利害一致(リーゼ)
ようやくパステトに追いつくと私は小走りで歩調を合わせた。パステトが私に歩調を合わせてくれる気配はない。
「パステト!いったいどういう………」
「しっ」
パステトは私の言葉を遮って横目で私を見ると、小声で
「その話はあとでだ」
と、言った。
「パステト王子。馬はこちらに用意してございます」
城を出ると兵士がパステトに声をかけてきた。私を見ていぶかしげな顔をする。
「ありがとう。お前はもう下がっていい」
パステトが兵士に告げると、
「かしこまりました。お気をつけてお帰りくださいませ」
と、一礼して兵士は去っていった。
「さて」
パステトは馬小屋の前につながれた綺麗な栗毛の馬をなでると、
「リーゼは馬は…っと、記憶がないんだったな」
と、言った。私がこくり、と頷くと、
「大丈夫。手綱は俺が握るからリーゼは安心して身を任せていればいい。怖がって乗るとそれが馬にも伝わる。リラックスして乗っていれば怖いことはないさ」
と、優しく言った。私が、
「わかった」
と、応えるパステトは頷いて私を軽々と馬の上まで持ち上げた。昨夜も私を持ち上げて窓から部屋の中まで上げてくれた。パステトは力持ちなんだな、と思う。
「わ~!」
私は思わず声を上げた。馬の上は下から見ていたよりも高く感じる。足から馬の体温が伝わってきて心地よい。
「大丈夫か?」
私に続いて馬にまたがったパステトが後ろから声をかけてきた。
「えぇ、思ったよりも高い!見晴らしがいいわ」
「そうだろう。じゃあ行くぞ」
パステトは嬉しそうに言って手綱で馬を叩いた。すると、馬は歩き出し次第にスピードを上げていった。
あっという間に周りの景色が遠ざかっていく。城門を出て綺麗な城下町がどんどん過ぎていきあっという間に平原に出た。
「怖くないか?」
パステトが後ろから大きな声で話しかけてきた。
「全然!速くて風が気持ちよくて楽しい!」
私も聞こえるように大きな声で答えた。私には記憶がないが恐らく馬に乗るのは初めてなんじゃないかと感じた。この爽快感と心地よさ、もし体感していたら感覚だけでも思い出すのではないかと思った。
パステトは私の後ろから手綱を握っているので私はパステトに抱きしめられているような、守られているような形になっていた。それがまた安心できて、不思議と落ちるんじゃないかとか怖い気持ちは全然起こらなかった。
草原を走り続けるうち、私は無事に城を出ることができたことに対する実感を得ていた。パステトはどこかの国の王子様で私はその妃に?わからないことはいっぱいあるが、今現実にあるのはパステトのおかげで黒いローブの男に連れていかれることはなかったという事実。本当によかった……!
馬に乗ることの楽しさと安堵から私の顔は自然と笑っていた。
走り始めてどのくらい経っただろうか。一瞬だった気もするし、何時間も走ったような気がする。
馬はは坂道を上って丘の上に着いた。そこでパステトは馬の歩をゆるめた。
「ここで少し休もう」
パステトはそう言うと馬から降り、続いて私を抱えて馬から下ろしてくれた。丘の上には馬小屋と小屋、少し離れたところに木で造られた物見やぐらのようなものが見えた。
「ありがとう。馬に乗ることってこんなに楽しいのね!すごく心地いい!」
私が興奮気味にパステトに言うと、
「ふっ、珍しい女だな、そんなこと言うなんて」
と、言って嬉しそうに笑った。
「そうなの?普通女性は馬が嫌いなの?」
「そもそも女は普通馬車に乗るからこうして馬に乗る機会がないんだ。でも、リーゼが馬に乗ることが好きならたまに乗せてやるよ」
「本当?ありがとう!」
私はそう言って馬をなでた。
「かわいい…名前は?」
「パステト3世」
「…へ?」
私は聞き間違えかと思って聞き返すとパステトは少し恥ずかしそうに、
「パステト3世、だよ!」
と、言った。私は思わず吹き出して、
「何それ!センスないよ!」
と、言ってケラケラ笑った。
「うるさいな。いいだろ俺の馬なんだから」
パステトはさらに恥ずかしそうな顔をした。
「パステト様!?」
声が聞こえた方を見ると、物見やぐらの方から誰かが走ってきた。見ると今までいたサシノール城の兵士とは違う、銀色に青いラインが入った鎧を着た兵士が走ってきた。
「あぁ、少し邪魔するぞ。小屋を借りる」
「かしこまりました」
兵士はちらっと私を見てから頭を下げて、また物見やぐらの方まで走って戻っていった。
「ここはサシノールとクカの国境でクカの兵士がこの辺りを監視しているんだ」
パステトは気を取り直してそう言いながら小屋の方へ私を促した。
「まぁ監視と言ってもサシノールとクカは同盟関係にあるし争いごとなどはほとんどない。念のためだ、念のため」
「そうなんだ……」
私は先ほど来た方角を見た。一面に平原が見渡せる。とても綺麗だ。
「兵士が寝泊まりする小屋で悪いが、中へ。ここでいろいろ説明するよ」
パステトはそう言うと小屋の扉を開けた。
小屋は狭かったが私は落ち着いた気持ちになっていた。サシノール城では感じられなかった落ち着きがここにはあった。
「はい」
どこかへ消えていたパステトがコップを2つ手に戻ってきてテーブルにそれを置いた。
「ありがとう」
コップに入っていたのは薄ピンク色の見たこともない液体だ。私は恐る恐るその液体を口にした。
「……!美味しい!」
口に含むとぱっと甘さが広がった。それなのに後味はすっきりして心地いい。
「そうか、よかった」
パステトは嬉しそうに笑うと自分も飲み物を口に運んだ。
「これはブエルという果実のジュースだ。俺の国、クカの名産なんだ。クカは山に囲まれた国だから果実や野菜がよく採れる。そういった農産物がクカの主な収入源なんだ」
「そうなんだ……」
その話を聞いても何も思い出せない。この辺りの住民であったならばこのクカのブエルジュースも飲んでいたかもしれないのに。
「さて、それじゃあ改めて、俺の自己紹介をしなくちゃな」
パステトはまっすぐ私を見て話し始めた。
「俺はクカ国の王子、パステト・クカマドール。クカはサシノールに比べて小国ではあるが自然に恵まれた豊かでのどかな国だ。今のクカ国は俺の叔父上であるグニエラ・クカマドールが治めている。叔父上はいずれ俺に王位を譲ると言っているがな」
うんうん、と私は話を聞く。薄々気がついてはいたが、やっぱりパステトは王子様なんだ。それじゃあ私……
「知らなかったとはいえ王子様に敬語も使わず大変失礼なことを……」
「おいおい、やめろよ。今更敬語なんて使わなくていいさ」
パステトはうんざりしたように手を振った。
「そう…じゃあ今まで通りに」
「そうしてくれ」
パステトは続けた。
「それで、さっきクグリやフューストの使者に言ったことだが……」
「そうよ、妃って!それって……」
私はパステトの妻に……。意識すると途端に顔が赤くなる。
「いや、待て。そのことなんだが、俺にも考えがあって言ったことだ」
パステトも心なしか顔を赤くして言った。
「まず1つは、クグリはサシノール国として正式にフューストへリーゼを渡すと決めていた。それを覆すにはいくらなんでもクグリの友である俺でもそう簡単には難しい。妃にする、というようなインパクトを持たせないとリーゼを逃がすことはできなかったんだ」
「そっか、そうだよね…国と国とのお約束だもんね」
「あぁ。あれでも若干苦しかったが、俺は破天荒と知られているしクグリも俺があそこまで言えば協力してくれると思ったからな。なんとかなってよかった」
「うん…本当にありがとう、パステト」
私は改めてお礼を言った。
「理由の2つめは、クカ国の妃としてリーゼを迎え入れれば、もちろんあらゆる国にそれが伝わるだろう。そうすればリーゼの家族やリーゼを知る者にもそれが伝わり記憶を取り戻す手助けができると思ったからだ」
「なるほど……」
私はびっくりした。パステトをバカにしていたわけではなかったけれどそこまで考えていてくれたとは。
「そして最後。理由の3つ目は俺のためだ」
「パステトの?」
「あぁ。俺は今年20。そろそろ妃を探せと叔父上や周りにせっつかれて貴族の娘を紹介するだなんだと最近縁談の話が多くて閉口している」
「あぁ……」
だんだん話が読めてきた。
「誰かに決められて結婚するなどまっぴらごめんだ。そこで。俺がリーゼを連れ帰り妃にすると言えばそれはなくなだろう」
「なるほどね……」
「リーゼを俺の妃として正式に国内外に発表しリーゼの身元が判明する。そうしたらリーゼはクカを出て行って構わない」
「いいの?一度決めたことを……」
「構わないさ。妃にする、と言っても正式に式を執り行うのはリーゼが記憶を取り戻してからにしたい、とかなんとか言っておけばいい。婚約者という段階であれば取り消されても問題はない。何しろ俺は破天荒な王子だからな」
パステトは得意げに言った。そこ、得意げになるところなのかな……。
「それでクカを去った婚約者を想い嘆き苦しむ俺。そんな傷心の王子にすぐに縁談は舞い込まないだろう。だからしばらく安寧の暮らしが送れる」
「めちゃくちゃな話……」
世の中にはこんな王子がいたなんて。王族ってもっとしっかりしていて威厳のある人たちだと思っていた。
「でも、お互いにとっていい話だ。だろう?」
「うん…でもいいのかな。たくさんの人を騙すようで……」
「大丈夫。クカの民はそんなことも笑い飛ばしてくれるような優しい民さ」
私はしばらく考えた。本当にいいのだろうか。でも、ここでこの話を断ったとして私はどうやって故郷に戻るのだろう。記憶がいつ戻るともわからない。土地勘のない場所で生きていかなければならない。
それならばパステトに甘えてクカへ行く。行くからにはクカのために働こう。
私は、
「わかった」
と、頷いた。パステトはにやりと笑って、
「それじゃあ交渉成立だ。よろしく頼むよ、姫」
と、手を差し出してきた。
「姫って……」
そうか、私は姫になるのだ。期間限定のお姫様に。
私はパステトの手を取り握手をした。私も覚悟を決めなくてはならない。
「そうと決まれば早速城に戻って叔父上に報告だな。叔父上は手ごわい上にしぶとい。最初にして最大の関門だ」
クカ国の王様……。どんな人なのだろう。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「大丈夫、俺に話を合わせていればいい。とにかく城に戻ろう」
パステトの声で2人は立ち上がった。