遠き里について語る
遠野はロマンにあふれる里、なのか。
「日本のふるさと」というキャッチフレーズ、ラブリーな遠野について。
結婚前、初めて旦那の実家へ行ったときのこと。
「きょうは、たびーちゃんが来たから焼き肉にしよう」と義父が言った(いまだに名前+ちゃん付けの嫁)。
おお、牛カルビか豚ロースかなんぞと内心ひとり盛り上がったわたし。の前に出されたのが、ジンギスカンだった。
近所に乗馬スクールがあった(現在は「馬の里」へ移管)。ちょっといけば「遠野物語○番の~」とか書かれた立て看板がふつうにあり、そのくせすぐ隣には激安スーパー二店がしのぎを削る。ついでにガソリンは県下一安い盛岡と競っている。
なんなんだろう、遠野。わけが分からない。
そう、私の旦那の実家は遠野だ。
いつでも、どこでも人が集まればジンギスカン。スーパーでは巨大なラム肉のパックが山と積まれ、どの家庭にもジンギスカン鍋がある。
それでいて、国内でも非常に珍しい公営のバレエスクールがあり、年に一度華やかに発表会が行われる。
「市役所裏で熊が目撃されました」←けっこうな町中
「馬が逃げ出しました」←市内で! そんな防災放送が流れる。
六年暮らした遠野は、わたしにとって何もかもが「不思議の里」だった。
『遠野物語』を読み通したのは、大人になってからだった。
高校生のときに一度手に取ったものの、アホな私は文語体を上手く飲みこむことができなかった。非常に重苦しく、難しく、お手上げだった。
大人になってヨカッタト思うのは、子ども時代には難しくて手が出せなかった本が読めるようになること。ま、読める方は読めるのだろう。ほら、私はこんな感じですから(笑)
読んで驚いたのは、ほんの数行でお話が終わること。
ショートショートなんてものではなく、一見するとただの「報告」のようなものであり、そのくせ滋味に富んだ数行。噛めば噛むほど味が出る。
結婚して遠野に住めることになって、とても嬉しかったのは言うまでもない。子どもを連れて、あるいは一人で『遠野物語巡り』をしたものだった。
遠野は不思議な場所だった。
聖と俗が入り交じり、今と昔が混在し、死者と生者が同居しているような、そんな土地だった。
山間を車で進み、もう民家も何も見えなくなってこの先なにがあるんだろう、と思うといきなり小さな集落が現れる。
山襞の間に、数軒の家が肩を寄せ合い集落を作っている。
そしてまた何もなくなり、坂を超えるとまた集落が……そんな感じで、古びた家はまさに「マヨイガ」のようだった。
遠野のお祭りはまた格別で、毎年九月に行われる遠野郷八幡宮の例大祭は、まさに神さまへの芸能の奉納であり、「お祭り」。始めてみて以来わたしは虜になっている。
勇壮な流鏑馬、そのあとに続く鹿踊りや南部囃の優美な踊り。郷土芸能の宝庫。
現代ですら、この濃度。柳田国男が訪れた時の遠野はと想像すると、ほんとうに『遠野物語』まんまの世界だったのだろうと思える。
車はなく、移動は馬であり、灯りは電気ではなくランプ。蓑や笠をかぶった人々が行きかい、柳田にはきっと聞き取れないキツイ訛りの言葉が交わされていたんだろう。
遠野は確かに観光地ではあるけれど、それとは違う土着的なものを感じる。物語が嘘か本当か分からぬままに伝わる、遠野の物語。
ちなみに、座敷童が実際に目撃され新聞の記事にまでなったのは、昭和30年代の実話。
結婚し、わたしの本籍は遠野になった。
『山の人生』もおすすめです。ネタの宝庫です。あわせて、遠野市立博物館もどうぞご覧になってください。リニューアル前の「呪われ感」が払しょくされてイイ感じです(笑)