なぜSFを書き始めたのか
なぜに答えるコーナー。
こんばんは。北国に住むおばちゃんです。
Twitterの機能で「スペース」というのがありまして、集団通話機能があるんですよ。
そこで、つこさん。から、「どうしてSFを書くようになったのか」というお問い合わせがございました。
言われるまで、気づけないものですね。自分の書くものは、SFとファンタジーが多いなあ程度にしか思っていなかったので、なぜ・どうして・きっかけは、と問われると自分自身もなんでだろうと首を傾げたわけです。
それで、自分なりにSFとの出会いなどをちょこっと書かせていただこうかなあ、と。
さて、おばちゃんと自分のことを言っていますが、ほんとにおばちゃんです。
生まれたのは昭和40年。
先日56歳になりました。思えば遠くへ来たもんだ。
わたしがSFと出会ったのは、どこだったのか今となっては正確には思い出せません。
ただ、小学校にあがったあたりから漫画本を読むようになり、お向かいのお姉さんの週刊マーガレットか従姉の別冊少女コミックか、はたまた兄が読んでいた週刊少年チャンピオンのどこかで出会ったのでしょう。
週マはないか。当時大人気だった岩舘真理子のよさが全く分からなかったのは、子ども過ぎたからでしょう。
別コミで、「11人いる!」や「11月のギムナジウム」をちらっと見た記憶が……。しかし難しくて分かりませんでした。それから、チャンピオンで「百億の昼と千億の夜」も見たけど、何が大人気なのか分からずじまい。
……ちょっとまって、全部萩尾望都先生じゃないですか。
※ギムナジウムはSFではないです
じつは、昭和50年代の「りぼん」にはSFがわりと頻繁に載っていたのですよ。
当時は、漫画雑誌も少なくて対象年齢を細かく分けてもいなかったので、そのころの「りぼん」は中高生のお姉さん方向けの作品もたくさん載っていました。大矢チキ、内田善美、あと後に「イティハーサ」を描く水樹和佳も作品を発表していました。
そんな中で、わたしは清原なつののタイムトラベルシリーズに出会います。
今は「アレックスシリーズ」とか名前がついているのかな。青いバラがテーマになっている作品で、子ども心に魅かれました。「飛鳥・昔語り」は一見日本の古代史を舞台にしてるのですが、その実はSFという……。
それから、もう一人。奥友志津子。
奥友先生は、岩手県遠野市の出身です。漫画家という華やかな職業のかたが、なんと同郷。田舎出身でも漫画家になれるんだ、という衝撃と喜び。奥友さんは正統派のSFを描いていました。今わたしの手元にあるのは、「冬の惑星」と「パーフェクション」の二冊だけです。大切にしています。
ときどき、佐伯かよのもSF描いていました。
その流れで、佐々木淳子の「那由多」や「ダーク・グリーン」等の作品も読んでいるうちに高校生となり、ここでようやく萩尾望都に戻ります。
理解力がついてから読む「百億の昼と千億の夜」はべらぼうに面白く、そこからは萩尾作品一直線でした。「スターレッド」、遅ればせながらの「11人いる!」、「マージナル」や「銀の三角」。
竹宮恵子の「地球へ」。
「ファイブスター物語」は大人になってから読み始めました。
実は、活字でのSFはあまり読んではおらず、筒井康隆・眉村卓・星新一あたりは中高生時代に。
中学から高校にかけては、高千穂遙や栗本薫、新井素子といったジュブナイルというか今でいうラノベというか。
社会人になってからは、夢枕獏……いや、それは伝奇ものでは。
翻訳物は、「アルジャーノンに花束を」「夏への扉」「闇の左手」とか。あまりにも読書体験が貧弱。
なので、わたしのSFの原点や根っこは、どう考えても漫画です。それも、少女漫画の方。
もちろん(?)、「超人ロック」や原作の「銀河鉄道999」、あと柴田昌弘や和田慎二などの作品も読みました。いや、柴田昌弘と和田慎二は少女漫画家……。
そんな感じで、メカメカなガジェットのSFにはならず、ふんわりしたものになるのはベースがベースだからじゃないですかね。
メカニックなものより、キャラたちの心情とかそういうのに心を揺さぶられていたのではないかな。
タイムトラベルものは、まだ書いたことはないけれど、時間経過が肝になるものは書くので多分影響は十分にされていると思います。
自分がなぜSFを書くのか分からないけれど、たぶん子どもの時にSFの種をもらったのでしょう。
芽吹いた種は、わたしをとてもワクワクとさせ、ときには切なくさせるもので‥‥・。
自分が書くものが、果たしてSFと名乗っていいものか正直わかりませんが、これからもポチポチ書くと思います。
わたしが初めて本を作って文フリに参加したのは、50直前。
「なんだって遅すぎることはないのよ」と大好きなドラマのセリフにもありますね。
まあ、元気なうちは小説書きますよ。




