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14 夢の中の呪い

 はるは不思議な夢を見ていた。


 夢、と思ったのは周りが真っ白で何もない空間に居たからである。

 立っているような浮いてるような、酷い熱にうなされた時に似た不快感がずっと続いている。


「やあ、気がついたかな?」


 何もない空間の頭上から、聞き覚えのない男の声がした。辺りを慌てて見回しても、何処にも姿を確認出来ない。


「質問に答えたら帰してあげるよ」

「姿を隠した相手に何か答えるのは怖いわ」

「ふむ、怖いか…ならばこうしよう」


 男の声を合図に、真っ白な空間は桜が植えられた庭に変わり、空には朧月夜が浮かんでいる。


 しかしこの桜の庭以外の空間白く霞んでおり、切り取られたように美しく浮かんでいる様は、まるで天国にも思え恐ろしくもある。


「日本人は桜が好きだろう?さあ、そこにお座りなさい」


 声が指し示すそこには、桜の側に白い布製の天蓋が建てられており、その中に藤製の白い布張りクッションで出来たソファがふたつ置かれ、カラフルな花柄の刺繍が施されたクッションが複数背もたれを埋め尽くしている。


 中華風の花鳥風月が描かれた陶磁器製の太鼓型椅子の上にガラス板を乗せたテーブルが手前にあり、リゾート地を思わせるような空間が出来上がっていた。


「異国情緒溢れる雰囲気だ。どうだ、悪くないだろう?」

「素敵なセンスね」


 そして、大きめのソファに横たわるように優雅に座る男が、指に填められた沢山の豪華な指輪を見せつけるようにして手招きした。


 どうも日本についての文化や教養がある事を知らしめたいらしい演出に及び腰ながら、陽は近付いていきソファに恐る恐る腰掛ける。


 男の姿はアラビアンナイトを思わせるターバンを頭に巻き付け、所々に付けられた黄金の装飾が軽く頭を動かす毎にシャラシャラと繊細な音を奏で輝く。


 幾重に纏った薄い上着はソファーからこぼれ落ち、裾に施された刺繍が擦れるのも気にしない怠惰さが男の裕福さを物語る。髭を蓄えた顔はまだ若さが残っており、綺麗なブルーの瞳が彫りの深い顔によく映えている。

 まさに中東のイケメンといった容姿だ。


「陽と話がしてみたくてね。ウツワノが囲うような女とはどんなものか興味深い」


 陽は閉口した。用があるのは陽ではなく、ウツワノだと言うような物言いだからだ。


「そう怒るな。いったいどんな手管でウツワノをその気にさせたのだ?」

「…貴方ウツワノさんの知り合いなのね?」


「やはり無力な女という所が気を引いたのか…昔はそんなものに目もくれない奴だった筈だが」

「どうですかね、私はウツワノさんをあまりよく知りませんから」


「じゃあ誰かの指示か。陽は会っているかその者に」

「ウツワノさん以外は付喪神しかいませんよ」


「覚えてないだけか?それとも惚けている?」

「こちらに来た時、色々記憶を失っているの」

「あぁ…それは本当のようだ」


 男は隠しても無駄だと言外に匂わせては、つまらなさそうに視線を外す。


 やがて不機嫌が威圧となって、男の周りを禍々しい気配が立ち込める。同時に空に浮かんだ朧月夜は厚い雲に姿を隠し、辺りはどんどん薄暗くなっていく。


 代わりに、男の青い瞳だけがぎらぎらと焔のように光を増していった。


「私の元に来るのなら、力を与えてやってもよい。何なら更に若返らせて、我に相応しい魅力的な女に仕立ててやってもよいのだぞ」


「力は望まないわ」


「いつまで守って貰えるか分からないぞ?

 我に目を付けられたと知れば、屋敷を放り出すような男だ。

 それから我に泣きついても助けんぞ!」


「放り出されても、貴方には頼らない」


 語尾を弱めながらも、陽は精一杯脅しに抵抗してみせる。

 このまま殺されても仕方ないと覚悟して、陽はぎゅっと体に力を入れた。


「老人は色仕掛けも効かんし、頑固で好かぬ。欲しいと思った事すら腹立たしい」


 殆ど暗闇に覆われた中で、蒼白く光る瞳だけになった闇から吐き出すような愚痴が聞こえた。


「お前に呪いの印が有る限り、我から逃れる事は出来ないと覚えておけ」


 その言葉を最後に、陽は上下も分からない暗闇で、寝入りばなに襲ってくる突き落とされた感覚の次に体がびくっと痙攣した所で、ゆっくり目が覚めていった。


 ――――――




「おお、やっと起きたか」

「ここは屋敷で合ってますか?」

「そうともさ。悪い夢を見ていたんだね…無理に起き上がらなくてもいいぞ」


 起き上がる陽に老人は手を貸し優しく背中に触れると、ゆっくり擦って陽の意識を覚醒させていく。

 それからベッドサイドに置かれた水差しから水をコップに注ぐと、陽に手渡した。


 陽は暫し手渡されたコップを眺めていたが、喉の乾きを思い出したのか少しずつ水を口に含んだ。


「私、長いこと寝ていたのかしら」

「こちらに来て疲れが溜まっていたのもあったろう。休日寝過ごした程度じゃよ」

「そう…取り敢えず、目覚められて良かったわ」

「夢の話は後で聞くとして、まずは漢方を煎じた茶で英気を養うとよい」

「そんな大袈裟よ。病人じゃないんだから…」


 老人を見れば、大袈裟とは思えない慈悲深い色を称えた目でじっと陽を見つめている。


 この老人の目に覚えがある気がして思い出したのは、生前お世話になった主治医の姿。この老人は白衣は着ていないが医者の類いなのかと陽は理解した。


「漢方の先生でしたのね」

「陽の主治医といった所かな。白澤はくたくと呼んでくれ。何せ屋敷で病気しそうなのは、人間のお前さん位しか居ないだろうからな」


「それは…お世話になります、白澤先生」

「うむ。薬を用意するから、暫し横になっておれ」


 白澤先生と呼ばれ相好を崩した老人は漢方煎じ薬を作るために部屋を出て、台所で竈の付喪神お玖に声を掛け、続いてウツワノへ目覚めた報せをバトラーへ言付ける。


 30分程で、土瓶に入った漢方薬を持って白澤が戻ると、陽は肩からショールを羽織ってベッドから起き上がり、白澤の指示に従い土瓶で煎じた漢方薬の湯液を頂く。


 少し待って白澤先生の脈診があり、丁度終えた所でウツワノがバトラーを従え部屋へとやって来た。


「白澤、陽の様子はどうだ?」

「薬も飲んだし、後は安静にしておれば問題ないぞ」

「白澤先生のお陰です」

「そうか…ではまず先に、この屋敷の執事を紹介しておこう」


「陽様、初めまして。この屋敷とウツワノ様の従者をしております。バトラーとお呼び下さい」


 無駄な動きのない所作でもって一礼するバトラーに、見慣れぬ陽は緊張しながら会釈を返す。


「ベッドから失礼します。屋敷のお手伝いをさせて頂いております、陽と申します」


 ウツワノは咳払いひとつして、切り出す。


「陽が快復してから改めて紹介の席を設けよう。本題に移ろうと思うが、いいか」

「はっ」


 挨拶を終えたバトラーが、ウツワノの後ろへ下がっていくのに合わせて白澤も立ち上がると、入れ替わるようにベッドサイドに置かれた椅子を引いてウツワノのが腰掛ける。


「夢であったことを覚えていれば話して欲しい」


 陽は頷くと、覚えている限り順を追って話していく。

 夢に現れた男の容姿に関しては、ウツワノは殆ど興味を示さなかった。

 次に男の話した台詞で気になったものを伝えていく。

 ウツワノ以外の人物を示唆した件では、少し考え事をする様子が伺えた。

 そして、陽に力を与えて引き込もうとした事を話し、最後に呪いの印について話す。

 逃げられないと言った事も隠さず伝えた。


「相手は少なくともウツワノさんについて知っている口ぶりでした」

「そいつは呪いの印と言ったんだな?」

「そうですけど…」


「夢の中で何か食べたり、物を貰ったりしたか?」

「いいえ。おしゃべりな相手でしたから、ひたすら聞いてただけで」


「ふむ…では陽、服を脱いで裸になれ」


「へぇっ!?」

 想像外の発言に、陽はすっとんきょうな声を上げた。そして肩に羽織ったショールを胸元できつく握る。


「印を探すためだ。早くしろ」


 何でもないふうにウツワノは発言を繰り返し、陽を急かす。

 医者である白澤も、あまりの言い種に右手で目を覆う。


(医者の儂に頼めばよいものを…急かすなぞとんでもない)


「いや、ちょっと、いくら私が色気のないおばさんだからって…」


 陽は恥ずかしいやら腹立たしいやらで、体が硬化したように強張っていた。


「ウツワノ様」


 察したバトラーが、ウツワノに何やら耳打ちする。


「面倒くさ…いや、そう…なのか」


 呆れたような顔を隠さずウツワノが独りごちると、バトラーは部屋を素早く後にする。


 残された白澤は微妙な気まずさに、ウツワノの動きを警戒しながら腕を組んでやり過ごす。


 すぐにバトラーともう一人の足音がバタバタと近付いてきて、バトラーより先に入って来た人物が勢いよくウツワノを突き飛ばした。


「ウツワノのバカ!変態!陽は立派な女性なのよ!!」

「わ…悪かったよ…」


 彼女の勢いに気圧けおされ、ウツワノは肩を竦める。


「確認は女同士で行うわ!男達は出ていって頂戴!」

 問答無用で男三人は廊下へ押し出された。


「陽、心配したのよ!」


 ふわりと手を差し伸べる勝ち気な少女は、以前陽が入っていた行李のある部屋に住まう着物の付喪神 牡丹ぼたんであった。


 牡丹の登場に安心した陽は小さく頷くと、牡丹も陽の腕をとり絡ませるように密着して、ベッドサイドに腰掛ける。


「呪いなんて物騒な話を聞いたのだけど、本当なの陽?」

「特に体に異常は感じないけれど、きちんと確かめなければね」

 陽は牡丹の頭を優しく撫でて笑ってみせると、牡丹は悪戯を思いついたような笑みを浮かべて応える。


「呪いとは違うけれど、付喪神やあやかしなんかでも、気に入った人間に印を付けるものはいるのよ。

 例えば…私が気に入った子に印をつけるなら、ここにするかしら」


 牡丹が指し示したのは、右手の小指という何とも少女らしいロマンチックな場所だった。


「残念、ここにはないみたい…陽は男と話したのでしょう?その男ならって場所を考えてみてくれる?」

「そうね…女馴れしたキザで嫌な男だったから…もしかしてこことか?」


 陽は肩に掛かった髪をかきあげ、首筋を牡丹に見えるように示した。


「首回りね?よく見せてくれる?」


 牡丹は陽が髪を押さえている隙に、左から後ろへ回って右へと確認していく。


「…これかしら?」


 陽の右側の首筋に、紅い色の文字か記号のようなものが小さく浮かんで見える。


「ウツワノったら!裸になる必要なんて無かったじゃないの!

 陽は休んでるのよ!私がその記号覚えたから、絵に描いて説明しとくわ!」


 陽の返事も聞く前に、間髪を容れず牡丹は再びウツワノめがけて部屋を飛び出して行った。


 廊下ではしばらく牡丹がウツワノに高声をあげていたが、バトラーが仲裁に入る声が聞こえると、足音が徐々に遠くなっていった。



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