『銀河鉄道の父』の感想とかいろいろと
門井さん、直木賞受賞おめでとうございます!!
もう読書メーターのほうへは感想をあげたのですが(感想というよりコメント)、『銀河鉄道の父』のことを少し語りたいと思いました。
あまりに近すぎて距離がとりにくい、宮沢賢治。なんせ、市内をあるけば賢治ゆかりの諸々のものと遭遇するのです。
生家、産湯をつかった井戸、教鞭をとった学校跡、ゆかりの梨の木、詩歌をきざんだ石碑、作品のモデルの地の立て看板、菩提寺、図書館へ行けば入口と貸し出しカウンターのところに賢治の肖像画、実は私は賢治の妹・トシさんと同窓生……。
父はかつて賢治の母方の実家(市の大きな商家)の系列会社で働いていましたし、今現在も実家ではそこから土地を借りています。年に一度、地代を払いに行くのは私の仕事となって久しいです。
高校の同学年には賢治との血縁者がいたり、じつはその子の結婚披露宴で、賢治の実弟・清六さんの余興を見たこともあります(ハモニカ吹いてくださいました)。
あまりに近すぎる。
ねえ、賢治のファンはそんなに多いんですか? たしかに著作は様々な出版社からだされているけれども、それは岩手でだけ売られていたり、売れているものではないのですか?
そんな感じです。地元に住んでいれば賢治研究の細かい成果なども拾うことも多く、『銀河鉄道の父』は私が知っている賢治の生涯について、どこをチョイスして書かれているのか見せてもらうおじゃないか、といった半ば「確認作業」のようにして読んでしまいました。正しい読書ではないと思います。
賢治と父のかかわりは、どこまでも平行線で交わることのないように捉えていました。
けれど、今作を読んで、父親としての規範をみせようとしていたことと、いつまでも自立しない病弱で理想という夢見がちな息子をそれでも支えようとした両面をとても感じました。
妹との親密さ。幼いころにトシと一緒に河原へと石を拾いに行ったこと、それを納める箱を父が買ってそろえてあげるエピソード、石への興味を基盤に農民たちを貧しさから救いたいと熱心に行動していたこと。自分の中で「石っこ賢さん」がようやく繋がった気持ちがしました。
そして、あまりに有名なトシの死を題材にした『永訣の朝』、賢治の死に際。
門井さんは、きっちり書かれていた。臆することなく、端正な筆致で、父親からの視点で。
私だったら、怖くて書けない。あまりに有名なあの場面を書くことなんて。恐ろしい、おそれ多い。
これがプロというものなんだ、と思いました。
死後、ようやく認められた賢治の童話を孫たちに読み聞かせるシーンでお話は終わります。
それは、そのまま私の住む町の時間へと続いているのです。
生家前を過ぎて、豊沢川のほとりまではほど近く。
車で通りすぎるときに、たしかに賢治はここに住んでいて、この町の空気を吸って生きていたのだ、と思うと、見慣れた風景が一世紀前へと私を連れて行くように感じました。
まとまりが悪くて、ほんとにもうすみません。
花巻は何にもない町ですが、温泉がいいかんじです。
わたしの、ふるさとです。