その4、騙し打ちのランチ
休日になる前、仁屋さんが行きたいと言っていた店へ食べに行こうという約束を叶えようと話し合った。
鳥の糞どころかここ数日、彼女に昼食のお弁当をもらっていたので、なんとしても多少の恩ぐらいは返したいところだ。
食べたことがなくても懐かしいと感じる味わいは、彼女の人間性を思わせてくれる。
その恩義に報いることはしたくない。
と思っていたのだけれど、行こうという店を聞いた瞬間、なかなか高いハードルであることを感じさせてくれた。
カフェにでもデザートを一品食べに行くのかな、という感覚だったところに、昼のランチという軽めながらフランス料理を食べに行くと聞いたときの衝撃は、なかなかのカウンターパンチだ。
「服はネクタイとスーツがあれば大丈夫かな?」
「はい。それほど厳格なお店じゃないですから」
なんて虚勢を張ってしまった。
正直、テーブルマナーには自信がないから、調べて動画を見てしまった。
いまから教室へ行って即席で学ぶというには遅すぎるけれど、これなら本で情報だけを見るよりはイメージがしやすい。
何度も繰り返して頭に叩き込んだあたりで、今度は何を来て行こうかと悩んでしまう。
それほどパターンを持っているわけではないから選ぶのは色味ぐらいのものだけど、安物では自分はよくても仁屋さんに迷惑をかけそうで怖い。
スーツにあまり興味がないだけで、買う金がないというわけではない。と言うと負け惜しみに聞こえるか。
ブランド物とは言わないまでも、ある程度の品質のものを揃えるというのは悪くない考えかもしれない。
食材なんかも値段と味は明らかに比例する。
「……買っちゃおうかなあ」
嫌われてるとはさすがに思わないし、すこしぐらい好意を持ってくれてるのはわかる。
そうじゃなかったらわざわざお弁当なんか作ってきてくれないだろう。
かといってアプローチしてみたら、そんなつもりじゃなかったというパターンはあり得る。
しかし多少ぐらいなら意識しすぎだとからかわれても、下手な恰好で仁屋さんに恥をかかせるよりはいい。
そこら辺の店で適当に買うとなると安物と変わらないから、店員がしっかりとしているところで相談しながら買うものだろう。
すこし電車で遠出して買い物に出かけた。
想定したほどではないけれど、久しぶりにしたそこそこ高い買い物は、なんだか不思議な高揚感があった。
翌日、朝早くに待ち合わせ場所に行くと、そこにはもう仁屋さんの姿があった。
薄いニットを羽織って軽やかな髪を半分結い上げた彼女は、これ以上ないほどに秋が似合う。
「ごめん、もうちょっと早く来ればよかった」
「いえ。こちらが楽しみにしすぎたんです」
にこりと笑う仁屋さんは、知っているはずなのに知らない人に見えた。
職場で会うときもかわいい人だとは思っていたけれど、いまここにいる彼女はそれ以上に魅力的だ。
「お昼ごろに予約を入れてあるんで、それまでどこかに行きませんか?」
「いいね。なにかあったかな、見に行きたいところとかある?」
「だったらあれ見に行きましょう。ほら、ええと」
喉まで出てかかってるのに名前が出てこないのか、んーと考え込んでしまう。
周りを見ると、ここはよく待ち合わせに使われているせいか随分と混んできた。
待ち合わせていた少女が遠くからやってきた少年に気づいて、小走りで駆け出そうとした。
思考に沈んでいたせいでそれに気づかず、避けそこねた仁屋さんをの腕を引っ張る。
「おっと」
「あっ、ごめんなさい」
といって軽く会釈をしてからまた駆け出し、少女は少年と合流して、「なにやってるんだよ」とからかわれていた。
ふいに腕を掴んでしまった仁屋さんに目を向けると、ぽかんとした顔で腕を見ていた。
その顔色がわずかに紅葉になるのがわかった。
「えっと、そのうち思い出しますよ。歩きましょうか」
「……はい。せっかくだから、このまま」
そういって仁屋さんはすこしだけ位置を変えて腕を組んだ。
もう彼女の方を見るのは無理そうだった。
「服もそうだけど、髪もかわいいね」
そういうのが精一杯で、関節が仁屋さんに『固定』されたように固い。
「えっ、あの……はい。……乃羽さんも、素敵ですよ」
自分の顔が紅葉に燃えるのがわかった。
それから百貨店で物産展を見に行った。
北海道展がやっていて、美味しそうなカニのお弁当があったものの、これから食事に行くのだからと買うのは止めた。
代わりに北海道の地酒や地ビールなんかを宅配で自宅に送ったり、じゃが豚をふたりで分けて食べたりしながらゆっくりと見て回った。
「面白かったですね」
「うん。今度は物産展をじっくり見て回るのもいいね」
彼女が純粋に楽しむことができたというのなら、それはよかった。
ずっと隣り合って腕を組んでいたから、それぐらいの距離が自然に感じられる。
なんだか気恥ずかしさよりも喜びのほうが上回ってきた。
そう思い上がって調子に乗ったら痛い目を見るのだから、これで精一杯。
「予約の時間ってそろそろかな。だいじょうぶ?」
「はい。これから行けばちょうどいいぐらいです」
「よかった。それじゃあ行こうか」
「きっとびっくりしますよ」
そういって微笑む仁屋さんは、どこかいたずらっ子のようだった。
着いた店は、たしかに言われたように厳格なレストランという感じではなかった。
ビストロというほど砕けてはいないけれど、そこまで気取らなくても済むぐらいの印象だ。
仁屋さんが予約した客であることを確認すると、席まで案内された。
店内は比較的落ち着いていて、あれやこれやと騒ぐような子供はいない。
むしろ客層の年齢を見ると、こちらがやや若すぎるくらいだ。
「わたしが頼むのは決まっていますけれど、乃羽さんはなにか頼みたいものありますか?」
「正直に言うと、こういうところってあまりこないからよくわからないんだ。仁屋さんのといっしょのもらおうかな」
「わかりました。それなら注文しちゃいましょう」
ランチ用の軽いコースらしいから、足りなかったらアラカルトでなにか頼めばいいだろう。
すこし待っているとサーヴィスがやってきた。
アペリティフはキールを頼んで、仁屋さんが二人分のランチコースを注文した。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
ちらりと目をやると、仁屋さんはにこりと微笑んだ。
「いま頼んだものに合うものを、軽いもので選んで頂いていいですか?」
サーヴィスは頷いて、いくつかの提案をしてくれた。
ふたりの年齢を見て取って、それほど高くないハウスワインを選んでくれたから、その中の一つに決めた。
やがてキール――よく冷やしたカシスのリキュールと白ワインのカクテル――がやってきた。
それを飲みながら料理がやってくるのを待った。
「仁屋さんはワインってよく飲むほう?」
「あんまり。ビールと、あと……日本酒をちょっと、かな」
「へえ。じゃあけっこう飲めるんだ」
「そんなこと……お酒の好きな女の人って嫌いですか?」
「ううん、気が合うなって」
甘めのカクテルや果実酒とかを飲むという人はよく聞く。
ビールは苦いからあんまり好きじゃないとか、日本酒は、という人もいる中で、素直に言ってくれるのはうれしい。
「よかった。乃羽さんは?」
「んー、ビールと、あと焼酎かな。芋が好きで」
「芋ですか」
「芋ですね。匂いが癖になっちゃって」
どんな芋がいいですか、なんて話しているところで、前菜がやってきた。
「オードブルの桃のポタージュでございます」
「へえ、これが」
仁屋さんが目当てにしていたのは、そのほとんどフルーツで構成されたコースだ。
元々は食欲の落ちた老紳士淑女や、食べ物を受け付けない妊婦用などに作られた料理をまとめたものらしい。
仁屋さんが一匙飲んで目を軽く開いたのを見て、こちらも飲んで見る。
「あ、おいしい」
見た目は桃の果実をすりおろしただけのような、とろりとした薄紅のペーストに見える。
それに白胡椒と白いクリームをさらりと浮かべたような見た目だ。
でも、これは完全に料理だった。
桃の甘さと濃厚さにコンソメやらが入っていて、マイルドでコクもあるのに重くない。
正直、軽いフルーツのコースと聞いて侮っていたけれど、それだけのものじゃなかった。
「おいしいですね。なんだろう……」
「さっぱりした感じはレモンかな。うーん……」
ちょっと材料が思いつかない。
ふたりでどうやって作るんだろうと話し合っている間に、メインが来た。
「季節の果実のパイ包みでございます」
見た目は魚のパイ包みそのものだ。
皿に広がるソースなんかもチーズとバターとクリームで作ったように見える。
「なんていうんだろう。なんか、すごいね」
「でしょう。見るからにデザートって感じだと、やっぱり食欲が湧かない人もいるんですって」
「ああ、そういうことなんだ。うまいこと考えるなあ」
ここらへんが老紳士淑女や妊婦に配慮した形の結果なんだろう。
その努力にはやっぱり素人では及ばないなという感じがする。
せっかくの料理だし、冷める前に手を付けた。
「……なるほど。フルーツだけど、デザートじゃない」
「はい。これも料理ですね。見た目だけじゃなくて、メインです」
火を通すことで甘みが減って、酸味が強くなる果実をうまいこと使ってある。
それだけじゃ尖っているように感じてしまうところを、パイとソースが調和させている。
青いバナナかなにかを使っているのか、軽いけれど、軽すぎない。
デザートになってしまいそうなところを料理に仕立てているのはさすがとしか言いようがない。
チーズとパンをもらって落ち着いたところで、最後にデザートをもらった。
「クレームブリュレでございます」
これは普通にデザートだった。
ここにもフルーツを使うと、やや強調しすぎているのだろうか。
表面を濃く焼き上げてパリパリになった部分が香ばしく、中身はまさしくクリーム。
スーパーなんかでお安く売ってる焼きプリンとはまったく別の食べ物だ。
「……ああ、おいしかった」
「うん。これはちょっとすごかった」
足りないかと思ったけど、来る前に物産展で軽く食べたおかげかちょうどよかった。
わざわざ食べにくる価値があるお店だ。
今度来ることがあったら、普通の料理も食べてみたい。
残ったワインを飲んで店を出た。
「次はどこに行きましょうか。わたしが行きたい場所に行きましたから、今度は乃羽さんの行きたいところにいきましょうよ」
「食べたばかりだし、どこかゆっくりできるところにでも行きたいね」
店を出るとまだ一時をちょっと過ぎたあたりで、これで解散というのも寂しい話だ。
ワインを飲んですこし気持ちが軽やかになっていたせいもある。
すこしお店を冷やかしてから映画にでも誘おうかと考えていたところ、スマートフォンが警告音を発した。
ダンジョンからモンスターが突沸して溢れ出たという緊急避難警報だ。
場所は、
「うそ……!?」
ほとんど目の前と言っていいところで、騒ぎが勃発した。




