真実の一部は。
白のフリルがあしらわれた傘を、くるくる回しながらアリスはこちらを見つめている。
「まさか、プリンス一人で来たわけじゃねーだろうな」
「そうよ。アリス様を一人で行かせるわけないじゃない」
背後から声がし振り向こうとした途端、背中に何かが当たり身体が前へ吹っ飛んだ。
「だと思ったぜ」
「血の王、ブラッド。随分と余裕ね。契約者を心配しないのかしら? 」
「鬼の王、アリス相手に余裕なんてあるわけねーだろう。おい、奏斗!いつまで寝てるつもりだ! 」
身体は痛くない。何も感じない。コンクリートで固められた壁に当たった。ただ、それだけだ。
俺は身体を起こし立ち上がる。
「貴方、普通の人間ではないようね」
俺の目の前に立つ灰色の髪をした女は何かを探るかのように見ている。
「 ……知らない」
「知らない? 何よそれ」
「知らないものは何も知らない」
でもきっと、俺は普通じゃない。悪魔であるブラッドと契約しているのだから。
「嫌いだわ、そういう人間。だから、殺してさしあげますわ」
細長い刀が高く上がる。そして勢いよく刀が振り下ろされたが、俺は間一髪避けることができた。
「残念」
「奏斗ーー 」
「行かせないわよ、ブラッド。あなたの相手は私よ」
ブラッドはアリスと戦っている。
一応、小型ナイフと拳銃を持っている。だがそれらを使ったことのない俺では、この女に勝つ確率は低い。このままでは殺されてしまう。
そう考えている間にも、容赦なく刀を俺にめがけて振り下ろしてくる。
さて、どうすればーー
「あれー、三咲 奏斗じゃん。何してんの? 」
「柚月⁉︎ 」
ふと声がし上を向くと、俺の後ろにある建物の屋上に柚月とレイラがいた。
「柚月、あのままでは彼は殺されてしまいます。どうしますか? 」
「あいつの命なんて僕にとって何の価値もない。だから、死んだって構わないさ」
死んだって構わないって……
「けど、あの吸血鬼って王の側近だよね? 」
「はい」
「じゃあ、強いってことだろ? なら答えは一つだ」
柚月とレイラは屋上から飛び降りた。
「そこの吸血鬼。僕と遊ぼうよ」
柚月は黒い箱型の鞄をレイラから受け取り開けた。すると中から現れたのは、目だけが白く赤黒い猫の形をしたものだった。柚月が指を鳴らすと、それは勢いよく吸血鬼に襲いかかった。
「なあ、あれ何だよ? 」
「あれは僕の人形」
人形?俺の知っている人形は、身動きを一切しない物なんだが。
「裂」
柚月がそう発した途端、人形は二つに増えた。いや増えたというよりは、分裂したと言った方が適切だろうか。
人形は再び吸血鬼に襲いかかった。吸血鬼はそんな二体の人形相手に、随分余裕な表情で戦っている。
これじゃあ……
「貴方お人形遊びがしたいなら、家に帰ってパパとママと一緒にしていなさい」
「僕はお前と遊んであげてるんだ。それにーー 」
柚月は再び指を二度鳴らした。
すると人形は吸血鬼の体内に入っていった。うめき出す吸血鬼。苦しい、苦しいともがく。そして吸血鬼の顔が真っ赤になり、身体が破裂した。赤い血が噴水のように溢れ出す。
その容赦のない柚月の攻撃に、俺は恐怖を抱いた。戸惑い、躊躇なんてない。
殺意と殺意がぶつかり合う戦いは、やはり何度見ても慣れないものだ。
「僕のお父様とお母様は、もういないよ」
柚月はそう呟き指を鳴らすと、人形はその音と同時に姿を消した。
「楽な仕事でしたね、柚月」
「あぁ」
ピクリとも動かない吸血鬼。しかし、その時だった。
「柚月、まだそいつはーー 」
「なら、私が遊んでさしあげますわ」
吸血鬼はまだ生きていた。彼女の身体は破裂したはずなのに。傷跡すらなく、彼女は笑みを浮かべながら立っている。
「吸血鬼はね、不死身なの。だから人間よりも悪魔よりも強いのよ」
「そんなのありかよ…… 」
「ありなんだよ、三咲 奏斗。さっき殺した吸血鬼より、再生時間が早いな」
柚月はそう言うと、レイラから小型ナイフを受け取った。
「さすがだね。やっぱり一筋縄ではいかないか」
「じゃあどうするのかしら? 」
「僕のもう一つに力を使うしかないね。本当は汚くて嫌いなんだけど、仕方ない」
柚月はナイフで自分の腕を切った。彼の細い腕から血が滴り落ちる。
「Blood that has been cursed . In accordance with me now , give you a judgment .(呪われた血よ。今我に従い、あなたに裁きをあたえよ) 」
すると赤い血は針のような形に変え、吸血鬼を襲った。針は彼女の腕に刺さり、腕からは血が流れ出す。
柚月が言った言葉、どこかで聞いたことがあったような……
「驚いた?僕はただの人形使いじゃないんだよ」
柚月は楽しそうに笑った。
「なるほど。でも、こんなんじゃ私には勝てないわよ? 」
確かにこんな浅い傷じゃ、この吸血鬼には勝てない。なぜなら、もう吸血鬼の身体には傷一つ残っていないからだ。
しかし、不死身相手にどう戦えばいいのだろうか。そもそも本当に不死身なのか?前にブラッドが、”オレは殺戮が好きなんだ。だから誰よりも多くの人や悪魔を殺して、血を見てきた。もちろん、吸血鬼もだ”と言っていた。つまり、ブラッドは吸血鬼を殺したんだ。だったら吸血鬼を倒す方法はあるはず。
「柚月、なんか秘策はないのかよ⁉︎ 」
「ないね。吸血鬼を殺すには再生出来なくなるまで殺すか、完全に再生するまでの時間で仕留めるしかないんだ。それと僕はこの力を使いたくない理由は実はもう一つあるんだ。この力を扱うのが苦手なんだよ。兄さんと違ってね」
兄さん?やっぱり柚月は……
「そうだね。お前は不器用だからね」
「ミキヤ! 」
声とともに突然現れた赤いフードをかぶったミキヤは、笑みを浮かべて吸血鬼の後ろに立っていた。
「あら、またお友達が増えたのね。じゃあ、まとめて相手してさしあげますわ」
吸血鬼は刀を持ち構えると、勢いよくミキヤに向かって走っていく。
「Blood that has been cursed . In accordance with me now , give you a judgment .(呪われた血よ。今我に従い、あなたに裁きをあたえよ) 」
ミキヤは刃物で手首を切ると、血は液体から刀の形をしたものに姿を変えた。
「死になさい! 」
吸血鬼は刀を大きく振り下ろした。
「おいおい? そんなもんかよ、鬼の実力は! 」
ミキヤは吸血鬼からの攻撃を軽々と避け、指を2度鳴らした。すると刀の形をした血は、丸の形をしたものに姿を変え宙にいくつも浮いている。
「さあ、避けてみな」
ミキヤが吸血鬼の方へ走り出したのと同時に、血も同じ方へ動き出した。
「調子に乗らないでくれる?こんな単純な攻撃なんて避けるまででもないわ」
「じゃあ、避けないでじっとしてなよ」
ミキヤはそう言うと、吸血鬼の顔を掴む。そのまま地面に押し倒すと、手を離し吸血鬼から離れた。
「何これ? つまらない。単純過ぎよ。貴方ってーー 」
「Blade of the judgment. (裁きの刃) 」
ミキヤがそう言った途端、吸血鬼の身体から無数の針が出てきた。
「まあまあ、やるじゃない。でも私には効かないわよ」
「確かに、そうだね。じゃあこれはーー 」
ミキヤがそう言いかけた途端、吸血鬼の身体は消えた。
「ど、どういうことだよ、ミキヤ…… 」
「それはこっちが聞きたいことだ、奏斗」
消えた。それしか言いようがない。
この場にいる誰かが殺したのか? いや、そんなはずはない。というか吸血鬼は殺されたのだろうか? 吸血鬼がいた場所には血の痕跡が見当たらない。つまり吸血鬼は逃げたのか?いや、あり得ない。あんなに戦いに余裕があった吸血鬼が逃げるなんて、おかしいだろう。
じゃあ、これは一体どういうことだ?
「奏斗! 今すぐ逃げろ! 」
突然、ブラッドの荒々しい声が聞こえた。
「ブラッド? 」
一体、何をそんな焦っているんだ?吸血鬼はもうーー
「みーつけた」
聞き慣れた声。黒い髪。
「私の大事なモノ」
彼女のやけに冷たい手が、俺の頬に触れた。
「不死身なんて再生出来なくすれば、いいだけの簡単な話じゃない。だから、大丈夫よ。敵は、どこにもいないわ」
そして彼女は”奏斗”と俺の名前を呼んだ。
「何も知らなくていい。ただ、奏斗は生きていればいいの。だから、奏斗が何かに怯えたり心配したりしなくていい。全部、私がそうなる前に排除してあげるから」
頬に触れていた手は、首から胸元へと滑り落ちていった。
「だから、全てを私に…… 」
その瞬間、身体の中を何かが這いずり回る感覚がした。妙に身体が熱い。吐き気が襲い、手で口元を覆うとしたが間に合わず、鉄さびた臭いとともに血を吐き出した。
「やっぱり、ダメね。術をかけた本人しか解けないのかしら? 」
彼女は首を傾げた。そして何かを思いついたのか、横にひねった首を戻し俺の頬に手を当てた。
「心配しなくて平気よ。姉である私が全て解決してあげるから」
違う。違う。
「だからね、奏斗」
お前はーー
「今は寝てなさい」
「奏斗!早くそいつから離れろ! 」
ブラッドの声が聞こえた。
離れた方がいいのは分かっている。けど動けないのだ。手や足、それに口、瞬きさえできない。まるで身体を動かす力そのものが彼女に奪われたかのように身体は動かず、彼女をただ見ていることしかできなかった。
「クソッ」
「ブラッド。あなたは私には勝てない。だから、そこで契約者を奪われる苦しみを味わってなさい」
「 ……笑わせんなよ、クソが」
突然赤く光る大きな陣が、彼女のいる場所に現れた。
「っ! ブラッド、あなたーー 」
「動けねーだろ?今のお前では、その術を解くことはできねーよ」
彼女は鋭くブラッドを睨んだ。
「おい、奏斗!動けるだろう? 動けんだったら、早く逃げろ」
先ほどまで自由がきかなかった手足を動かすことができた。
「ブラッドは、どうすんだよ」
「オレは後からお前のとこに行くから、心配ねーよ」
ふと誰かに肩を叩かれた。
「奏斗、今は一旦引こう。僕達じゃ彼の足手まといになるだけだ」
ミキヤはそう言って、俺の腕を引いた。
確かにミキヤの言う通りだ。だから今はブラッドに任せるしかない。
俺はミキヤと一緒に、その場から離れた。
「そういえば、柚月は? 」
「柚月なら、とっくに何処かに行ったよ」
あいつは逃げ足が速いから、とミキヤは呆れ顔して言った。
「そういえばさ、奏斗」
どこへ向かっているのか分からないが走っているなか、ミキヤは俺に話しかけた。
「さっきの女、奏斗の姉だよね? 」
「あぁ……外見だけなら」
「外見だけ?どういうことだよ? 」
ミキヤは足を止めた。そして俺もミキヤに連れられ足を止める。
「中身が違う気がするんだ。どこがどうって聞かれても上手く言えないけど、違うんだ。あいつは……姉ちゃんじゃない」
「弟の奏斗が言うなら、そうなんだろうけど…… 」
ミキヤは言葉を詰まらせた。そして止めていた足を再び前へと進め始めた。
妙な雰囲気になり、それに耐えられなかった俺は気になっていたことをミキヤに聞くことにした。
「そういえば、柚月ってミキヤの弟か? 」
「あぁ、そうだよ。僕の弟だ。双子のね」
「双子⁉︎ 」
「そんなに驚くこともないでしょ。今の状況と比べたらさ」
確かにそうだよな。
「なあ、これからどうするーー 」
あれ、どういうことだ?さっきまで隣にいたはずのミキヤがいない。
ミキヤと名前を呼んだが、何も応答がなかった。
辺りを見回しても誰もいなくて、何も聞こえない。どうなっているんだ?
「おい、奏斗! 」
「ブラッド⁉︎ 」
ポケットに手を入れ、仁王立ちしているブラッド。用が済んだのか…… ?
「良かった、生きてるじゃねーか。心配したぜ。ごめんな、奏斗。オレのせいで傷だらけにさせてよ。まぁ、これからは」
ブラッドはそう話しながら、俺に近づいてくる。
「オレが奏斗を守ってやるから心配ねーよ。だからーー」
「お前は……誰だ? ブラッドはそんなこと言わないし、そんな笑い方なんてしない」
含み笑いをするブラッド。違う。あいつは、いつも余裕な笑みを浮かべて自信に満ち溢れているのだ。だから自分を卑下したりするはずがない。
俺はブラッドを突き飛ばした。
「あーあ。バレちゃった」
その声とともに、ブラッドの姿は消えた。そして現れたのは、姉ちゃんの姿をしたあの女だった。
「何をしたんだよ」
彼女は黒髪を揺らしながら近寄ってくる。
「く、来るなーー 」
「逃げないで、奏斗」
その場から離れようとした瞬間、右腕を掴まれた。
「さっき、俺に何をしたんだよ? 」
「あれは幻影術と別空間を作り出す術の合わせ技。幻影術はね、奏斗が一番頼りにしている人物を映し出すのよ」
この女も祓魔師なのか?それとも悪魔とか…… 。どちらにせよ、危険人物なことには変わりはない。早く逃げないと。
そう思い、掴んできた彼女の手を振り払おうとした。しかし思った以上に力が強く、振り払えない。
「ねぇ、奏斗。どうして怯えているの?どうして私から逃げるの?私はあなたの姉なのに」
「違う。お前は姉ちゃんじゃない」
「どうして、そう思うの? 」
俺はその質問に対して、答えることが出来なかった。
「奏斗と私が小学生の頃、お父様とお母様に内緒で近くにあった山へ探検しに行ったわよね。でも結局バレて、凄く怒られたわ。まったく、奏斗が松茸を取りたいと言って、キノコ一つ生えてない山なんて行かなければ怒られなかったのに」
確か……テレビでキノコ狩りで松茸を取りに行くみたいな番組を見て、松茸を食べたいと思い山に行ったんだっけな。
「あと今までずっと黙ってたけど、小学生の時の夏にカブトムシのメス捕まえたってはしゃいでたけど、あれはゴキブリよ」
「えっ、嘘だろ⁉︎ 」
「もう流石に、見分けることが出来るようになったかしら? 」
「ば、馬鹿に…… 」
というか何でこの女、知っているんだ?もしかして、やっぱり姉ちゃんだったとか?
「私が白桜レナだと信じてくれた? 」
分からない。それが正直な答えだった。
姿、声だって白桜レナそのもので、俺の過去だって知っている。逆に白桜レナ以外に誰だという話なくらい、彼女は白桜レナだ。だが、そうだときっぱりと断定できない自分もいるのも、また事実だ。何か違う。何かが白桜レナと違う気がするのだ。
「信じられないのね?はぁ、全く仁希とかいう女が余計なことをするから、面倒くさいことになるんだわ」
彼女は独り言のように話す。
「いいわ、奏斗。この際、無理にでも目を覚まさせてあげるわ」
そう彼女が言った途端、目の前に鎌が一つ落ちてきた。
「あっぶな…… 」
白く染まった刃に細長い赤い柄の鎌は俺の目の前、ギリギリのラインで地に刺さった。
「奏斗、早く逃げて」
刺さった鎌を引き抜いた水色の髪をした少女、スイは俺の前に立ち、鎌を構える。
「こんにちは、スイ。いや、被検体 No263と言ったほうが適切よね? 」
被検体? No263?
「 ……違う。私はスイだ」
「奏斗。今から真実の一部を見せてあげる。よく目を開けて見てなさい」
すると彼女は右足でスイを蹴飛ばした。
「ま、待て! 」
スイへの攻撃は、ますます激しくなっていった。痛々しい程に赤く染まっていくスイ。殴られ、蹴られ、斬られ、叩かれる。その間にも、俺は”やめろ”と叫び続けたが、彼女は聞く耳を持ってくれない。ならば、止めに行くまでだ。
「奏斗は、そこで待ってなさい」
足を動かそうとした瞬間、また身体を動かせなくなかった。
くそっ、情けない。俺も魔術とか、戦う術を持っていれば目の前にいるスイを助けられたのに。
それでも何とか助けようと思い、足や手を動かそうとするが、身体は俺の意志を無視し動かない。
動けよ!動けよ!このままじゃ、スイが死んでしまう。嫌だ。そんなのは絶対嫌だ。だから動いてくれよ。
しかし俺の思いに反して、身体は動かなかった。
「さて、ここからが本番よ」
散々スイを痛めつけた後、彼女は”奏斗”と呼びスイのもとまで俺の腕を引いた。そして俺が持っていた拳銃を手に取りーー
「やめろよ、スイが、スイが! 」
銃弾二発がスイにあびせられた。そして惨いことに、彼女は俺から小型ナイフも奪い、スイの身体を切り裂いた。
「奏斗、真実から目を背けないで」
「こんなの……おかしいだろ」
「見なさい。彼女が生き返るさまを」
スイの方に目を向けると、彼女の身体はどんどん再生していった。切り裂かれた身体から血と血が糸状に伸び繋がる。地面に付着した血もスイの身体に戻っていく。まるで先ほどの吸血鬼のようだ。
スイの身体は、ものの一分もかからず完全に再生した。
「奏斗、分かったでしょ? 」
「何が…… ? 」
心が激しく波を打っている。
「彼女は人ではないことを」
人ではない。その言葉に俺は否定することが出来なかった。肯定するしかない。だって、こんなスイの姿を見てしまったのだから。
スイは一体何者?スイはどうして…… ?そんな疑問と不安が入り混じった感情が心を侵食する。
「もう一つ、真実を教えてあげるわ」
「なんだよ、それ」
「奏斗が受けていた、ある実験の内容のことよ。あれはね、この被検体を完成させるための材料集め、及び人体実験」
「素材集めって、なんの? 」
彼女は俺の身体に手を当てた。
「被検体が人間らしく生きるための材料。例えば肉や血とかね。身体を傷つけられて血を流さない人間なんていないでしょ? 」
「じゃあ、人体実験って…… 」
「被検体に与える薬が人体にどんな影響を与えるか、という検証とかね。薬も多種多様で、痛覚がなくなる薬や身体の再生能力が高まる薬、幻聴幻覚を引き起こす薬とかあったわ。そんな薬、例えば身体の再生能力を高める薬を使って、実際にその薬を飲ませた人を切り裂いたりとかやって、効力を調べてたのよ。まぁ、実験と言いつつ単なる興味本位な遊びに過ぎなかったけど」
それが俺達がやられていた実験の内容か。けれど事実を知ったところで何も変わらず、何も思い出せなかった。実験が行われていた、ということしか覚えていなかった。
「奏斗、ごめんなさい。悪気はなかったの。ただ、奏斗に嫌われるのが怖かった。スイから離れていくかもしれないって思って、怖かった」
そう語る傷跡一つすら残っていないスイの身体は、彼女が人間ではないということを決定づけた。
「さて、奏斗。そろそろ思い出した? 」
「いや、何も」
彼女は小さく息を吐くと、勢いよく俺を地面に押し倒した。俺の身体の上に彼女が覆いかぶさり、黒髪が頬に触れ、彼女の冷たい手によって口を塞がれる。
そして次の瞬間、再び妙な気持ち悪い感覚が襲った。身体の中を何かが彷徨っている。そいつは食道を通り、腹に行き、そして頭の中で何かを探しているかのように這いずり回っているのだ。
「どこかしら?えっと〜 」
「奏斗から離れてよ!じゃないと、あなたを殺す」
「私を殺す? 傀儡ごときが何を言うんだが。まぁ……私を殺したいなら、この結界をまずは切ってみなさいよ」
横目で見るとスイは鎌を持ち、結界を切ろうとしている。何度も何度も、鎌刃を結界に当てる。
「あっ!みーつけた。これが忘却の印ね」
「ぼ、忘却の…… ? 」
「忘却の印。奏斗の記憶が閉じ込められているのよ」
やっぱり俺は知らなかったのではない。忘れてしまったのだ。ブラッドのことも、俺のことも。
じゃあ、もしその印をとったら全てを思い出すのだろうか?いや、大事なのはそこではない。要点は、誰が何のために俺の記憶を閉じ込めたのかだ。
「さて辛いかもしれないけど、我慢してね? 」
彼女がそう言った途端、激しい頭痛に見舞われた。頭が割れそうな痛みとともに、記憶が流れ出した。
姉ちゃんと山へ行った記憶、母の手に引かれ家を去った記憶、スイと初めて会った日の記憶などが映像のように脳裏に浮かんでくる。
「奏斗!奏斗! 」
スイの声が聞こえる。必死に俺の名前を呼ぶ声。こんなこと、前にもあったような……
「っ! 」
「あぁ、私の可愛い奏斗。思い出したのね」
そして俺は、全てを思い出した。彼女の冷たい腕の中で。




