近づいたり離れたり(パステト)
どのくらい歩いただろうか。後ろをチラッと振り返るともう2人は見えない。
「おい、もう大丈夫そうだぞ」
俺はリーゼに声をかけた。
「本当?ふぅ…」
リーゼは俺の腕から手を離して一息ついた。
「自然だったかな!?」
「…不自然だったよ」
この女は本当に演技が下手だ。強引で突然で……
リーゼが掴んでいた腕が熱い。俺は照れを隠すようにリーゼから顔を背けた。
「でも2人きりにさせられたでしょう?ゆっくり2人でお話できるといいな…」
本当にお節介で優しい女だ。だからこそ俺は……
「ここで立ち止まってると追いつかれるぞ」
そう声をかけてリーゼを置いて歩き出す。
「あ、そうだよね!」
リーゼは慌てて俺の後をついてきた。距離を取らなければ。リーゼを何処にも行かせたくなくなる前に。リーゼが後ろで、
「わぁ~綺麗!」
とか、
「こんなにたくさんのお花見たことない!」
とか、言うのを聞きながら俺は振り返ることなく進んだ。こう温かくて穏やかだと眠たくなってくる。昨日だってリーゼは早々に眠ったというのに俺は全然寝付くことができなかった。リーゼは俺のことをまったく意識していないんだということを突きつけられた気がしてあまりいい気分はしなかった。俺は思わず大欠伸をする。
「ねぇ!パステト!」
リーゼがいつの間にか先回りして俺の前に立った。
「さっきからぼーっとしてもしかして昨日あんまり眠れなかった?」
「さぁ、どうだろうな」
俺はつい冷たく突き放してリーゼを追い越してまた歩き始めた。
「ねぇ、パステト!」
後ろからリーゼの声が追いかけてくる。
「やっぱり怒ってるの?」
「怒ってねぇよ」
それでも優しく応えてやれない。クグリにはあんなこと言って送り出したのに自分は本当にダメだ。
「…ごめんね」
リーゼの声が悲しそうなものに変わって俺はつい立ち止まる。
「怒ってねぇって」
「でも…私久しぶりに熟睡しちゃったし」
「…久しぶり?」
その言葉が引っかかって後ろにいたリーゼをつい振り返って見た。
「お前、クカだとあんまり眠れてないのか?」
「あ…いや…」
リーゼはバツの悪そうな顔をして俯いた。
「寝にくいか?」
「なんだか部屋が広くて…落ち着かなくて」
「…そういう時は俺の部屋に来いって言ったろ?」
「うん…でもパステトも忙しいかな、と思って」
「そんなことねぇよ。暇してるよ」
実際俺は夜の書類仕事を部屋に持ち帰って毎日鈴の音を聞き逃さないように耳をすませて待っていた。そんなこと口が裂けても言えないが。
「眠れないよりましだろ。しばらく寝る前に俺の部屋に来いよ。昨日だって俺がいたら眠れたんだろ?」
我ながら恥ずかしいことを口走っている。
「うん、ありがとう…」
それを聞いてリーゼは嬉しそうに笑うのでそれだけで心がいっぱいになってくる。
「私、絶対お姫様や貴族じゃなかったと思う。広い部屋は落ち着かないもの。それに…」
リーゼは花を見る。
「こういう自然いっぱいのところに来ると落ち着くの。サシノールの城下よりクカの城下の方が落ち着くし、きっと緑豊かなところに育ったんだわ。もしかしたらサシノールのフューストの境の森で暮らしてたんだったりして」
「それはないだろ。サシノールとフューストは仲が良いわけではないからいつ戦いに巻き込まれるかわからない。人里も遠いから物流も来ない。しかも森も深くてわざわざあそこに住む理由はないさ」
「そうなの…」
リーゼは少し考え込むような表情をした。
「ま、そんなに深く考えなくてもそのうち思い出すよ」
ぽんっと頭を叩く。
「うん…ありがと、パステト」
俺たちはまた歩き始めた。
「ここ、素敵なところね…」
「あぁ、そうだな」
「パステトはここに何度か来たことあるの?」
「一度か二度だったと思う。しかも子供の頃にな」
「子供…」
リーゼは少し考えるような素振りを見せて、
「パステトはどんな子供だったの?私、思えばパステトのことあんまり知らない…」
「そんなこと聞いてどうすんだよ」
俺は嬉しいのについ冷たく突き放してしまう。
「俺のこと知ったって…」
「知りたいよ!」
リーゼの強い言葉が返ってきた。
「パステトのこと、知りたい」
つい目を見てしまった。強い意思が宿る目をしている。俺はもう悟っている。この状態のリーゼにはどんな言葉も敵いはしない、と。
「…別に普通の子供だよ。勉強が嫌いで身体を動かすのが好き。いつも勉強から逃げ出してはキメリに追いかけ回されたりしてな」
「キメリさんって叔父上様の…?」
「あぁ、昔は父上の側近の臣下だったんだ」
「お父様…」
リーゼは聞きたそうな顔をして躊躇っているのがわかった。
「俺の父上は昔起こった戦で亡くなったよ。俺が10歳になる時のことだった」
「あっ…」
俺が聞かれる前に話し出すとリーゼは申し訳なさそうな顔をした。
「いいさ。別に隠してたわけでもない」
俺はリーゼのフォローをして、
「母上もそれがよほど堪えたのだろう。その後すぐに…」
と、続けた。リーゼは悲しそうな顔をして聞いている。それに俺は救われるような気持ちになった。
「10歳の俺じゃ王位は継げない。それで俺が大人になるまでの間、叔父上が王位を継いだんだ」
「うん…」
「そんな顔するな」
俺はリーゼの頭に手を乗せて、
「俺には叔父上も、キメリも、モモもいた。イヴァルにも出会った。クグリやセリも折をみて訪ねてくれた。それに今は…お前も」
と、言った。我ながら何を言っているのだろうと思う。いつかいなくなってしまう妃に。
「だから大丈夫だよ。ありがとな」
くしゃくしゃとリーゼの頭を撫でた。




