2 覗き
初めての投稿になります。
宜しくお願い致します。
「………どうだい、器の?」
「…どうもこうも……婆さん見せられてもなぁ…」
先程まで老婆の部屋の様子を映し出していた『古い塗りの大きな手鏡』を机に伏せて置き直し、隣に置いていた陶器の盃に残った酒をちびりと呑む。
器の――と呼ばれた男は、縞に濃紺の着流しに女物の長羽織といった華奢な着こなしをしていたが、蒼白い肌と漆黒の髪色の妙な色香でもってとても彼に馴染んでいた。
彼と共に手鏡から覗きをしていたのは、二人が今居るとある屋敷に居座る異形の物の怪。此度は猫の姿を真似ている。
「どんな付喪かと楽しみに覗いたら、付喪に充たねぇ古物に囲まれて毎晩泣いてる婆さんときたもんだ」
「…その古物達が付喪と共鳴して、ここの屋敷の付喪までガタガタ五月蝿く反応し出しておる」
猫の言う通り、近頃屋敷内の物言わぬ品物達が揺れたり動いたり騒がしくなっているのは確かではあるが、別に今始まった事でも特段珍しい事でも無いので、男の反応はいまひとつ鈍い。
「ただの人間の老婆ではあるが、あの部屋に漂う死期からして、どうやら寿命が尽きるのはあともう…」
「普通に寿命だわなぁ。呪術の類いはなさそうだ」
猫の化生が同情を煽るが、男は意に介さない。
「あの老婆の魂…古物達の力…気にならないか?」
「最期の知らせ、みたいなものだろ」
「古物達が別れを告げるのか?それとも無意識に老婆が物を動かしているのか?」
「…何がそんなに気になるかねぇ?」
男はつまらなさそうに首を傾げると、猫の化生と手鏡に映る老婆を見比べる。
「屋敷の付喪と古物によって縁が生じたと見るが」
「厄介事は御免蒙る」
「後ろの骨董の山を見ても、か?」
猫の指摘にちらりと座敷の後ろを見ただけでも、仕舞い損ねて隅に置かれた品物達の山があちこちに点在している。
本来ならば、床に無造作に積み上げてよいはずのものでは勿論ない。
「放っておくと、埃やらカビやらが障気を呼び込んでくるぞ」
照明の当たらない影の暗闇が、何となく動いて見えた気がする。
「…仕舞っても、いつの間にか出てくるんだよ」
「お主でもまだ見落しがあるのかね」
猫の化生は前足を器用に舐めて手入れしながら目を細めて男を見抜く。
「管理はしてるが、勝手に動いたり隠れられれば付き合いきれん。この屋敷に物がいくつあると思ってんだ……」
地震でもないのに、屋敷のそこかしこからカタカタと物が揺れる音が聞こえてくる。
そのせいか、何だかカビのような臭いと終わりかけの線香の嫌な香りに、靄のような湿っぽい空気が座敷に充満しはじめる。
「俺に不満があるとでも?」
「まさか。お主の力は誰もが認めておる」
猫の化生ははたりと長い尻尾を床に叩いて答えた。
とりあえずと無視して男は陶器の盃に新たに酒を注いで煽る、が
「ぶーーーーーーーーっ!!!!」
喉ごしまで味わった酒を霧のごとく噴射してむせ出した。
「う…ぅげぇ……何だこりゃあ……腐っ…て…」
「汚ないのぉ…」
つい先程までほろ酔いで呑み進めていた日本酒が、一瞬にして腐ってしまったようである。
「嫌がらせか抗議か知らねぇが…おい」
意見を求めようと、今し方話していた猫の方へ振り向くも、どこにも姿が見えない。
その間にも、臭い匂いは強くなり、湿り気は視界でも判るほど白く霞むようになってきていた。
堪らず着ている羽織の袖口で鼻と口を押さえようとしたのだが、既に全身にじっとりと臭いと空気が纏わり付いており、鼻から遠ざける様に素早く袖を振るって空気をかき混ぜたが全く意味がない。
たまらず屋敷の庭に飛び出す。
屋敷の庭も同じように、臭く充満した湿った空気はいよいよ重さを増し始め、両肩、背中を押さえつけるように覆い被さると、いよいよ立っているのも辛くなってくる。
屋敷全体に影響を及ぼす外部からの攻撃や敵の侵入も無いというのに、これ程まで屋敷が男に対して荒れ出す事は珍しい。
このままでは、屋敷の管理を任された男もただでは済まない。
そこまで屋敷の不興を買ったのか、それとも他に原因があるのか、とにかく今はこの現象を収める事が優先だ。
屋敷の機嫌を伺うなんてしたくはないが、このままでは身体を押し潰されてしまいそうだ。
仕方無しに男は顔をあげて叫ぶ。
「わかった!あの家の古物!…付喪じゃねえが…呼んでやる!ここに置いてやるから…なあ!」
身動き出来ない重苦しさから解放されると思いきや、今度は真っ白な湿った霞が禍々しい墨色に変わり始めると、痛くて眼が開けられなくなってきてしまった。
「まだ!何か…」
ぎゅっと瞑った眼の奥がチカチカして堪らない!
「…………まさかあの老婆か?婆さんは付喪じゃねえからさすが、にっ!?」
男の叫びは屋敷に漂う霞を吹き飛ばす号風によって、舞い上がり掻き消されていく。
同時にもみくちゃにされた男は、風の勢いで座敷の中へ摘ままれる様に吹っ飛ばされると、外に面した襖が次々ピシャリと音をたて閉まっていく。
しばらく屋敷の外には、ごうごうと風の音が響いていた。