存在を、記憶を
「ついたよ」
10分程歩いただろうか、前を歩いていた女がそう言った。
しかし、ついたと言ってもその場所には何も無かった。あるのは変わった紙、というよりカードが一枚落ちているだけだった。
女はそのカードを拾い、俺の前に差し出した。
「はい、持って」
無言でそのカードを握った。
歩き始めて直ぐに、あの薔薇の蔓は女の右手に戻っていた。
しかし、俺はもはや逃げる気など持ち合わせてはいなかった。持ち合わせていたところで、逃げ切れるとは思わない。
「少し、酔うかも。ごめんね」
「‥‥‥は?」
途端、視界が歪んだ。
どこが地面なのか分からず、どっちが上なのか、下なのかも分からず、目を瞑り、その現象を体験するしかなかった。
「リュージュ。目、開けていいよ」
「‥‥‥く」
ふらふらとしながら、なんとか足で立ち、ゆっくり目を開けた。
「‥‥‥ここ、は」
「見ての通り」
女は左手に持っていた巨大な斧を肩に担ぎ、後ろにいる俺を見た。
「ま‥‥‥魔王、城‥‥‥?」
「そ」
‥‥‥あり得ない。なんだこれは。魔王城など地の果てにあるはずでは無かったのか‥‥‥?
「まあ行くのは魔王城では無いんだけどね」
意味が、分からん‥‥‥。
「あ、リュージュ。好きな食べ物とか、ある?」
「‥‥‥毒でも盛るつもりか。そんな事しなくても、その斧で殺せば良いだろう」
「もう、面倒くさいなぁ。好きな、食べ物。何か無いの?」
何だと言うのだ‥‥‥。
「‥‥‥アップルパイ、だ」
「‥‥‥うん、了解!よかったよかった!」
何がよかったんだ、とは、聞けなかった。
「‥‥‥」
『違うといっているでしょう、霧崎!』
『もっと力を、自身の器に込めるのです!』
なんで、こうなったのかしら‥‥‥。
『聞いているのですか?ほら、もう一回!』
‥‥‥。
こうなってしまった経緯は、私がフリスタスから次の街、ニーベロへと移動し、到着して宿屋へと足を向けた頃だった。
声が聞こえた。
綺麗な声だった。透明感のある、美しい声。ただ、その声の発生元が問題だった。
それは、私の中から、内側から聞こえたものだった。
『何をしているのです!』
声は、そう言ったのだ。
「‥‥‥何を、とは?」
少し、いや、自分の中では相当動揺してしまったが、冷静を保って言った。つもりだ。
『何故、解放をしないのです!鈍りますよ!いえ、もう鈍り始めてます!』
‥‥‥どういうことかが全く分からない。
「あなたは‥‥‥何なの?気味が悪いわ」
『私からしたらあなたの方が気味が悪いです。何故、人間なのに器を持っているのです?』
「だから、意味が分からないわ。何を言っているの。1から話しなさい」
『‥‥‥随分、高圧的なのですね‥‥‥』
余計なお世話よ‥‥‥。
そう思いながら、宿に入った。少し手狭だが、特に問題はない。
硬めのベッドに腰を下ろし、装備を黒のジャージに変更した。
『霧崎、何も知らないのですか?』
「知るも知らないも、何の話なのかすら分からないわ。というより、あなたは何なの?」
『‥‥‥そう、ですか。では、話します。私はーー』
そこで、話が少し止まった。何かを考えるようにした後、
『レイン、といいます』
そう言った。
『まず霧崎、あなたは魔王の存在を知っていますか?』
魔王、それはこの世界の魔物の王、そのものの事であろう。
「ええ」
『‥‥‥何と言いましょうか。そうですね、簡単に言うと霧崎は魔王を滅ぼす存在だという事です』
‥‥‥魔王を滅ぼす‥‥‥?
「それは、どういう事?」
魔王を滅ぼす、というのは私だけに言える事ではない筈だ。今ここに、この世界にいる高校生達は皆、魔王を倒す事が目的の筈である。
もちろん今を生きるのに精一杯の者や今を楽しんでる者もいるとは思うが。
私の中にいる女は、そんな私の考えを察したのか、話し始めた。
『ああ、霧崎たち異世界人の事はある程度理解しています。確かに異世界人は皆、魔王を倒す事はできます。ただ、倒す、という事は殺す、という事だけ。それだけになってしまう』
「‥‥‥それで?」
随分、遠回しな言い方。
『魔王は、魂自体を消滅させなければ、適正者とみなした者へと乗り移り、その身体を奪います。もう、乗り移られた人は、一生表へ出てくる事はなくなります』
「‥‥‥それで、私はその魂を消滅させる事のできる存在である、と?」
『少し、違います。ああ、いえ、大まかには合っていますし、私もさっきそう言いましたから』
‥‥‥どうもこの遠回しな話し方は私の性に合わない。なんだか、大事な部分を隠されているようで。
『だから、補足くらいのつもりでいいので聞いてください。魔王を滅ぼす存在はあなたです。が、今の貴方では無いのです‥‥‥私の持つ力を解放した時の霧崎が、魔王を滅ぼせる存在なのです』
「力を、解放?」
その言葉だけ聞くと、実にファンタジーらしい。が、レインの少し悲しい声を聞くと、そうは思えなくなってしまう。
『申し訳ないです‥‥‥霧崎、貴方を、この因縁の渦に巻き込んでしまって。本来なら私がどうにかするべきだったのですが‥‥‥』
‥‥‥顔なんて分からない。私の中、内側にいる女。声だけしか聞こえない。年もわからない。だが、その声は震え、泣いていた。
「‥‥‥そう思っているのなら、第一声に、何をしているのです、はどうかと思うわ」
『‥‥‥ふふ、それも、そうですね』
そう言った後、ふふ、と何が可笑しかったのか、上品な声で笑い始めた。
『でも、霧崎に対しての第一声は、それでは無いですよ?覚えていませんか?
Ashamedーーと』
その言葉は、覚えがあった気も、し無い事も無い。が、あまり思い出せないのだ。
『微妙な反応ですね‥‥‥では、
Distance of the light、と叫んだ事は、覚えていますか?』
‥‥‥。
「‥‥‥覚えている、とは言えないけれど、知っている気はするわ」
『そうですか。まあ急ぐ事はありません。まずは‥‥‥器に力を込めるとこらから始めましょう』
『ほら、もう一回!』
で、こうなった訳である。
『器に明確な形はありません。霧崎が、想像し、創造するのです』
最早、意味が分からない‥‥‥。
この特訓?は長い間続く事になるが、まだ霧崎自身は勿論、この事を知らない。




