人の上に立つ者(モモ)
私はまずリーゼの髪を洗い始めた。リーゼは未だ恥ずかしそうにしている。身体も固い。
この人は一体何者なんだろう。妃になるとなれば身の回りのことは従者が行うのが当たり前。掃除、洗濯、着替え、お風呂、化粧。そのくらいわかった上でここに来ているんじゃないのか。それを「わ……私、自分で洗えますから」と言った。貴族の出ではない常識のないお方なのだろうか。
だいたいどこのお家の方なのかしら。サシノールから連れ帰ってきたっていうことは、サシノールの貴族のお方?クグリ王の妃に選ばれなかったからパステト様に拾ってもらいでもしたのかしら。こんな常識知らずならミュマ様には勝てないわよね。
私はいろいろと想像を巡らせる。このお城に来て2年。ずっと、私が仕える未来のお妃さまについて想像してきた。
クカ国の貴族から選ばれるのか。だとしたら私よりお金持ちの人は嫌だな。それとも他の国の貴族?性格のきつくない人ならいいな。でも、パステト様のことだからどんな女を選ぶことか。ミュマ様のようなおとなしすぎる人は選びそうにもないし、だとするとセリ様のような凶暴女?……それだけは嫌。できるならパステト様の母君であるアロニィ様のような優しい方がいいな。
それが現実はコレ。ボケーっとしてて常識知らず。私はこれからずーっとこの人に仕えていくと言うのに。
髪を洗い終えてお湯で泡を流す。考えても仕方ない。今は自分の仕事をこなすだけだ。
身体を洗い始める。綺麗な肌。髪の毛も長くて綺麗。これはパステト様、一目ぼれなんじゃないだろうか。中身もよく知らず連れて帰ってきてしまった、とか。
「あの……モモさん」
押し黙っていたリーゼが赤い顔で私の方を振り返る。
「モモ、で構いません」
「あ……はい。じゃあモモ。身体はさすがに自分で洗います」
また言いだした。自分の身体を人に洗ってもらったことがないのか。まぁそうか。少し貧しい貴族だとしたら身の回りの世話をしてくれるメイドがいなくて自分でお風呂に入ることもあるわよね。
「わかりました」
そう言って私は布をリーゼに手渡した。
「ありがとうございます」
リーゼは安心したように笑って布を受け取ると、また私に背を向けて身体を洗い始めた。
「でも、今回だけですよ。毎回自分で洗ってしまっては私がサボっていると思われてしまいます」
「そんな!いいんです、私が自分で洗いたいのですから」
そんなに人に洗われたくないのか。それとももう私を気に入らなくて私に洗われるのが嫌なのか。
「あと、私に敬語を使う必要はございません。パステト様に聞いていらっしゃるかとは思いますが、私はあなた様の従者なのですから」
ひとまずお風呂の件はスルーして気になっていたことを指摘した。それこそ私がリーゼをいじめていると思われかねない。
「わかりました。でも、それならモモも私にそんなに気を使わないでください」
「……は?」
意味がわからない。突然何を言い出すのだこの人は。
「私、モモと仲良くなりたいです。女性同士なのですから。お風呂だって一緒に入りたい」
「それはちょっと……」
前代未聞。常識知らずの次元を超えている。とんだ変わり者だ。
仲良くなりたい?妃と従者として仲良くできたらという思いは私にだってある。でも、一緒にお風呂に入りたい?それでは妃と従者ではなくてただの友達だ。この人には身分の上下感覚とかそういうものはないのか。
「モモが気を使うのなら私もモモに敬語で話します」
変な意地まで張ってきた。子供か、この人は。
「……わかりました。でも、私がどんなに無礼なことをしたり言ったりしても告げ口しないでくださいね」
もうどうにでもなれ。リーゼの提案に乗ることにした。こんな変わり者に対して敬いの心を持ち続けるのなんて無理。できない。ならはじめからしなければいい。このお姫様もそう願っているのだから。
「本当?嬉しい!」
リーゼは子供のように笑った。女の私でもドキッとするような魅力的な顔。私は変なお妃さまに仕えることになってしまったようだ。
「それより、時間ないんだけどちゃんと身体洗えました?何なら手伝いましょうか?」
「あ……ごめん。もうちょっと……」
リーゼは慌てて前を向き身体を洗い始めた。本当に頼りのない人。私がしっかりしなければ。
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「……よし」
我ながら完璧。思わず笑いが出る。
いい香りのする石鹸で身体を洗ったので近づくと香水を振っているかと錯覚してしまう。ドレスと靴は私が実家から持ってきていたもので、思ったより身長が伸びずに着られないものを着てもらった。銀髪と白い肌に上品なピンク色のドレスがよく似合う。化粧は用意したまま使用者のいなかった高級な化粧品を使った。決して濃くなりすぎずより魅力的に魅せられるような化粧を施した。ピンク色のチークとアイシャドウがドレスと合ってとてもいい。
みすぼらしい美少女がクカ国の美少女姫に変わった。出会った様を見ていたから、よりやりがいがあったし達成感もある。
うんうん、と満足した顔でリーゼの周りを回る。当のリーゼも自分の変わりように驚いて口が開いたままだ。
「すごいわモモ。ありがとう」
「ふん、感謝しなさい。時間がない中ここまでやってあげたんだから」
私の口調はすっかり普通に変わってしまっていた。誰かに聞かれたら怒られるわ。
「さ、急いでパステト様の執務室に戻りましょう。そろそろ時間よ」
リーゼは頷いて立ちあがった。ヒールに慣れていないのか少しふらつく。
「ちゃんとしてよね。せっかく綺麗にしてあげたんだから」
つい憎まれ口を叩いてしまう。見た目はなんとかお姫様っぽくなったけれど、これから城の者の前に立つというのに大丈夫なんだろうか。
リーゼに合わせて少し歩くペースを緩めながらそれでも急いで執務室に向かった。ノックをして執務室に入る。
「あぁ、ちょうどいい時間……」
パステト様は入ってきた私を見て声をかけたが後から入ってきたリーゼを見て絶句した。そして照れた仕草、頭をかいて、おまけに顔まで赤らめて、
「行くか」
と、言った。そりゃ、惚れた女がこんなに綺麗になったら当たり前よね。パステト様も女に無縁だと思っていたけどそんな顔もするようになったのね。
私はさらに誇らしくなって2人について執務室を出た。城の者は王の間にみんな集まっている。王の間に向けて移動している間もパステト様はリーゼに一言も話しかけない。照れてるんだわ。かわいいところもあるのね。
2人の後姿を見て少し羨ましくなった。お似合いの2人かもしれない。ガタイのいいパステト様に細身のリーゼ。
いいな、いつか私も……
私は慌てて頭を振る。自分のことは今はいいの。仕事よ、仕事。
王の間に着き中に入る。ざわついていた部屋が一気に静まりかえり、城の者は一様にパステト様にお辞儀をする。私達は前へ進んだ。
パステト様とリーゼは壇の上に上がり、私は下で止まった。リーゼを見た城の者は声こそ出さないものの驚き見とれているのを感じた。当たり前だ。リーゼは綺麗だ。
「皆、忙しい中時間をもらってすまない」
パステト様が声を発する。隣のリーゼは人の多さに圧倒されている様子だ。大丈夫かな……。
「急な話だが、この度、この隣にいるリーゼを我が妃として迎えることとなった」
「わぁ~!」と部屋が湧く。皆、笑顔で嬉しそうだ。
「リーゼだが、実は記憶がない」
……は?今度は私が絶句する番だった。記憶がない……?
「覚えていることは自分の名前だけ。この世界の知識なども欠落してしまっている」
パステト様は一呼吸置いて続けた。
「そのため、混乱していることも多く記憶が整理されてから正式に妃として迎えたいと考えているが、それまでの間も俺の婚約者としてクカ城にいてもらおうと思う。リーゼ自身、不安も多くわからないこともあるのでそこは皆にサポートしてもらいたい。これからはリーゼの警備も増えることになるがよろしく頼む」
「はっ」
兵士は敬礼をする。
なるほどね……。常識知らずの謎が解けた気がする。何も覚えていないからなんだ。
それにしても、どこの出身かもわからず妃に迎えようとはなんともパステト様らしい。でも、私達はそんなパステト様に忠誠を誓っているのだ。反発する者はどこにもいないだろう。
「それじゃあリーゼからも一言」
パステト様が促す。リーゼは頷いて一歩前に出た。
その瞬間リーゼが変わった。おどおどした様子がなくなり背筋が伸びて大きく見えた。私は鳥肌が立っていた。
「みなさん、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。ただいまご紹介に預かりましたリーゼです。私には記憶がなくみなさまにご迷惑をおかけしてしまうことがあるかもしれません。でも、この国を守りたい、よくしていきたい気持ちはみなさんと同じくらいもっているつもりです」
王の間は静まり返っている。
「わからないことがたくさんあります。みなさんにぜひ教えていただきたいです。もっとこの国のことを知り、もっとクカ国を好きになりたい。そして、共にパステトや叔父上様を支えていきましょう。どうぞよろしくお願いいたします」
リーゼは深く頭を下げた。少し間があって王の間は湧いた。大きな拍手がリーゼの頭に降り注いだ。
私は身動きができなかった。この、前で話している人は誰なんだ。さっきのおどおどとしたリーゼと同一人物なのか。
堂々とした振る舞い。綺麗な容姿。わかりやすい喋り。大袈裟かもしれないが長く人の上に立つ王たちの振る舞いと同じように見えた。何者なのだ、この人は。
「それでは解散とする」
パステト様の声で我に返った。パステト様とリーゼが壇を下りてくる。私はなるべく平静を装って入ってきた時のように2人の後について行った。