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乃羽さんは戦わない。  作者: 高野十海
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その6、寂しい助六

 玄関前にカメラを設置している程度のセキュリティもないアパートだから、ドアの覗き穴から挨拶に来た女性を見た。

 脱色したか染めたかしてある金髪に、小麦色よりやや濃い褐色の肌を持っていた。

 彫りの深い顔立ちから出てきたなめらかな日本語は、日本育ちか、もしくは高い知性を伺わせる。

 どこの国の出身と言われても納得できそうな反面、どこにも似ていないような気もする。

 返事をした以上、あまりにも待たせすぎても不信感をもたせるだろう。

 慎重にドアを開いた。

 レンズを通さずに見る彼女は、印象よりも若く見えた。


「はじめまして。隣に越してきたユーヴ・アリメロと言います。これ、つまらないものですが」


 完璧な挨拶とともに渡されたのは、四十センチほどの箱だった。


「すみません、ありがとうございます」

「引っ越してきたばかりで何もわからないので、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」


 ほぼ完璧な定形のやり取りを終えると、アリメロさんはぺこりと頭を下げて、上か下の階に同じく引越し祝いを渡しに去っていった。

 仙波さんにユーヴ・アリメロという女性の情報をスマートフォンで尋ねると、海外を拠点としていた潜行者(モーラ)であると帰ってきた。

 異能は『混合』で対象は自分自身。

 その体は、幾つもの混合物で強化されたサイボーグらしい。


「それでミス・マーブルね」


 異能を使わなければ生きていけないということはないだろう。

 それでも適応種として潜行者(モーラ)という道を進んだのだから、成長を求めるのは自然なことに違いない。

 どこから情報を仕入れたのか、また仕入れてから引っ越してきた行動の早さは、素直にすごいと思う。

 その異能(さいのう)とは違って、強引に『成長』させようという野蛮さもないから、頭のいい人に違いない。

 状況を整理すれば、この場所はすでに知られているし、なんらかの方法を使えば通ってくることも可能だろう。

 もしも『好意』を寄せたほうが効果があるということまで知られているのなら、強引に行動する人も少ないはずだ。

 考えてみれば、むしろ情報は一部で公開したほうが、予想される最悪のケースは避けられるかもしれない。

 正攻法で『成長』しようという人たちが、邪道で得ようという人たちを牽制、排除してくれることも考えられる。

 ガチガチに抑圧して、誰も利が得られないとなったほうが危険だろう。

 仙波さんに連絡を取る。

 正しいかどうかはともかく、リスクの軽減を考えればそれほど間違ってないはずだ。

 連絡し終えてスマートフォンを見れば、今日から回してもらうはずの車が到着するまでもうそれほどなかった。

 慌てて部屋の中に戻って、仕事に出る支度を始めた。




 仕事を終えて車で近所まで帰ってくる途中、スーパーに寄ってもらった。

 そこで帰ってもらって、そこからは距離もないから歩きで帰ることにした。

 野菜コーナーから順に回っておつとめ品を確認する。


「ニンジンか。……ゴボウは残ってたかな」


 きんぴらごぼうにするには悪くない。

 どうせ、もともとの形がわからないぐらいに切り刻んでしまうのだから。

 おつとめ品のニンジンとゴボウを買い物かごに入れて、鮮魚コーナーを見る。

 しかし昨日、鯖を食べたばかりだった。

 秋刀魚というのも悪くないけれど、もうすこし値段が落ち着いてからでもいいだろう。

 大根も買い置きがないことだし。


 足をすすめると、精肉コーナーでひき肉に値引きシールが貼られていた。


「ひき肉か。ハンバーグって感じじゃないし……肉団子……肉詰め……」


 どれもしっくりこない。

 まとめるのはまた今度にして、ばらばらの状態で食べるのはどうだろう。

 肉味噌、タコライス、麻婆豆腐。

 悪くはないけれど、胃袋に響いてくる気がしない。


「今日はひき肉じゃないんだな」


 とりあえず買って、冷凍しておけばその内なにか思い浮かぶだろう。

 買い物かごに入れて精肉コーナーを過ぎ、惣菜コーナーにちらりと目をやった。


「……助六かぁ」


 いなりずしが三つに、太巻きが三つで厚焼き玉子もついてくる。


「あ、これかも」


 肉でも魚でもない気分だった。

 きっと、こういう軽くも重くもないものが食べたかったんだろう。

 助六寿司のお弁当をかごに入れた。

 お酒のコーナーで、そう言えばむかし、新世界系のワインは安くて美味しいと聞いたことを思い出す。

 最近はイタリアやフランスがおいしいものを作ってるんだったろうか。

 どちらにせよ初心者にはぴったりだ。

 千円台の白と赤を一本ずつかごにいれて、それならとチーズも、と乳製品コーナーへ戻る。

 そこで、


「あ、えーと……乃羽さん……でしたよね?」


 ミス・マーブルことユーヴ・アリメロと再会した。


「ああ。こんばんは、アリメロさん。夕飯の買い物ですか」

「はい。スーパーが近くて助かります」

「遠いと買い物が面倒で、外食ばかりになっちゃいますからね」


 アリメロさんが持つ買い物かごを見てみると、そこには山のような食料品が詰め込まれていた。

 もしかしたら、パーティーの用意でもしているのかもしれない。


「やだ、恥ずかしい。あんまり見ないでください」

「すみません。パーティーでもするのかと思って」

「いえそんな、こっちに来たばかりで、友達もまだですよ」


 ということは山のような食料品すべて彼女一人のものということになる。

 体を強化している関係か、エネルギー消耗が尋常じゃないんだろう。


「おかえしに乃羽さんのも見ちゃおう。……お酒、けっこう飲まれるんですね」

「たまたまですよ。一晩にいくらも開けません」


 買い物かごの中身を見られるのは、けっこう恥ずかしい。

 今後はやらないようにしよう。


「本当にパーティーを開いてお誘いできたらいいんですが、片付けもまだなので……」

「引っ越しされたばかりだし、無理しないでください。それでは」

「はい。またです」


 とてとて小走りでアリメロさんは去っていく。

 見た目は色気のある美人という感じなのに、態度はどこかいたずらめいた可愛らしさがある。

 ミス・マーブルの名はその異能だけでなく、単純な女性ではないからこそむしろ、その異能が発現したのかもしれない。

 よく冷えたチーズを幾つか見て、柔らかいものと硬いものをひとつずつかごに入れた。

 レジに向かっている最中、スーパーに入っているパン屋が目に入った。

 夕飯は助六に決っているから特に欲しいものはないんだけれど、なんとなく見て回ってしまう。

 緑色の生地を被せたパンに手足を付けてカメにしているのは、よく見るけれど口にすることはなかなかない。

 子供の頃に見たなら、きっと母親にねだってしまいそうだ。

 見ていると明日の朝食にするには悪くない気がしてきた。

 トレイとトングを持って、チョコレートチップを混ぜたパンと、ダイス状にしたベーコンとチーズを入れたパンを選ぶ。

 晩酌のチーズと朝食のチーズが被ってしまう気がしたけれど、同時に食べるわけではないからいいだろう。

 買い物とパンを両方精算してスーパーを出た。


「またやってしまった」


 避難警報が出た時に水を買った頃からなにも進歩していない。

 ワイン二本の重みがずっしりと腕にのしかかる。

 車に待ってもらえばよかった。

 とぼとぼと歩いて帰りながら、今ごろ仁屋さんはなにをしているのだろうと考える。

 きっと、こんな些細な失敗を嘆いている状況ではないのだろう。

 一週間ほど会っていないだけなのに、会えないとなると会いたくなるのはなぜなのか。

 二週間ほど前には、可愛い人だと思っていたけれど、それほど意識していたわけでもないのに。


「……やめよう」


 思考とともに酒が深くなりそうなことを考えるのは。


「……きんぴらとパンって合うかな」


 なんだか今日は、全部がズレている気がした。

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