悲しい決意(リーゼ)
お祭りの日以来、私の心にはずんと重いものが残っていた。パステトと楽しい時間を過ごせた。それだけで十分なはずなのにいつの間にか私は欲張りになってしまっているようだ。
お菓子を渡した時。頭を撫でてくれてドキドキした。でも、抱きしめてくれたりそれ以上もなかった。何度か抱きしめられていたので、私は無意識のうちに期待してしまっていた。だから、何もなくてがっかりしたと同時に悲しかった。やっぱりパステトは私のことを何とも思っていないのだと突きつけられた気がしたから。わかっていたことだ。それなのに、何度か触れ合ううちに実は期待してしまっていた自分に気がついた。パステトも私と同じ気持ちになってくれるんじゃないか、と。
それは違った。パステトが私に触れるのは妹をあやすようなそんな感覚なのかもしれない。
私はこれまで以上にパステトを避けるようになった。一緒にいるのが辛くなってきたからだ。会うのは朝の乗馬と護身の訓練とごはんの時だけ。訓練もパステトがいる時はなるべく弓の訓練をするようにして関わりを避けた。
お祭りの日から早くも3週間ほど経ったある日。私はいつものように朝の訓練に出かけた。パステトがいなければ乗馬の練習がしたい。だいぶ自分で乗れるようになってきたが、忘れないように頻繁に乗っておきたい。
私は馬小屋へ向かった。パステトがいたら逃げられるように音を立てずに近づく。すると、誰かの話し声が聞こえてきた。兵士だろうか。
「……ではまだ手がかりすら掴めない、と」
聞いたことのある声だ。誰だろう、と考えて思い当たる一人の人物の顔が浮かび上がる。叔父上様の側近のキメリだ。いつも叔父上様と一緒なのでこんなところにいることを不思議に思った。
「あぁ」
返事をしたその声を聞いて私は固まった。パステトだ。やっぱり今日も訓練をしようと外へ出ていたのだ。私は今日も諦めて弓の訓練場へ行こうと音を立てないように後ずさった。
「それは……大変失礼なことを申し上げますが、私は不安に感じます」
キメリの声に私は足を止めた。何の話をしているのだろう。
「公になりながらも家族や知人が見つからない、とは……」
もしかしたら私の話……?
「同盟国の出ではない可能性があるのではないでしょうか?」
「だったら何だ」
パステトは苛立ったような声を出した。
「パステト王子もおわかりになられているのでしょう?彼女は危険だ、と」
キメリの声に背筋が凍りつく。
「フューストがわざわざサシノールに使者を派遣して連れて帰ろうとした人間。もしフューストの人間であればスパイの可能性、もしフューストに害為す人間であれば戦争の火種になりかねません。そうでなくても同盟国以外の出であれば西の国々の者の可能性があります。そのような方を妃になさるのは……私はあまりに危険だと思います」
「俺に命令する気か?婚約を破棄しろと?」
「グニエラ王は大変お優しく、リーゼ様を気に入っていらっしゃいます。止めるのは私しかおりません。例え首を切られようとも、クカが危険に晒されるのを黙って見ているわけに参りません」
パステトは何も声を発しなかった。
「どうかお考え直しくださいませ。愛よりも大切なものがあるはずです」
キメリの声に私は静かに静かに後ずさって距離を取ると一気に走って部屋に戻った。息が切れたが苦しくても全力で走った。驚いた顔をする城の者の姿を感じたが速度を緩めることはなく部屋まで戻ると勢いよくドアを閉めた。はぁはぁと自分の息だけが聞こえる。私はドアに寄りかかってそのまま座り込んだ。
よく考えればわかることだった。時間が経つのに名乗りでない家族。フューストに連れて行かれそうになった私。自分の存在がクカにとってどれだけの脅威になり得るか、考えるべきだったのに目を逸らしてきた。
ポロポロと涙が溢れた。あの後パステトはどう答えたのだろうか。承諾しただろうか。
私は嘘をついてクカの妃になった。その罪滅ぼしに国のためにと頑張ってきたが、それは違った。一番国のためにしなければならなかったことはこの国から出て行く事だったのだ。
たくさん気がつけたタイミングはあったはずだ。それなのに、パステトや叔父上様、モモなどの優しさに甘えてここに居続けてしまった。
今ならまだ間に合う。私はここにいてはいけない人間なんだ。
苦しくて涙が止まらない。クカはとても素敵な国だった。人も良く豊かな国。それを壊そうとしていた自分を心から憎いと思った。
ここを立とう。行くあてはないがそれでも出よう。野垂れ死んでもフューストに連れていかれても構わない。どこか遠くへ。
私は立ち上がった。




