三十路男の苦悩
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結局。あの彼女の告白メールのおかげでオレは一睡も出来んかった。寝られるわけがない。こんなおじさんにあんなかわいい女子高生が何を血迷ったのか……。大好きです。やなんて。ありえへんわ。
眠い目を擦りながら、布団から這い出たオレはいつも通り、顔を洗って適当に髪の毛をセットしてから、相棒に缶詰とミルクをあげて出勤する準備を整えていた。昨日の予防注射の影響なのか? 相棒がやけに大人しいのがオレは気になっていたけど、キャリーへ入れて急いで『黒猫』へ向かった。
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「おはよう! あれ?……。 せいちゃん。なんか目が充血してるで! 大丈夫か?」
「おはようございます。へへへ。ちょっとね。あの、こいつ。昨日予防注射したんやけど。なんか、少し大人しいんです。そやから、なんかあったら、連絡してください。お願いします」
「わかった。注射の後は、がんももミケも確かに大人しくなるわ。多分、大丈夫やろけど……。気をつけて見とくわな」
『黒猫』へ入ってオレの顔を見てすぐに伯母に目が赤いことに突っ込みを入れられて、オレはドキッとしたけど、笑ってはぐらかしてから、相棒が少し大人しいことを告げてキャリーを伯母に渡した。
「それにしても、だいぶチビちゃん大きくなったよな! ふたまわりくらい? やっぱこれって、大きく育つんちゃうの? フフフ♪」
「そうやねん。昨日も病院で院長の若先生にでかなりそうやて言われてしもて……」
「まぁええやん! 元気に大きく育ってくれたらええんよ!」
伯母は相棒をキャリーから出すと、膝へ抱っこして優しく頭を撫でてやってくれていた。
「やっぱり、子猫って良いですね。クマもこんな風に小さかったのに。今では、ほんま大きく育ってあの貫禄ですわ」
「こいつもやっぱ、クマちゃんくらいは大きくなりそうですね」
『黒猫』の看板猫のクマちゃんも、マスターの言うとおりで、それなりの貫禄と存在感をタップリかもし出して、カウンター席の一番奥の席で丸くなって眠っていた。
朝飯を済ませたオレは、相棒のことが気がかりなのと彼女とどんな顔をして会えばいいのかがわからなくて、後ろ髪を引かれる思いで『黒猫』を出て駅へ向かっていた。
「まいったなぁー」
ホームへ向かいながらオレはスマホを眺めながら、本音をつぶやいていた。
「誠二さん! こっち!」
「あ。……」
悩む暇もなくオレの目の前に。ホームで手を振ってオレの名前を呼んでいる彼女がいた。
「おはようございます。誠二さん♪」
「お、おはようー! 朝から元気やな! さすが女子高生や」
出来るだけ意識せんように、いつも通りにオレが冗談を言って笑ったら、彼女は少し膨れっ面をしてみせてオレの顔をジッとのぞき込んで来た。
「酷い! 子ども扱いしないで下さい。これでも、ちゃんとレディーなんですからね」
「あはは。ごめん、ごめん。そやな!」
オレが心配していたよりも、彼女との会話はいつもと何ら変わりない。自然なおじさんと女子高生の会話で、特にあのメールのことを彼女は触れてくる様子はないようだったのでオレはホッとしていた。
「チビちゃん、大丈夫でしたか?」
「ああ。少しだけ元気がないから、伯母さんに一応気をつけといてくれって頼んどいたんや」
「私も、学校の帰りにチビちゃんのこと。のぞいて見ますね」
電車の中で相棒のことを彼女は心配してオレに聞いてきたので、注射のあと。少し、食欲が落ちて大人しくしてることを彼女に話すと、彼女も心配して学校の帰りに伯母の店に寄って様子をみてくれると言ってニッコリ笑っていた。
そして、何気ない会話を続けていると電車が揺れて彼女はとっさにオレの手をギュッと握ってそのまま離さなかった。
オレだって、別に女に免疫がない訳ではない。三年前までは付き合っていた彼女もいた。それでも、やっぱりこの歳で女子高生はアカン。そうオレは自分に叫んで頭の中で苦悩していた。
「誠二さん? 大丈夫? 具合悪そうやけど……」
「え? あ。大丈夫、大丈夫。猫が心配で昨日、あんまり寝てないからやと思うわー。ハハハ」
オレは彼女に大丈夫かと聞かれて、背中を伝う汗を感じながら上手く話をごまかした。そして、いつものように彼女は一つ手前の駅で降りてホームからオレに笑顔で手を振っていた。
今日は仕事が忙しくてオレはいつの間にか彼女の告白のこととかすっかり忘れていた。それでも、相棒のことは気がかりで仕事を終えると「おつかれ!」と言ってオレはフロアを出てエレベーターに飛び乗った。
「藤田さん。最近、仕事が終ったら急いで帰ってしまうけど? 彼女でも出来たんですか?」
「え!? あ。ちゃうちゃう! ちょっとな。子猫を飼うことになってしもてな……へへへ」
「ああ。そうなんや! それで毎日急いで帰ってるんですね。フフフ」
同じフロアの派遣の女の子にエレベーターの中で、ちょっとドキッとする質問をされて。オレは正直に相棒のことを話してあとは笑って誤魔化した。会社を出て、オレはちょっと小走りで駅へ向かって電車に乗って窓の外の景色をボーっと眺めながら、少し彼女のことを思い出していた。
(やっぱり、返事……せな。アカンかなぁー?)
あの告白メールをもう一度オレはスマホの画面に呼び出して見つめながら、正直……。男としてのオレと大人としてのオレが頭の中で葛藤を続けていた。
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伯母の店の戸を開けて入ると、伯母がニコニコ笑ってオレを出迎えてくれていて、真っ直ぐ帰って来たオレのことを笑っていた。
「おかえりー! 今日も真っ直ぐ急いで帰って来たやろ? せいちゃん。ほんま、チビが可愛くてしゃーないねんな!」
「ただいまー! へへへ。朝もちょっと元気なかったから、気になってしもてね。それで? どうでした?」
「大丈夫やで! 夕方からいつもと変わらんくらいにご飯食べて、走り回ってるわ。今は、疲れてこうちゃんらのとこで寝てるみたいやけど」
伯母の話を聞いてオレが座敷におるこうちゃんの方を見ると、相棒はこうちゃんとこうちゃんの嫁さんの間で丸くなって寝ているようやった。
「せいちゃん、おかえりー! こいつ。めっちゃ可愛いな! せいちゃんが拾ってきたんやて?」
「そうなんやー。酒飲んだ帰りに公園でな、オレの懐に入り込んでそのまま家まで連れて帰ってきてしもたんや!」
「こいつらって、人間のことようわかってるから、せいちゃんのことええカモやと思って、懐に入りこんだんやで!」
こうちゃんは寝てる相棒の頭を撫でながらニィッと笑って、たまには一緒に飲もうと言ってオレを座敷へ座らせた。
久しぶりにこうちゃんと酒を飲みながら、家での相棒のやんちゃぶりをオレが話していると。こうちゃんの嫁さんの麻由美ちゃんが、オレのことをジッと見て何か言いたそうにしていた。
「どないしたん? オレの顔に何かついてるか?」
「せいちゃん。ユイちゃんのことどう思ってる?」
「え!? 何? 何で?」
麻由美ちゃんの一言で和やかやった空気が一瞬で張り詰めてしまっていた。
「うち、ユイちゃんに相談されてしもてん。せいちゃんのことユイちゃんマジで好きになってしもたみたいでな……」
「それ、ほんま? マジ? お前、そんなん何時相談されてん!」
「今日の夕方。買い物の帰りにユイちゃんに会って、何か元気無いからどうしたんか聞いたら、失恋しそうやーって泣きそうな顔してたから、くわしく聞いたら。せいちゃんに本気でユイちゃん恋してるみたいで……」
麻由美ちゃんの話を聞きながら、オレは気が遠くなりそうやった。マジか? もう、こんなに早く身近な人間に知られてしまうなんて最悪や。オレはおしぼりで顔を拭きながらここは、どう答えるべきなんかを悩んでいた。
「せいちゃんって、彼女いてるん?」
「いや。おらん。三年前に別れてからは、ずっと一人や」
「ユイちゃん。ええ子やで? どう?」
おいおい。こいつら、こんな三十路のおっさんに女子高生を勧めてるで。ええんか? もう少し彼女の将来を考えたれよ……。
そんなことをオレは考えながら、とりあえず浩二には正直に今の気持ちを話しておくことにした。
「正直に言うとやな。めっちゃ嬉しい。ありがたい。あんなに可愛い、しかも優しくてええ子に好きって言われたら、すぐにでもお付き合いしたい。そう思うんが、正常な男やろ? そやけど。彼女は女子高生やで! しかも今年。受験や! 将来のこと考えるとな……。二つ返事で付き合うわけにはいかんやろ」
「……すごい。せいちゃんって大人なんや!」
「そんなん! 男と女なんやから、好きか嫌いかでええんちがう?」
オレの気持ちを聞いて、浩二は納得出来ん顔をしたけど。麻由美ちゃんは確かに。と言って複雑な顔をしていた。オレは、二人に少し彼女とは様子を見たいからしばらくの間。そっとしておいてくれと頼んでオレは相棒を連れて店を出た。
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「なぁー、ちょっと? おじさんが、藤田誠二さん?」
「あ。ああ、そうやけど? 君は誰かな?」
いつもの様に一つ前の駅で彼女が降りた後、緊張が解けて少しホッとしているオレに声をかけてきたのは、かなりイケメンの男子高校生やった。
「あの。若林ユイとはどういう関係なん?」
「えっ!? なんや!? 唐突に何をどういう関係て……あ、い、一応ボディーガードっちゅうやつや!」
「ほんまに?」
「ほんまや!」
真剣な顔でそいつは、オレに彼女との関係を追及してきた。気にはなったけど……。オレは急いでいたので、そのままそいつをホームに残して走って階段を駆け上がって改札を出て会社へ向かった。
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朝のイケメン男子高校生のことを気にしながらも、無事に仕事を終えて電車に乗って外の景色を眺めてオレがボーっとしてると、そのイケメン君がオレの斜め後ろから声をかけてきた。
「朝はゆっくり話せなかったんで、待ってたんです。おじさんって本当にユイとは、何も無いんですよね?」
「おいおい。声が少し大きいで! 何も無い。ただのボディーガードやっちゅうてるやろ?」
「そやけど……。あいつ。好きな人が出来たから、オレとはやっぱり付き合われへんって、一度はOKしたはずのオレとの交際を断ってきたから。原因はおじさんなんかと思って……」
マジか!? そんなストーリーがオレの知らんところで展開されてたやなんて……これは、困った。どうしてやろうかとオレが悩んでるとイケメン君はオレの耳元でささやいていた。
「おじさんが、ユイに手を出したら犯罪ですからね。あきませんよ! 絶対に。手を出さないで下さいね」
「わ、わ、わかってるわ! そんなこと……。お前に言われんでもわかってるから、こんなおじさんを気にする暇があったら勉強せえ! 馬鹿は女に一番嫌われるんやからな!」
オレはそう言いながら、手に持っていたスポーツ新聞でイケメン君の頭を軽く叩いてから電車を降りた。
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「おかえりー! あれ? せいちゃん、疲れた顔してどうしたん? 会社で何かあったんか?」
「ただいま。いや? 別に……。あの、今日はユイちゃんどうでした? こいつのこと見に来てました?」
「うん。猫缶持って遊びに来てたで! なんや? ユイちゃんと何かあったんかいな?」
店の戸を開けて入ると伯母はオレの顔を見て鋭い突っ込みを入れて来た。オレはマジでドキッとして多分、目を少し大きく見開いてたかもしれへん。その話の流れで彼女が今日も店に相棒の様子を見に立ち寄っていたかを聞くと伯母はニヤニヤ笑いながら何か誤解しているようだった。
「ちゃうちゃう! あの子とは別になんもない。ちょっと気になったから聞いただけです」
「そんなこと言うて! ほんまは、なんかあったんちゃう?」
「無いです。特に今日は何事も無く平和でした」
オレはなんとか伯母にあのイケメン君のことは知られたく無かったので何も無かったと言い切って夜定食を食べたら、すぐに相棒を連れて店を出た。こんな三十路男を相手に高校生のイケメン男子がライバル心を燃やして現れた。なんてことが、バレたら酒の肴にされて、ええ笑い話にされるだけやん。特にあのオネエの店の亜夜子ママにでも知られたらえらいこっちゃで。
そんなことを考えながらオレが家に帰りつくと、その彼女からメールが届いた。
[こんばんわ。今、家ですか? 今日、もしかして男子に声かけられませんでした? もし、迷惑かけちゃってたらごめんなさい]
いやはや、真面目な彼女からのあのイケメン君のことを心配しての謝罪のメールだった。オレは別に気にしていないよとメールを返信しておいて、いつものように相棒をキャリーから出して、シャワーを浴びてからソファーに座ってビールを飲みながらくつろいでいた。
《ピンポーン♪》
インターホンが鳴ったので、「誰かな?」と口に出しながら出て見ると、何故か真剣な面持ちで彼女が立っていた。
「どうしたん? なんかあったんか?」
「今すぐに、私のことをお嫁さんにして下さい!!」
「はっ!? え!? ちょ、ちょっと! 待って! どうしたん? 何で急にそんな話になるんや?」
「私も、もう子供じゃないんです。ちゃんと女として見て!」
ドアを開けてオレが声をかけると、彼女は真面目な顔でお嫁さんにしてくれと叫んで目をうるうるさせていた。