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あしたの糧  作者: たびー
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「八日目の蝉」について、盛大なネタバレと構成についての感想

盛大なネタバレがあります。

ご注意ください。

 ずっとエッセイしか読んだことのなかった角田光代の「八日目の蝉」を読んだ。

 わたしはエッセイから入ると、その作者の小説が読めないという病を抱えていたが、長く生きているとそういうの、もうどうでもいい…となるらしい。ありがたいことだ。


 さて、「八日目の蝉」。

 タイトルに魅かれた。いわゆる「蝉は地上に出てから七日しか生きられない」という俗説。ならば、八日目の蝉は死んでいるはず。

 小説の内容は、不倫相手の夫婦から赤ん坊を誘拐して逃げる女の話だ。

 粗筋として、いずれは捕まり罪を償うという内容だから、子どもと引き離されることが犯人の「死」みたいな扱いなのだろうか、と読み始めた。


 第一部は、秋山丈博の愛人であった野々宮希和子の視点で語られる。

 秋山の部屋に侵入して、寝ている赤ん坊「薫」を誘拐するシーンから、友人宅を皮切りに逃亡が始まる。自身も秋山の子どもを身ごもっていたが、秋山に堕胎を促された結果、二度と子どもが望めない体になる。※のちにそれは、希和子が医師の話をよく理解していなかったと説明される。

 誘拐した赤ん坊に、自分の子どもにつけるはずだった「薫」という名で呼び、秋山と友人が住む東京を後にして名古屋の区画整理地域にひとり居座る老女宅、エンジェルホームという宗教施設まがいの閉鎖的な集団生活へと転々とする。エンジェルホームが、外界との軋轢で警察が介入することになる。その直前に薫を連れて施設から逃亡。施設を後にするとき、同室で親しかった女性から実家の住所を書いたメモを渡される。

 メモを伝手に、小豆島へと渡り、そこでの生活を始める希和子だったが……。


 読み始めた時、感じたのは以下のこと。

 まず、赤ん坊の母子手帳も保険証も持っていないことが致命的。各種予防接種はもとより病院で診察することも困難だし、戸籍がないと就学の年齢に達したとき役所から就学許可書が届かない。


 どうするんだろ、と読んでいたが、逃亡劇にハラハラしていてそのうち上記の問題はどうでもよくなってくる。物語の展開はだいたい知っているけれど、薫が何歳のときに希和子は捕まるのだろうと気になりだす。

 ちょうどレンタル店へマンガを返却しに行ったついでに、DVDコーナーで「八日目の蝉」のパッケージに目を通す。

 それによると、薫が四歳のときに別れが訪れると知る。


 そのうち、小豆島での希和子と薫の暮らしの描写へと引き込まれる。

 エンジェルホームでの知り合いだった女性の実家の素麺店で働き始める希和子。薫は歳の近い子どもたちと毎日元気に遊びまわる。

 光る海の眩しさ、素麺店から漂う醤油の匂いまでしそうだ。

 そして、島のお祭りで撮られた写真に希和子と薫が写っており、写真がコンテストで入賞し、新聞の紙面を飾ったことから聞かず子は捕まる。


 二部は、「薫」だった恵理菜は大学二年生となり、家を出て一人暮らしをしている。妻子持ちの男と付き合っている。

 実の家族の元へともどった恵理菜は、実の父母とうまくいかなかった。母は家事を放棄し、家のなかはいつもごちゃつき食事の支度もろくにしない。父の帰宅と入れ替わるように外出する母、何も語らず酒を飲む父。かろうじて妹は恵理菜を気遣うが、家族はバラバラだ。


 赤の他人である希和子のほうが、よほど薫を大切に育てていた。部屋をいつもきれいに整え、お風呂に入れ、絵本を読み聞かせる。

 一方実の母は、恵理菜を愛し損ねてしまっているように感じる。

 誘拐事件は解決したが、事件の全容が報道されるほど、実の両親の駄目さが浮き出てさらに家庭は荒れ、秋山一家もまた引越しを繰り返す。


 文庫の裏表紙の粗筋どおりに進む物語。

 最終的に恵理菜は妻子持ちの男の子どもを身ごもる。かつてエンジェルホームで一緒に遊んでいたという千草の力を借りて、かつて過ごした小豆島へと向かう、という展開だという。


 そこで、読者の自分は小豆島を巡って幼い時にふれた風景や人と出会うのだろう、と思った。

 しかし、ちっとも小豆島へと旅立たない。

 結果として、恵理菜と千草がフェリーに乗ったところまでなのだ。

 そして、フェリー港で出所した希和子とお互いに、それと知らずにすれ違うのだ。


 予想した描写はなかった。

 小豆島で幼い日の記憶を取り戻し、懐かしくて涙する恵理菜も。

 希和子との感動の再会も。


 読めばわかる、もしもそんなふうに書いたなら「あまりに陳腐な展開だ」ということを。

 ベタに、読者の読みたい方に物語を持って行かない。

 ちがう手法で、書き手は予想以上のものを与える。


 瀬戸内の海を見て実の母親によって禁じられた小豆島の言葉が恵理菜の口をついて出るシーンから、わたしの涙腺が崩壊した。

 ずっと語ることのなかった、思い出すことがなかった、幼い日の記憶を自分の深いところにあった言葉で語るのだ。

 小豆島を実際に回らなくても、じゅうぶんな描写なのだ。

 そして、希和子との邂逅も。あえて描かれない。


 最終章は、希和子の視点で物語は終わる。


 母子手帳がどうの、とか病気の時どうするんだ、とか、もうどうでもよくなっていた。

 実際、「薫」が発熱して島で受診するエピソードがある。

 そのことに関して、某感想サイトで「四歳までで病院に一回しか掛からないなんてずいぶん丈夫」と、半ば冷ややかに書かれてあった。

 確かに、子どもは小さいときに病院に頻繁にかかるものだ。それが現実だ。

 けれど、これは物語だ。リアルを追及して何度も何度も「受診するエピソード」が繰り返されたらどうだろう? 退屈でしかたないと思う。

 だから、無保険で受診という大きなできごとは、一度しか描写しなかったのだと、わたしは思ったし、それで十分だと思った。


 書くべきところと、書かずにおくこと。




 自分の中の基準が揺さぶられた物語だった。





ところで「八日目の蝉」のタイトルの意味は、

八日目の蝉は死ぬ、ではなく、皆が死んだ七日の先に、たった一匹残された蝉が見る世界、という意味でした。

ボタンを掛け違ったまま、不格好なシャツを着て生きて来た家族に恵理菜は再生をもたらすのだろう。


小豆島といえば、壺井栄の『二十四の瞳』の舞台として有名ですが、瀬戸内生まれの作家とその妻のミステリー、芦原すなお著作の『ミミズクとオリーブ』シリーズもオススメです。奥さんのうまそうな手料理と小さなミステリー。

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