今日もラジオを聞きながら
ラジオは好きですか?
2014年3月1日(土)、その日わたしは盛岡の複合施設アイーナに来ていました。
駅ビルの老舗書店さわやでアシモフの『われはロボット』を購入して読んでいました。
萌えました。次作には心を持たない作業用のロボットを出そうと思いました。
ええ、冒頭の「ロビィ」を読んで。かくて『フルサトRadio』のコタローは生まれました。
アイーナに行っていたのは、ラジオの公開放送に当たったからです。NHK第一の「かんさいほっとたいむ」。ラジオすきなんです。
子どものころからラジオが好きで、結婚した人もラジオが好きで。家には何台もラジオがあります。
なので、あの日にすぐラジオを聞くことができました。
一晩中聞いていました。停電で真っ暗な三月の夜、時おり襲ってくる余震におびえ、服を着たままで布団に入りました。
ただラジオの情報に耳を傾けました。
『陸前高田市の消防署と警察署から応答がありません』
『山田町で大規模な火災が発生しているもようです』
『仙台市若林区に数百の遺体が流れついて……』
昨日まであったはずの、ありきたりの日常がこんなにもあっけなく失われるなんて。
いつもの週末を迎えるはずだった金曜午後の大地震。伝わる情報から思い浮かべるのは、漠々とした光景ばかり。
被害や亡くなった方の名前が流れる、そんな中でIBC(岩手放送)の放送は途中から変わっていきました。
たしかに最初は各地の被害を伝えていましたが、生存者の情報をどんどん流し始めたのです。
『〇〇施設の皆さん、無事です』
『△△保育園の園児の皆さんは、〇〇避難所に全員います』
聞き慣れたアナウンサーの声を聞きながら、寝ついたように思います。
その年の夏、『フルサトRadio』を書くために、当時の放送が知りたくて買った本が
『その時、ラジオだけが聴こえていた (CD付き) 』(竹書房)でした。
これは、震災当日からそれ以降のIBCの活動が書かれたものです。地震発生直前直後の放送や、避難を呼びかける放送が録音されたCDが添付されています。
これは、さすがに聞いていて涙が出て仕方なかったです。結局数度しか聞けていないです。
本書のなかで、Tアナウンサーは避難所で「あなたの放送のおかげで避難できた。ありがとう」と言われても、そう言えるのは生きていた人で亡くなった方は言えないのだ、と悔やみます。
ラジオは見えません。でも、見えないものを見るのです。聞こえない声を聞くのです。
作中、コタローを遠くから思うアナウンサーはIBCアナウンサーの皆さんがモデルです。
いつも楽しい放送を届けてくれるラジオ、たまに投稿して読まれたりします。大勢に語りかけているはずの放送が、自分のためにだけ話してくれているように感じるという不思議さ。
なにげにアイデアを拾ったりもします。今日もラジオを聞いて、明日の朝もラジオを付ける私なのでした。
楽しいIBCラジオは、スマホのアプリ・ラジコでも聞けるそうです。
あ、すごい訛ってますので(笑) 放送も、CMも。




