に一人で舞っていた舞台上に敵役の者が突如姿を現し、手にした剣を舞人に振るい槍と剣を激しく打ち合い始める。
舞であれば敵を倒し終わる筈であったが、現れた敵は舞人の持つ槍を弾いて床に転がしたのだから周りは再びあっと叫んだ。
敵は簀縁へと顔を向けると、とんと軽く跳躍して陽へと剣を向けて今にも斬りかかろうとする。
寸で白うねりが陽の前に立ちはだかり剣を受けるが、古布の身は強くはない。
「陽様あ!」
敵は肉薄したまま白うねりを蹴り上げて床に踏みつけると、再び剣を翳した。
陽が頭を庇うように両手を挙げてぎゅっと目をつぶる。
何時までも痛みを感じない事に気付いてうっすら目を開ければ、悔しそうに表情を歪めた仮面の敵がおり、よく見ればその目はいつぞや呪いをかけた夢の男と同じく青く光っている。
「く……そっ」
陽を目の前に静止した敵は手にした剣をずるりと落とす。
陽の隣に座る客人の男の放った独鈷と呼ばれる武器が敵の眉間を貫いており、仮面が割れて顔が顕になるのを嫌がってか、片手で覆って隠すとよろめいて一歩後退する。
「喝!」
客人が気合の一声を叫ぶと、敵は身を震わせばつんと鈍い音を響かせて四散した。
白うねりが床に爪を立てしがみつかなければ、喝の声に合わせて一緒に四散してしまう所であった。
それほどの気合いを背後から受けた陽は、激しい痛みを首に感じてふらりと倒れ込んでしまった。
「この女、首に呪いの印が巻きついておったわ」
白うねりの上に上手いこと倒れた陽を指差し、客人の法師は数珠を取り出し牽制する。
「なんと。まさか呪いを受けておろうとは。とんだ災難だ」
怯える他の客人が悲鳴を上げて一帯から距離を取る中、お屋形様は御簾越しにやおら立ちあがると通る声で通達する。
「手土産に免じて許してやるが、呪いを解くまでここには立ち入らせられぬ!
折角屋敷で埋もれていた妹を見つけた礼にと、招待しもてなしただけに残念だ」
皆が落ち着いた所で改めて座り直したお屋形様は、先程活躍した客人の法師へ向き直る。
「それにしても猩々法師、助かりましたぞ」
「たまたま呼ばれた席にてあやかしの気配を感じたまで。こちらこそ無粋な真似を」
数珠は握ったまま、構えを解いて座った法師は床をとんと叩いて白うねりへと合図を送る。
「ほれ、何時まで床に這いつくばっておる白うねり」
「は、はひ」
「お屋形のお許しがあるうちに女を連れて戻るといい」
助け舟を出された形で、白うねりは陽の下敷きから脱すると、陽の身の安全を優先しながら焦らず御屋形様に別れの挨拶をと向き直る。
場が整った所で、御屋形様が締めの言葉を発する。
「妹を見つけた礼がまだであった。規律を重んじる貴族の一人として遺憾であるが……」
「我からお屋形様のお心遣い、必ずやお伝え致します。妹君はまだ屋敷に?」
「屋敷の倉庫にて人形の姿にされておった。陽がたまたま見つけ出した事で、ようやく我の元まで伝えにきてな」
「何と!何故屋敷で気付かれず置かれていたのでしょう」
「人間に騙されて人形の身に閉じ込められておったらしい。それで屋敷に持ち込まれたようだが」
「付喪神とは違って勝手に動く事儘ならぬ身。それは幸運に御座いました」
「追い出す形になったが、陽には感謝しておる。後日使いの者を屋敷に遣わす故、白うねりしかと伝えよ」
「ははーっ」
こうして陽は罰を受ける事なく幸運にも屋敷に戻ることを許された。
白うねりが陽を連れて無事屋敷の廊下まで戻ると、ようやく陽も意識が戻ったようで不思議そうに辺りを見回していた。
白うねりはお屋形様から聞いた妹君の話を説明すると、陽は思い出したのかあぁと相槌を打ち理解したようだった。
「しろちゃん、守ってくれてありがとう」
「うう、もっと強く成らねばです!」
陽は白うねりと共に、朝の点検で気になった桐の箱に仕舞われていた人形を出していた事を話しながら、改めて部屋に向かいうす紙から取り出した人形を見つめる。
「すぐに気付いてあげられなくてごめんなさいね。お屋形様に夢のように素晴らしい宴に感謝してます事をお伝えして下さるかしら」
雛人形のように十二単を纏った木目込み人形のふっくらとした愛らしい表情が少し和らいで見えた気がした。
「それにしてもあの敵を退治してくれた方、人間のように思えたのだけど」
「荒法師に関わっては駄目です!」
「その方にもお礼を云い損ねたわ」
「陽様の呪いを見抜いてお屋形様に進言した者ですよ!無視して良いのでは……」
「助けて頂いた事と呪いの件は別でしょう。いつかお会いできると良いけれど」
「陽様はお人好し過ぎますぅ」
こうして人形屋敷のお屋形様との不思議な宴はお開きとなった。
陽は着物ハンガーに着ていた着物を掛けると、あの夢物語のような世界に思いを馳せつつやがて眠りにつくのであった。




