がんづぎと承認欲求
がんづぎとは?
岩手・宮城の郷土菓子。蒸しパンともなんかチガウ。
類似品として山〇製パンからは三角形の「蒸しパン」としてスーパーなどで販売されているもよう。でも、もっと厚くてフワフワなんだよ。
がんづぎ作りに夢中です。
もとはといえば、娘の学祭のバザー用に作り始めたのですが、今やたんなる趣味になりつつある……そんな時間があるなら、原稿を少しでも書けばいいのに、と思われているほうに、五百万ペセタ。
がんづぎ、作るのがカンタンなんですよ。洋菓子に比べて、断然。それに材料もすごくシンプル、ヘルシー。
小麦粉・お砂糖(玉砂糖やキビ砂糖が理想的)、卵、牛乳(水でも大丈夫らしい)、酢、重曹。
簡単に言うと、これを全部混ぜるだけ。あ、酢は最後ね。あとは、蒸す。
そうすると、あらビックリ出来上がり。
がんづぎ作りの何が楽しいって、最後に酢を入れると重曹と化学反応を起こして泡立つんですよ。
ぶぁぁぁぁぁって。もうその様子が楽しくて楽しくて。その一瞬のために作っているといっても過言ではなく、しかも出来上がると多少失敗しても黒糖のおかげで美味しいという。
そんなこんなで、八月末から学祭で売ったものも含めて十数個作ってしまったのですよ。
できたら、今日も作りたいけれど、さすがにもう食べきれない。実家へも近所へもおすそ分けしたから。もう、一人で産直を開くしかない(笑)
なんで、これだけがんづぎ作りにはまってしまったのか……と考えると、執筆の不調にあると思い当たります。
もともと遅筆なうえに、春からどれだけ書いているのかな。カウントすれば冷や汗しかでないです。たいして書いていないし、質的にもどうなんだろうと首をかしげます。去年ほどではないけれど文フリ短編賞にまたも落ちてツライ、とか、みなさん筆が速いし傑作ばかり書いている……アベレージ高いなあ……とか、そういう気持ちにも振り回されたりして、情けないほど気持ちがぐらついて。
そんなときに、お菓子を作ってネットにしろリアルにしろ、お披露目して食べてもらったりすると、お手軽に「いいね」「美味しい」「すごいね」と簡単に褒めてもらえたりします。
簡単に承認される。
すごい簡単な作り方なのに、素朴なお菓子なのに、褒められる。
反対に小説は、すごく手間がかかって、時間を費やして、悩んで書きあげて、だからといって褒められるわけでもないから、がんづぎのほうが余ほどカンタンに「承認」が手元に転がりこみます。
だから、がんづぎ作りに夢中になってしまうのかも知れないのです。
がんづぎを作れるようになったことで、自分がちょっとデキル人になったようで、嬉しいというのはあります。歳が年だから、なにか新しいものを身につけられるというのは、それだけでも嬉しく楽しいものだから。
ネットで作品を発表して、良い点は、すぐに反応が得られるところでしょう?
「面白かったです」「良かったです」「感動しました」「次の更新も楽しみです」……そんなふうに一言コメントをいただくことで、どれほどモチベーション上がるか知れません。
ちょっとでいいんです。ほんの少しお声をかけていただけるだけで、舞い上がります。
……けれど、そういったコメントも、書き続けなければコンスタントにいただけるものでもありません。
で、ぐるりとまわって冒頭に戻る→私は筆が遅くて更新が進まず、結果「承認」を得る機会も多くない→かんたんに作れて「承認」を得られる、がんづぎ作りに熱中してしまう……と、まあ、こんな情けない図式が完成するわけで。
「どれから読むのがおすすめですか?」と問われたら、なんとも言えないです。それぞれに癖がありすぎるような感じで、癖のないものはぎゃくにとりとめもなくて。「これです、自分の自信作はこれです」って胸を張って言えないという。
自分がなんのために書いているのか、相変わらず分からないままの五年間。
最終的には、好きだからという一言に尽きるんだけれど、時おり「承認欲求」だけが肥大してしまう時があります。でも、そういう時こそ書きつづけないと、おしまいが来るような気がします。
交流のある方々が書籍化されたり賞を取ったり質の高い作品を発表しているからといって、自分も同列・同等ではない、それは錯覚。
ごくシンプルな真実にたどり着くまで、がんづぎを大量に作成した、といった次第です。
さて、今日は書けるかしら?
秋風がたつ中、歯ぎしりしながら書いています。
そんな、わたくしでございます。
がんづきに関しての研究には熱心に取り組んでおります。来年の学祭には、安くて美味しいものをバザーに出して大儲けしたい(私には材料費しか来ませんが)。
……いや、小説を書こうよ、ほんと。
注 誉められたい一心で書いている訳じゃありません。が、誉められると嬉しいです!