戻れない時間(モモ)
お祭りの次の日、パステト様から朝早くにイヴァルがサシノールに発ったと聞かされた。元からその予定はあったがだいぶ早めたようだった。私を避けたから。それは明らかだった。
昨夜は全然眠れなかった。泣き腫らした目を朝一生懸命冷やしてからリーゼのところに行ったのにすぐに見抜かれた。リーゼは午前中の予定をすべてキャンセルして私を部屋に招いた。普段私が飲むことのない香りのいい紅茶が出されたが手をつけられないまま俯いていた。リーゼは何も言わずに私の言葉を待ってくれている。何でもないから、と強がればいいのにそれも出来ない。私の目からはまた涙が溢れた。
「モモ……!」
リーゼは椅子を私の隣に持ってきて私の肩を抱いた。きっともういい話でないのは気がついているのだろう。
「ごめんね…私が……」
そう謝ろうとした。
「違うわ。リーゼのせいじゃない」
私は否定して涙を拭った。
「私が…私がいけなかったの」
リーゼは私の背中を撫でた。
「私がイヴァルの踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったの、たぶん」
「踏み込んではいけないところ?」
「……うん。私ね、昨日イヴァルとお祭りを過ごしたの」
話し出すと誰かに聞いて欲しかったのだと気がつく。
「リーゼ達が出かけてからイヴァルに会って、これから街に調査に行くって言ったからついて行きたいって言ったの。たぶん、それがいけなかった……」
私は再び俯いた。
「私はイヴァルのお城に来る前のことは何も知らない。触れられたくないみたいだったから、触れてこなかった。でも、一緒にお祭りの街へ出たことで、何か触れてしまったみたい」
やっぱりイヴァルにとってお祭りはいい思い出ではなかったのだ。思い出したくない、誰からも触れられたくない───
「怒らせちゃった。もうつきまとうな、って……」
その言葉を口にすると涙が溢れた。それだけは言われたくなかった。いつも恐怖に思っていたことだ。
リーゼは、
「モモ……」
と、口にして私の背中を撫で続けてくれた。私はそれで少し冷静を取り戻して言葉を続けた。
「こうなってしまったイヴァルを引き止めることは無理だと思ったけど、どうにかしたくて……最悪なタイミングでお菓子渡しちゃった。冗談めかして渡すつもりだったのに、それもできなかった。イヴァルは私の気持ちに気がついたから、今日早くにサシノールに向かったんだと思う。それがたぶん答え……」
ぐっと握った拳に涙が落ちた。
「わかってた。私達は少しの綻びで崩れてしまうような微妙なバランスをずっと保ってた。一緒にいるのに踏み越えてはいけないラインをずっと越えないことなんて難しすぎた。それが崩れたのがたまたま昨日だったってだけ……」
苦しい。
「私の想いがバランスを保てなくなるくらい大きくなっただけ。でも、最後に明確に気持ちを伝えられて良かったよ。これでイヴァルのこと……」
諦められる。そう言いたかったのに口にできなかった。涙が際限なく溢れる。諦められるわけがない。ずっと昔からイヴァルのことだけ好きだったのに。嗚咽が漏れる。
「お菓子…持ってなかったら気持ち、伝えることすらできなかったと思うから……だから、ありがとうリーゼ」
「モモ…そんな……」
リーゼも涙を流していた。
「なんであんたが泣くのよ」
私は泣きながら笑った。
「だって……」
「ありがとう」
私はリーゼに抱きついた。リーゼもしっかりと私を受け止めてくれて、そのまましばらく2人で泣いた。
落ち着くと顔を上げた。
「ふふっひどい顔」
「モモだって……」
私達は笑い合った。今一人じゃないことにどれだけ救われているか。イヴァルは今も昔も一人なのに。
「これで終わりにできるのか、できないからもう一度頑張るのか、それとも諦めて今までの関係に戻れるように頑張ってみるのか、今の私には決められない。とりあえずイヴァルの顔を見てから考えるよ」
「うん……!」
リーゼは嬉しそうに笑顔を見せた。
「ごめんね。リーゼは昨日楽しい思いをしてきたのに今日こんな暗い話ししちゃって」
「ううん……気にしないで」
リーゼの笑顔が少し翳った気がした。
「ちゃんとパウンドケーキ渡せた?」
「うん、渡せたよ」
パステト様の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。
「さ、こんな顔じゃ午後の仕事に差し支えが出るわ!お風呂入って化粧で誤魔化しちゃいましょ」
「うん、モモも一緒に入る?」
「そうね」
初めは戸惑った一緒にお風呂に入るということも今では自然に受け入れている。警戒していたリーゼとこうして仲良くしている。疑いは晴れたわけではないのに、この人柄を見ていると受け入れざるを得なかった。もし、リーゼの過去が酷いもので戦争の火種になるような存在でも私は離れない。守ってみせる。これはパステト様も同じ気持ちなんだろうな、と思った。




