無力な王妃にできること(ミュマ)
「どうぞ、ミュマ様」
サシノール王女の従者がテーブルに朝の紅茶を置いた。
「ありがとう」
毎朝飲んでいるものだが不思議と飽きない。今日もいい香りを放っている。
「それで…リーゼは昨日も何も思い出さなかったのですか?」
「はい、医務官からはそのように聞いています」
「そうですか……」
私は紅茶に目を落とした。リーゼが目を覚ましてから早くも10日が経とうとしていた。記憶をなくしていて思い出す気配もない、それが毎日従者から告げられる言葉だった。
「足の怪我もほとんどよくなり、もう歩けるようになったとのことです。明日にでもここを離れることが可能です」
「そう……。では、そのための用意をしておいてください。今日も何も思い出さなかったら、の話ですが」
「かしこまりました」
従者は私に向かって頭を下げ部屋を出ていった。『そのための用意』とは、私が彼女にできる最後のことだ。
リーゼが何か思い出せば家族に連絡を取り、迎えにきてもらうことができる。しかし、このまま何も思い出さないとなると私にできることはひとつしかない。当面困らないくらいのお金と着るものなどの用意だ。
はぁ、とひとつため息をついて窓の外を見る。手入れされた中庭が見えた。今日も花は綺麗に咲いている。
リーゼはここから彼女が見たこともないサシノールの城下町へ出ることになる。サシノールの城下町で住むところや働くところを見つけるのは容易なことではないだろう。権力者や貴族が職を支配する町。仕事も武器を製造する鍛冶屋などが中心で、若い女性の仕事はほとんどない。
リーゼが生き残るには城下町を出て地方の村へ行くしかないだろう。村は城下町と比べて貧しい。彼女を受け入れてくれる村はあるのだろうか。運が悪いと身売りに見つかって売り飛ばされてしまう可能性だってある。
本当は私が職や住むところを探してあげたい。しかし、私のつては乏しい。記憶喪失の女の子を雇ってくれるような城下町の者はいないだろう。リーゼのためだけに城の者を使って探させることもできない。城の者はそんなに暇ではないのだ。
このまま城にいさせて働かせてあげたいくらいだが、城に仕える者は貴族から選ばれた者のみ。とてもじゃないがどこの馬の骨ともわからぬ女の子を置いておくわけにもいかない。
どうしようもない……。
私は自分の無力さをいつも以上に感じた。私はサシノールのクグリ王の妃としてここにいるだけ。それ以上でも以下でもない。ただここにいて、紅茶を飲んでいることしかできない無力な存在……。
リーゼとはじめて出会った時のことを思い出した。長い綺麗な銀髪の女の子が傷だらけで道の脇に倒れていた。私と同じか少し年下くらいに見えた。あの場であんなに苦しそうに倒れていた彼女を見過ごすことはできなかった。無力な私でも何かしたい、という驕りもあったのかもしれない。
しかし、今思えば彼女をここまで連れてきたことは正しかったのだろうか。あのままにしておけば親切な人に助けられたかもしれない。もしかしたら身売りに見つかってしまっていたかもしれないが、それは助けた上でこの城から放り出さなければいけない現実と何が違うだろうか。
中途半端な優しさはかえって人を傷つける……。
私はまたため息をついた。
コンコン
ドアを叩く音がした。
「はい」
「失礼いたします」
返事をすると、兵士が部屋に入ってきた。
「ミュマ様。クグリ王がお呼びです。執務室までご足労いただけますでしょうか」
クグリ王が……?執務室に私が呼ばれることなどほとんどない。今日の午前中はフュースト国から使いが来るので面会をするとおっしゃっていた。国王が正式にいらっしゃる場合には昼食会や晩餐会に呼ばれることはあるが、使いの者になぜ……?
私は疑問に思いながらも、
「わかりました」
と、返事をして部屋を出た。
フュースト国はサシノールに隣接する国。同盟などは組んでいないが国交はある国だ。魔法の力を有する者の多い国で、魔法の力を込めた魔法の札や書物の生産、流通を主な収入源としている。
国交はあるものの実際に行き来する国民は少ない。フュースト国は変わり者が多い、気味が悪い、とサシノール国民は思っていて卑下しているところがある。実際、フュースト国については詳しくはわかっておらず、私もフュースト国王であるクンダス王と会った時は、腹の底では何を考えているかわからない恐ろしさを感じた。
執務室に着くと部屋の前に立っていた兵士がドアをノックし、
「クグリ王。ミュマ様がいらっしゃいました」
と、告げた。
「通せ」
中からクグリ王の声が返ってきて、私は、
「失礼いたします」
と、言ってから中に入った。
執務室のソファにクグリ王とフュースト国の使いと思われる者が向い合って座っていた。以前会った時と同様、フュースト国の者は全身黒い服を着ている。クグリ王の御前だと言うのにフードも外さない。私は少しの嫌悪感と気味悪さを感じた。
「ミュマ、悪いな呼びつけてしまって」
クグリ王はそう言うと自分のソファの横を勧めた。クグリ王は普段と変わらず優しい顔と声を私に向けたので少し安心した。
「いえ」
私はクグリ王の横に進みフュースト国の使いの者にお辞儀をした。フュースト国の使いも立ってそれに応じた。挨拶が済んで席に座るとクグリ王が私に向かって事の経緯を説明し始めた。
「この度、使者の方がサシノールにいらしたのは1週間ほど前、サシノール領とフュースト領の境界付近で爆発があり、それの調査についていらっしゃったそうだ」
「爆発?」
初耳だった。
「あぁ。我々は把握していなかったのだが、フュースト国では巨大な魔力反応を検知し、原因を調べているらしい」
「そうなのですか……」
「それで、1週間ほど前にサシノール領とフュースト領の境界付近で何か変わったことはなかったか、調査をさせたのだがミュマがちょうどその頃サシノールの村を視察後、帰る途中で女性を拾ったと兵士から報告があったのでその話を聞きたいと使者の方がおっしゃっている」
「え……?」
リーゼのことだ。私が使者の顔を見ると、
「直接関係があるかはわかりませんが、あまりに大きな魔力反応であったため些細な情報でもお教えいただきたいのです」
と、促した。
「えぇ……」
私は少し躊躇った後、
「確かに私は1週間ほど前、サシノール領とフュースト領の境界付近で1人の少女を助けました。傷だらけで倒れておりましたので」
と、言葉を発した。
「足をくじいていたのと擦り傷のみでしたので今はもう回復しております。しかし、記憶が混濁しているのか何も覚えていないようです」
「ほう、記憶喪失ですか……」
使いの者の目の奥が光ったような気がした。
「えぇ、ただ自分の名前のみ覚えているようです。リーゼ、と自分で申しております。銀髪の少女で……。しかし、年は私と同じか年下、16~18くらいに見えますのでそんな魔法の爆発を起こすような者ではないかと……」
私はリーゼを擁護した。このままではいけないような、そんな勘が働いていた。
「そうですか……。可能であれば一度お目にかかりたいのですが、いかがでしょうか」
使いの者は私ではなくクグリ王に問いかけた。
「えぇ、構いません」
クグリ王は兵士にリーゼを呼ぶよう声をかけた。
「この先、リーゼさんをどうするおつもりですか?」
リーゼが来るのを待つ間、使いの者が私に問いかけた。
「記憶喪失では行くあてもないでしょう。サシノール城に仕えることとなるのですか?」
「いえ……」
使いの者は嫌な笑いをしていた。まるで私の回答を知っているかのようだ。
私はちらっとクグリ王を見た。本当はリーゼを放り出すようなことはしたくない。でも、私の一時の感情と一存でそれを変えるわけには……。
私は心の中でため息をつきながら、
「彼女にはサシノールの町で暮らすよう、勧めるつもりです」
と、精一杯の反抗を込めて言った。
「そうですか…それは仕方のないことですよね。サシノール城はとても広いとはいえ、人手は足りていらっしゃいますからね」
そして、使いの者はクグリ王に向き直った。
「よろしければ、彼女を私どもフュースト国に引き渡していただけませんか」
やはり……。そんな気がしていた。
「このままですとお支度金もかかるでしょうし私どもが引き取ります。今回の事件に関係がなくともこれも何かの縁。我々の国は人手不足ですのでフュースト城にて受け入れさせていただきたいのです」
断る理由がない。別に彼女はたまたまサシノール領で倒れていただけでサシノールの人間とは限らない。言ってみればどちらでも構わない。フュースト側がそれを望むなら私達にはそれを拒む理由がないのだ。
「わかりました。構いません」
クグリ王は頷いた。