関門(リーゼ)
小屋を出て丘を下るとパステトの言うように山がどんどん迫ってきた。サシノールの見渡す限りの平原とはまったく違う。大小様々な山がどんどん近付いてきた。そこに生える木々を見ていると不思議と落ち着いて心が穏やかになってきた。
だいぶ山が近付いてくるとちらほらと家が見えてきた。住民ともすれ違い私とパステトを見ると頭を下げた。
「この辺りからがクカの城下町だ。迂回する道もあるが、せっかくだから町中を通ろう」
パステトが後ろから声をかけてきた。家がどんどん増えてきて活気のあるお店が立ち並ぶ風景も見えてきた。そこでパステトは少し馬のペースを落とした。
「パステト様!お帰りなさい!」
買い物をしている住民が次々に声をかけてくる。パステトはそれに手を上げて答えた。人々がパステトを見る顔は一様に笑顔で、それだけでもパステトがクカの民に慕われていることが伝わってきた。
果実や野菜などを売るお店、華やかな洋服や生地を売るお店が見える。
「クカは生地作りも盛んだ。質のいい絹が採れる場所もあるからな」
パステトがそう説明してくれた。パステトは誇らしげな口調で、それを聞いているとこの国を本当に愛しているんだということもわかった。それが伝わるからこそ民もパステトを慕うのかもしれない。
しばらく進むと山の傍に建つお城が見えてきた。確かにサシノール城よりは小さいようだが、立派なお城だ。
「パステト様、おかえりなさいませ」
兵士が城門を開ける。中へ進み馬小屋の前で馬を下りた。
「パステト様、おかえりなさいませ」
ここでも兵士が迎えてくれた。丘の上で見た兵士と同じ鎧を着ている。私の方をちらっと見て不思議そうな顔をした。
「叔父上は今何をしておられるか」
私を馬から下ろしながらパステトは兵士に尋ねた。
「今は執務室にいらっしゃいます」
「そうか、それでは報告があるのでこのまますぐに向かう。先に言ってその旨伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
兵士が城の中へ走り出す。いよいよクカ王とご対面だ。
「緊張しなくてもいい。俺がなんとかするから」
私の様子を見てパステトは安心させるように言って頭をぽんっと叩いた。私はこくり、とうなずいてパステトについて歩き出した。
城の中は古くはあったがとても綺麗に保たれているのがわかった。中の兵士やメイドはすれ違うとパステトに声をかけそして不思議そうな顔で私を見た。当然のことだがなんだか恥ずかしく落ち着かない気持ちになった。
城の2階の奥の方まで歩きパステトは足を止めた。部屋の入り口には警備の兵士が2人立っている。ここが執務室なのだろう。
パステトは自ら部屋をノックし、
「パステトです。入ります」
と、告げてから中に入った。中には1人の兵士が立っていた。今まで見た兵士と違い青いマントを羽織っている。外にいた兵士よりも年を重ねていることが見受けられ、執務室にいることからも位の高い兵士なのではないかと思った。
部屋の奥には書類が山積みになったテーブルがあり、そこに王様と思われる人物はいた。俯いているので顔はわからないがパステトと同じ赤髪で髭を生やしているようだ。パステトが入ってもしばらく顔を上げず何やら書き物をしていた。私達はそのまま黙ってそこで立ちじっとその様子を見ていた。
しばらくすると王様は手を止め、顔を上げた。
「待たせたなパステト。サシノールはどうだっ………」
私を見て言葉を止めた。目が合う。それはとても鋭い眼光で私は身動きが取れなくなった。じっと私を観察しているのがわかる。パステトと同じ赤みがかった茶色い目に魅入られるとすべてを見透かされているような気がした。一瞬のことだったのだろうがとても長い時間に感じられた。王様はニヤっと笑って目線をパステトに移し、
「報告を聞こうか」
と、言った。
「はい。叔父上、彼女はリーゼと言います。我が妃にするためクカ国に連れ帰りました」
単刀直入!あまりにすぐに本題を言ったので私は少し慌ててパステトを見てから王様に目を移した。王様は私を見た瞬間にすべてを悟っていたかのように少しも動じていない。次のパステトの言葉を待っていた。
「彼女はサシノールの女王、ミュマに道端で拾われた娘です。傷だらけで倒れていたところを助けたと。彼女は記憶喪失で何故傷だらけで倒れていたか覚えておらず思い出せるのは名前だけ、とのことです。先日、サシノール国とフュースト国の国境付近で魔法による爆発が起こり、それにリーゼが関与しているのではないかとフュースト国が彼女を連れ帰ろうとしておりましたが、それを断ってここに連れ帰っております。そういった経緯がございますので正式に妃に迎えるのはリーゼの記憶が戻ってから、と考えておりますが、ひとまずリーゼをここに置き私の傍で過ごさせたいのです」
パステトは一気に事実をすべて説明した。王様はパステトの話が終わるとパステトには何も言わず、また私に視線を移して口を開いた。
「大変な目に合わせてしまったな、リーゼ。記憶も戻らぬうちからクカ国王子の妃に、など驚いただろう」
優しい顔と口調だ。先ほどの鋭い眼光とは全然違う。
「いえ…とんでもございません」
「申し遅れた、私はグニエラ・クカマドール。この国の王をしている」
私は頭を下げた。
「リーゼ、来る途中でこの国を見たか。どう思った」
顔を上げると、グニエラ王は優しい顔を保ちつつもまた鋭い眼光で私を見ていた。試されているのかもしれない。私は背中にじわりと汗をかくのを感じながらもグニエラ王の目から視線を離すことなく口を開いた。
「はい。とても豊かな国だと思いました。果実も絹も豊富で民は生き生きとしていました。それに、パステト王子やグニエラ王のお人柄か、民とはとてもいい信頼関係があるのだと思いました」
「そうか…ここでやっていけそうかね?城や王族と言うのは周りから見えているより遥かに孤独だ。リーゼはクカで何をする」
何を……。
私は少し考えてグニエラ王の目を見て答えた。
「記憶のない無力な私に何ができるかわかりません。ですが、そんな私でもできることがあるならばクカ国の民が豊かな気持でいられるようお力添えさせていただきたいです。また、パステトを支え共に国のことを考えてまいりたいです」
パステトがちらっと私を見た。何かまずいことを言ったかな……。
でも、これは本心でもある。期間限定ではあってもこの国のお姫様になるのだ。何か私にできることはしたい。パステトが愛するこの豊かな国を守るために何かしていきたいと思った。
そんな私を見てグニエラ王はこの日最高の満面の笑顔を見せて、
「そうか、わかった。リーゼ、頼りのない王子だがよろしく頼むよ。君を家族として迎え入れるのでここではリラックスして過ごすといい。私のことも叔父と呼んでくれてかまわないから」
と、言った。
「あ…ありがとうございます、叔父上様」
グニエラ王は、うん、と満足そうにうなずくとパステトに、
「城の者への報告は今日中に、国民への報告は1週間後くらいを目途にしなさい。それの準備はお前が」
と、命じて、
「キメリ、聞いたな。城の者を本日集めるよう伝えろ」
と、入り口付近にいた青いマントの兵士にも声をかけた。
「かしこまりました」
返事を聞いてグニエラ王はまた書類に目を落とした。話は終わったらしい。パステトに目で合図をされ私達は挨拶をしてから執務室を後にした。