10 獣の化身と悪魔の契約
最初に投稿した9話後半部分のみ加筆修正してまとめ直しました。
哀れな男の話をしよう。
男は王国で、貴族の長男として何一つ不自由なく生きてきた。
今では小さな村の領主として立派に役目をこなし、後は貴族としてそれなりの娘を貰い受け子供を作り、次の子孫へ繋げていく事を期待された。
貴族の娘は世間知らずで気位が高いが、今後の自領繁栄を考えれば多少面倒でもよい家の娘なら問題ないと考えた。
見合いの為何度かパーティを開き気に入った娘を見つけ、順調に出逢いを重ね婚約を交わした。
しかし、その娘には他に結婚を約束した男がいたらしい。
相手親の助言に従い結婚を早めようとした矢先、娘は男と逃げようとした。しかし娘の親の手により、二人は捕まった。
二人が引き裂かれたのは、領主の男が差し向けたものと勘違いした娘は、腹いせに領主の男の酷い噂を流し始める。
娘可愛さに、娘の両親はそれを叱責しなかった。
娘の駆け落ち騒動を、他の噂で消してしまいたかったのだ。
静観していた男は気付かなかったが、領主に嫉妬し地位を引きずり下ろそうと考える者が居た。
その男は噂を流す娘に同情して気を引き唆し、更に現実味を加える策略を巡らす。
あり得ないと領主の男が抗議する頃には噂は村人達にも伝わっており、何者かに暗殺者を送り込まれるまでに発展した。
暗殺は未遂に終わるも、領主は人間不振に陥り屋敷に引きこもる。
そして事件は起こる。
屋敷前の騒がしさに覗いてみれば、婚約した娘の首が門の入口の柵に刺さっていた。
すぐに警備の者がやって来て屋敷を調べたが、体が発見されなかった為領主の容疑は晴れる。
続いて村では若い娘の失踪が相次ぎ、前回の事件を見た村人たちが猟奇趣味を持つ領主の男が命じて娘を拐っていると噂した。
娘を誘拐された村人の親が噂を信じて屋敷に乗り込むが、領主は相手にしない。
やがて不信感が爆発した村人達は、松明片手に石を投げ込み屋敷を強襲した。
使用人達の手により逃げ延びた領主の男だったが、屋敷は村人と紛れ込んだ盗賊によって目ぼしい財産は奪われ火をつけられた。
小高い丘から赤々と燃える屋敷を見ていた領主の男は、血の涙を流して慟哭し、異界に伝わる呪いの言葉を罵詈雑言と共に吐いた。
すると男の前に薄く笑みを浮かべた黒髪の美しい悪魔が現れる。
呪いの言葉は悪魔を呼ぶものだったのだ。
人に絶望した男は願う。
自分を陥れた者達へ復讐する力を。その為にこの命を捧げると。
美しい悪魔は男の言葉に興味を示さなかったが、呪いの代償と告げて男を獣の化身に変えさせた。
男は獣の力を手に入れ歓喜し、夜な夜な復讐のため人を殺して回った。
狂気に支配された男に怖いものなどない。
獣が暴れる村として、今度は村全体が近隣から迫害を受け、領主の男が治めたのどかな村は廃墟同然の村となって恐れられるようになった。
復讐する相手を失った男は領地を立ち去ると、貴族を憎んで都会を目指す。
恐怖を撒き散らし、新たな獲物を求めて。
そうして流浪を続けた男は心底飽き飽きしていた。
変わらぬ人間の醜さに。消える事なく聞こえる自分の噂に。
そしてまたつまらぬ女を殺してやった。
噂に翻弄される昔の自分と似ている愚かな女。
これでまた人を襲う獣が出たと噂になって、ここにも居づらくなるだろう。
獣の耳は聴覚が鋭く、いつも不快な噂が耳に入ってくる。
あの悪魔にもう一度会えるだろうか。
男は潜伏していた時に聞いた、殺した娘にも教えた場所を目指した。
王国の裏路地、瓦礫の廃墟の中に男は居た。
瓦礫に残された今にも朽ちて倒れそうなボロボロの扉。
扉の先に繋がる異界に願いを叶える男が住んでいる。
殺した女が辿り着けたと言っていた。
証拠にそこで手に入れた高価なペンダントを持っていた。
だから必ず行けるはずと信じて何度も試したが、どうしても辿り着けない。
あの女に出来て、俺が出来ないわけがない。
悪魔に気に入られた俺ならば。
そうしてどれ程の夜を過ごしてきた事か。
男の瞳からはすっかり生気が抜け、着ている服もボロボロである。手の爪は黒ずみ、美しかった顏も垢で汚れている。
気配を隠すように、廃墟の影に潜んで身を横たえただじっと待っていた。
月も隠れる薄曇りの深夜、廃墟の扉が内側から開かれ何もないはずの空間から待ち望んでいた美しい黒髪の悪魔が現れた。
「折角呪いが成就したってのに無様に成り果てて」
「…………あんたか…待っていた」
待ちくたびれてすっかり鈍った体を起こして、獣の男はすがるような目で悪魔を見た。
「化物に生まれ変わって満足したんじゃないのか」
「強くなりすぎて、追われる身になってしまってね……なのに未だ誰も殺してくれないんだ」
「俺が介錯してやろうか?丁度血を欲してる刀を持っていてね」
携えた刀を持つ手を軽く挙げて見せる。
「他の化物に聞いたのだが…オマエは化物を操れるとか?」
「そうだな…元人間の化生はなかなかお目にかかれないから、収集癖は唆られるねえ」
射ぬくような鋭く冷たい視線を送ると、化物の男はゾッとして顔を背ける。
「期待に半分沿えず申し訳ないが、人間の頃の記憶を消して…オマエの配下に加えて貰えないだろうか」
獣の男の提案に、折角収集欲を唆られた気持ちが一気に萎えたのか、悪魔の眼光が鋭さを増した。
「人間の記憶を消したら、ただの化物と変わらんな」
「オマエと最初に会う前の記憶までで…構わないん…だ」
悪魔を恐れつつも尚食い下がる獣の男に、悪魔の男は挑発的な態度で言葉を発する。
「俺に頼むなら対価がいるが」
「強さと収集癖を充たす道具としてでは…足りないか?」
獣の男は迷いを打ち消すように軽く顔を振った後、ゆっくり悪魔の目を見遣る。
「まあ…お前は割と楽しませてくれた方だしな」
悪魔は口角を歪めて微笑んだ後、悠々と化物の男に歩み寄り膝をつくと、ボロボロになったフードを捲って化物の男と至近距離で顔を見合わせる。
「人間の証、魂を変える事は出来ぬが、心の奥底に仕舞う事は出来る。今は休め」
悪魔の男は優しく化物の男の眼に手を翳すと、抵抗せず身を委ねるように獣の男は目を閉じた。
「………宜しく頼む」
化物の男の体から光のオーラが現れ、淡く光を放つと頭の天辺から紐状のものが空に伸びていく。
先は球体になっており、光が弱くなるにつれ球体も小さくなっていく。
空に伸びた紐をむんずと掴むと、先の球体を逃さないよう引き寄せて千切った。
化物の男から力が抜け、前のめりに倒れてくる肩を空いた片手で押さえると、床に落とされている男の影が生き物のように化物の男をずぶりと飲み込んで行った。
「やはり人間の魂は美しいものだな」
引きちぎった野球ボール大の大きさになった球体を懐に仕舞うと、来た時の扉から何もない空間へと戻って行った。




