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13 バトラー登場と異変

 朝を迎えた屋敷の台所。


 いつもなら陽が朝飯の支度をしている時間なのだが、今日は竈の付喪神おひさが台所に立っていた。

 陽が来る以前はこのお玖が屋敷の料理及び台所を取り仕切っており、料理好きな付喪神と共に食事を用意していたのだ。


 世話好きなお玖は、今でも陽の居ない間や気まぐれな付喪神達の為に何か作ったりしていて、幼い付喪にとっては姐やか母のように慕われている。


「姐さん、魚もうすぐ焼けますぜ」

「魚用の皿出すねー」

「姐さんのだし巻き卵久しぶりー」

「つまみ食いするんじゃないよ」


 お玖の周りには、まだ人間の姿に化ける程の力を持たない付喪神が手伝いをしていた。


 いずれも首から上はそれぞれ台所に置かれているモノの形で、体は子供の姿か手足が直接生えているモノもいる。

 また、しゃもじや茶碗に湯呑みといった庶民的なモノが多いのも特徴である。


はるさん大丈夫かな?」

「人間だからね。きっと疲れが溜まってたんだろう」

「そっかあー」

「さ、客人に朝餉あさげ運ぶよ。誰か呼んできておくれ」


 台所にお玖の小気味良い声が上がり、雑談から仕事へと再び雰囲気が戻る。


「ちょうど良かった。お玖さん、私が参ります」


 そこに現れたのは4~50代辺りに見える壮年の男で、洋装のスーツ姿をしており、短く揃えた髭を頬から顎にかけて生やし、気品を感じさせる。


 男は優雅に大きめの盆に綺麗に用意された朝餉を受け取り、軽く会釈した。


「しばらく家を留守にしておりまして。昨晩戻って参りました」

「まーた異界の面倒事を押し付けられたのかい、バトラー」

「いえいえ。今回も楽しく仕事させて頂きましたよ」

「バトラーは相変わらすだねぇ。ま、後で土産話でも聞かせておくれよ」

 二人は思わせ振りな笑みを浮かべるが、多くは語らずそれぞれの仕事に戻っていく。




「お久しぶりです、エリアス様」


 茶の間に朝食をセッティングし終えた所で入ってきた、昨晩から泊まっているエリアスに挨拶をする。


「あら久しぶり!戻って居たのね、バトラー」

「はい。夜半過ぎになってしまい、ご挨拶が遅れました事お詫び致します」

「いいのよ。突然だったし、しばらくあちこち飛び回っていたのでしょう?」


「エリアス様も屋敷に宿泊されるのは久々でしたか。今朝は和食でご用意致しました」

「泊まるのも、和食を頂くのも久しぶりね。早速頂くわ」

「どうぞ」


 エリアスは慣れた手つきで箸を使い、朝食を食べていく。

 箸を使いこなせる程度には、この屋敷で食事を採る機会があったようで、バトラーと呼ばれる男とも顔馴染みのようだ。


 静かな朝食を終えると、盆に素早く下げられて食後の緑茶が置かれた。そこで一服しながらエリアスが口を開く。


「陽には会ってるの?」

「いえ、まだです」

「何時もなら起きてる時間じゃないかしら」

「疲れたご様子でしたので」

「そう…じゃあそのまま寝かせてあげないとね」

「そのようで」


「ウツワノが起きてきたら頼みたい事があるんだけど」

「言付かりました。それまでエリアス様も屋敷でご自由にお過ごし下さい」

「そうするわ」


 エリアスが茶の間を辞すると、バトラーと呼ばれた男は食器を台所に下げる。台所の食器棚から水差しとコップを出し、小さめの盆にのせ、静かに2階客室の一室へと向かった。


 盆を片手にノックをすると、返事を待たずに中へと入る。


 そこにはベッドで眠る陽と、その様子を見ている者が二人。


 バトラーはそのうちの一人、屋敷の主であるウツワノに視線を送り頷いた所で、ベッドサイドのテーブルに水差しの乗った盆を置くと、二人の後ろへと下がる。


「さて、儂は薬に関しては自信があるが…毒ならとっくに儂の薬が効いているはずだ」

「…特に苦しんでる様子もないようだな」


 作務衣姿で髪を無造作にひっつめ、眠たそうなやる気ない眼と立派な口髭が特徴的な老人が、白髪混じりの髭を撫でて思案顔をする。


 彼は薬研やげんと呼ばれる漢方を舟形の受け皿に入れ、円盤型の車輪で細粉する道具の付喪神だ。


 老人は静かに眠る陽の脈を計り、異常がない事を改めて確認した。


「屋敷に異常はないか?」

「屋敷周りは勿論の事、異界に通じる各扉にも警備を付けておりますが、特に報告は上がっておりません」


 バトラーは優秀な執事であり、ウツワノが指示する前に意図を汲んで監視を強化していた。

 専ら異界に出たがらないウツワノの代わりに、異界での人脈に奔走する仕事が多い為、屋敷に居ない事もしばしばであるのだが。


「そうなると、これは毒ではなく何らかのまじないと考えるべきかな」

「陽様の頬に受けた傷から流れた血を媒体に、何者かが術を放った可能性があります」

「陰魔法を使った者にそれほどの力があったとは考えにくい。別の第三者が指示したか、偶然を利用したか」


 ウツワノは険しい表情で、眠る陽を見下ろした。


「呪いじゃあ儂では手に負えんな」

「まあそうへそを曲げるな白澤はくたく。陽は人間だから、まずはお前に診て貰った。目覚めたら滋養のある薬を頼む」

「分かっておるわい」


 口髭を撫でた白澤と呼ばれた老人は、ふんと鼻で笑って答えた。



「無理に干渉しても人間相手では面倒だ。目覚めるまで待つとするか」

「では儂が引き続き残ろう」


 白澤に任せば安心と、ウツワノは頷いてみせる。

 火急の件は一段落ついたとみて、バトラーが口を開く。


「ウツワノ様、エリアス様が用向きがあるとお待ちになっております」

「なんだ。まだ帰ってなかったのか」

「エリアス様の事ですから、何か勘づいてらっしゃるのかもしれません」


「大袈裟なんだよなあ、エリアスは」

「そこがエリアス様の魅力でもあるかと」

「分かった。エリアスの所に行こうか」


 忙しなく向かおうとするウツワノを軽く腕を伸ばして制し、バトラーが1歩歩み寄る。


「その前に、お玖さんが食事を用意しております。エリアス様はいつもの様に朝食はお済みになっておりますので」

「腹に入れとけと。まったく世話焼きな奴らが多すぎるな」

「主人の体調管理も執事の役目にございます」


「白澤にも何か持ってこさせよう。酒はないがな」

「酒臭い爺が隣に居ては目覚めも悪かろう。暫し我慢するさ」


 バトラーの無言の圧力でもって扉の前まで来たウツワノは、白澤に一声掛けて部屋を後にした。背後にはしっかりバトラーが付き添っている。


「相変わらずじゃな、あの二人は」


 面白いものを見たと白澤は微笑むと、ベッド隣のテーブルセットに移動して手持ちぶさたに本を袂から取り出し、長期に備えてゆっくり寛ぎ始めた。




 ウツワノはお玖の小言を聞きながら飯を軽く済ませ、エリアスを探しに屋敷を歩き出す。


 エリアスは客室ではなく庭に出ており、珍しく剣を奮っていた。朝稽古というよりは、精神統一を兼ねた動きでもって、一つ一つ動作を確認しているような真剣さが漂う。


 バトラーが声を掛けようとした所で、ウツワノは顔を振って制し、縁側に座ってエリアスの様子を眺める事にした。


 バトラーは二人の視界から外れて庭の井戸へ向かい、冷たい井戸水を汲んで桶に満たすと、手拭いを添えて縁側に置いた。


 エリアスが剣を収めて一息ついた所で、ようやく待ち人の存在に気付いて近付くエリアスに、ウツワノが濡れた手拭いを差し出した。


 うっすら軽く汗をかいたエリアスは、バトラーの手際のよさに感心しながら手拭いを受け取り、汗を拭う。


「話はそれか?」


 息を整えながら首元を拭うエリアスの動きがぴたりと止まる。


「そう…思う?」

「力を欲する目をしてる。同時に剣に迷いもある…か」

「相変わらず厭な男ね。でも…そう見えるなら、そんな気もする」

「煮え切らねぇ返事だな」


「貴方にお願いすべき事かどうか、これでも悩んでいるのよ」


「俺は剣に関しちゃ自己流だからなぁ。それにあんまり得意な方ではないし」


「…守る為の剣なんて考えて来なかったのよね。そこそこ強さも自負していたし」


「随分と殊勝なことで」

「茶化さないでよ。久しぶりにね…悩んでるのよ」


「欲しいのは強い剣か?それとも強い従者か?」

「まっ!ほんと厭な男!私を他の客と同じ扱いするつもり?」


「ウツワノ様…」


 バトラーまでもがウツワノの言葉にこめかみを軽く抑えた仕草で顔を振る。


「ハッキリしない奴がいけないんだよ。しょうがねぇな」


 ばつの悪そうな顔をしたウツワノは、暫し逡巡するように腕を組んだ。


 エリアスと相性の良さそうな、剣の腕の立つ者を候補に頭の中に挙げていく。強さを求める者は沢山居るが、その中でもエリアスの求める剣技を持つものとなると、なかなかに難しい注文である。


 付喪神は人間に配慮する考えを持つ者は少なく、死地に喜びを見出だす戦闘狂も少なくないからだ。

 付喪神に限らず、強さを求める者は孤高で自らも投げ出す鋭い刃物のような、危うい奴程強くなる傾向がある。


 特に魔物が巣くう異界では強さは厄介事を引き寄せ兼ねない為、目立つように力を誇示する者はだいたい何処かの国が囲って権力の為に利用されている現状が殆どだ。


 何処にも属さないウツワノ勢力としては、あまり関わりたくない気持ちもある。


 しかしエリアスは異界での古くからの友人でもあり、陽に好意的でもある事から出来れば応えてやりたい思いも少なからずある。


「そういえば、昔似たような事を言って剣を貸し与えた者が居たような気がするが…」

「おお、居りましたね。確かその者は…お待ち下さい」


 バトラーがスーツの内ポケットから黒い光沢ある革の型押手帳を取り出すと、何やらメモをパラパラと捲り始める。


「ございました。彼はどうやら辺境の地にて、請われて民草を魔物から守る用心棒のような仕事を転々としているようですな」

「へえ…まだ生きているとは驚きだな」

「彼ならば、今のエリアス様に宜しいかと愚考致します」


「ふむ。では奴を探して会ってみるとするか。いいか?エリアス」

「構わないわ。それと…暫く店には戻らないつもりよ。まだ監視されてる可能性もあるかも知れないから」

「そうか。ならこの屋敷で好きに過ごすといい。必要な物があれば使いを寄越すから、取りに行かせろ」


「助かるわ。ありがとうウツワノ」



 エリアスは決意に充ちた顔で頷いてみせる。どうやら目標が定まり迷いが吹っ切れたようだ。


 巻き込んだかも知れない事を苦々しく思いながら、ウツワノは口を強く結んでいた。


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