違いはあるのか?
おしゃべりから生まれるお話もあるらむ。
しらんけど。
今日、小説講座受講生のみなさんとお茶をして帰ってきました。楽しかったです、ほんとありがとうございます。
それで質問されたのですが「入選した作品とそうでない作品の違いは何か」と。
わたしの数少ない入選作品となると
○フルサトRadio
○黄昏をゆく葦の小舟
○花の簪
○庚申待ちの夜
○エトワール
以上です。それで、入選しなかった作品と制作上でどんな違いがあったかと、その場ではうまく説明出来なかったのですが、帰り車を運転しつつ考えました。
なんというか、どれも「書くことが決まっていた」としかいえないのですが。
たぶん、どんな話? と聞かれたときに、二・三行で説明が書けるようなもの、なのかなと思いました。
どれにもあてはまるか、といえば微妙なところもありますが、庚申待ち以外はストーリーが生まれたときからゴールが決まっている状態でした。
それでも「花の簪」はそのラストまでたどり着くのに、足かけ四年かかりました。
「黄昏を」は話の筋が決まっていて、とにかく書く手が追いつかないほどでした。そういう体験は、ほぼこの一作だけですが。締め切りもぎりぎりでしたし。
シンプルに説明できる話ほど、なんていうか確実に書き上がるし、逆に、なんだかんだと考えすぎたり何かと付け加えようとするのは、結局うまく行かないという感じでしょうか。
うまく行かないときには、設定やエピソードを削ったりしてバランスを整えれば、話が走り出すこともあります。
難しいですね。
その閃きや「降りてくる」ためには、やはり日々のインプットが大切なんだろうな、とか。
新しい人と話してみる、とか。
新しい場所へ出かけてみる、とか。
そういうことを感じた次第。
まだまだ修行の身ゆえ、偉そうなことはいえません、はい。
最近はまたウォーキングを再開したので、歩きながらいろいろ考えていると、あっという間に二キロを歩いてしまいます。散歩やウォーキングは考え事にいいみたいですよ。
では。
※帰り道運転しながら、ちょっと話を思い付きました。らっきー。
小説講座のみなさん、ありがとうございました。
毎回新しい刺激を受けています。がんばらねば。




