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 彩美はまだ新とはっきり別れられずに避けるだけの日々を送っている。新も苛立ちを隠そうともせず、不機嫌な表情をしている事が多くなっていた。

「彩美。」

 お昼休みになると一仁が彩美の教室に姿を現し、彩美を連れ、二人で教室を出て行く。

「屋上でいいか?」

「うん。」

 学校の中では、彩美と一仁が付き合っていると噂が立っている。否定も肯定もしない二人は、噂に流されるように多くの時間を共有していた。彩美自身も諦めの気持ちを織り交ぜながらも一仁との結婚を受け入れる心の準備を始めようとしている。


 屋上に続くドアを開けると、汐風が二人の間を吹き抜ける。無言のまま、海が見える場所に座り、お弁当を広げた。

「彩美。」

 屋上にはいつもと変わらず多くの人が賑やかにお弁当を広げ、お昼休みを楽しんでいる。その楽しそうな声に交じって一仁の声が聞こえ、彩美はゆっくり顔を上げた。

「何?」

「明日、遊びに行かないか?」

「ごめんなさい。まだ、そんな気分になれない。だから…。」

「いつまでそうしているつもりだ?まるで喪に服している人みたいな休日を過ごしているだろう。母さん達も心配している。」

「ごめんなさい。でも、もう少しだけ…。まだ新の顔さえ見られない。さようならさえ伝えられていないの。」

「簡単な事だろう。」

「簡単じゃない。…わかっているのよ。普通じゃない私なんかが、もう一緒にいられない事。でも…。」

 彩美の大きな瞳に涙が浮かぶ。

「わかった。わかったから、泣くな。」

「ごめんなさい。」

 一仁が困ったように苦笑しながら、彩美の頭を撫ぜる。俯き、涙ぐんでしまった自分を恥じるように涙を拭う彩美の肩を、一仁は抱き寄せた。

「イヤ。」

 立ち上がり、一仁の腕から素早く逃れる。そんな彩美に呆れたように溜息を零す一仁。

「頑なな態度だな。」

「ごめんなさい。」

「謝らなくてもいいよ。俺達は、まだ付き合ってもいないんだからな。」

「ごめんなさい。」

 謝罪以外の言葉を見出す事が出来ずに、きつく唇を噛み締めた。

「まあ、もう少し時間が必要なんだろう。それに卒業までには半年もある。その頃には全てが片付くはずだな。」

「……。」

「自信がないのか?」

「ごめんなさい。」

「でも、卒業と同時に結婚する。それは決められた事だから。」

「わかっている。でも、今は言わないで。」

「仕方がないヤツだ。」

 一仁が呆れ返るように空を見上げた。彩美も一仁の視線を追って、空を仰ぐ。

真っ青な空と燃えつくような強い日差しが二人を見下ろしている。

小さく息を吐き出し、瞳を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、新の笑顔。

「ごめんなさい。」

 周りの喧騒に負けてしまうほどの弱い声で呟き、足元に視線を落とした。

「とにかくお昼を済ませてしまおう。」

「うん。」

 一仁の家のお手伝いさんが作ってくれたお弁当。彩り豊かで華やかな飾り付け。食欲を誘ってくれそうなのに、彩美の箸はあまり動きだせない。

「もう食べないのか?」

「食べたくないの。」

「最近、少食だな。朝食もサラダしか食べないし、夕食もほとんど手を付けてない。倒れてしまうぞ。」

「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫。」

 何が大丈夫なのかはわからないが、彩美は微笑みで誤魔化す事にした。一仁も苦笑で流す。


 お昼休みの終了間近、教室に戻ろうと廊下を並んで歩いていると、新と行がこちらに歩いてくる。

すれ違う瞬間、新と一仁の肩がぶつかり合う。

「何だよ。」

 新が明らかに不機嫌な態度で一仁を睨み付ける。負けじと一仁も睨み返した。

重たい空気が周りを凍らせるほど冷たくなる。

「彩美に何をしたんだ?」

 先に口を開いたのは、新。

「何の事だ?自分がフラれただけだろう。それを人のせいにしようとするのか?」

「お前が小細工をしたに決まっている。そうでなければ、彩美が嘘を吐く理由が見出せない。」

「嘘?」

「彩美は自分の気持ちを偽ろうとしている。どうして、そんな事をさせようとするんだ?そこまでして彩美を手に入れたのか?」

「確かに彩美を手に入れるためなら手段を選ぶつもりはない。でも、俺は何もしていない。彩美自身が選んだ事だ。」

「彩美自身が選んだ?」

 新が呆然と彩美に視線を向ける。彩美は不自然なほど素早く目線を落とした。

「ごめんなさい。私、もう一緒にいられない。ごめんなさい。」

 下唇を強く噛み締め、涙を無理矢理抑え込む。

「奥山、何を仕込んだんだ?いい加減にしろよ。」

 新が一仁に殴りかかった。拳が頬に当たり、よろめく。

一仁もすぐに体勢を立て直し、殴り返した。

すぐに胸元の掴み合いになり、周りがざわめきだす。

「やめてよ。」

 彩美が声を上げるが、二人の耳には届かない。二人の間に割って入ろうとすると、一仁の腕がぶつかり弾き飛ばされた。

「彩美。」

 行が駆け寄り、彩美の身体を起こす。

「やめて!」

 叫び声と共に、ガラスが音を立て軋み出す。強風が廊下を吹き抜けていく。

掴み合いの喧嘩をしていた二人は動きを止め、呆然と彩美を見つめた。

「彩美?」

 彩美が行の手を借り立ち上がると、二人の間に立ち顔を上げた。

「お願いだから、もう喧嘩なんてしないで。争うのなんて、見たくない。」

「…わかったよ。」

 新が諦めたように溜息を零し、背中を向けた。

「待って。」

 そのまま、歩き出そうとした足を止める。

「その傷をどうするつもり?一緒に来て。保健室で手当てをするわ。かずちゃんも、よ。」

 彩美の迫力に負け、行も入れた四人は保健室に向かう。先生も訪問者もなく、静まり返っている。

「新、かずちゃん、そこに座って。」

 彩美が脱脂綿に消毒液を付け、二人の傷口を消毒していく。バンドエイドを貼り、立ち上がった。

「はい、かずちゃんは終わり。もう教室に戻っていいわよ。」

 一仁は黙って立ち上がり、保健室を出て行く。

「新。口元が切れているから、口を漱で。それから、止血をするから。」

「はい。」

「新。俺も先に教室に戻っているよ。」

 行も一仁を追うように、保健室を後にした。

新が立ち上がり、窓際の水道で口を漱ぐ。水道の音だけが二人の間の空気を震わせている。水が止まると、沈黙になった。

「そうしたら、ここに座って。」

 長椅子に並んで座る。

「こっちを見て。」

 彩美は手を伸ばし、口元の傷に脱脂綿越しに触れる。

「深く切ったのね。まだ、血が止まらないわ。ちょっと、このままでいて。」

 二人は向き合ったまま。

でも、彩美は視線を合わせる事が出来ずに、傷口だけを見ていた。

静まり返った空気にチャイムが鳴り響く。

「もういいよ。授業が始まってしまう。」

「ダメよ。ちゃんと血を止めないと。」

「じゃあ、血が止まってから、行くよ。彩美は先に教室に戻っていて。」

「ダメ。放っておけない。」

 新が少しだけ微笑んだ。

「どうして、こんな事をしたの?」

 少し躊躇いがちに口を開いた。

「彩美が避けたりするから、苛々していた。それに、奥山となんか、一緒にいるから。」

「……。」

 黙ったまま、傷口に当てていた脱脂綿を見る。それから傷口を見て、立ち上がった。

「血が止まったわ。今、バンドエイドを貼るわね。家に帰ったら、また消毒してね。」

 新も立ち上がり、両腕で彩美を抱き寄せた。

「新?」

 彩美の声が揺れる。

「いつまで、自分の気持ちを偽り続け、俺を避けるつもりだ?」

「ごめんなさい。もう、一緒にいられないの。このまま、終わりにしよう。」

「イヤだ。絶対、終わりになんてしない。どんな事があっても、俺の気持ちは変わらない。彩美だって、同じ気持ちじゃないのか?奥山との結婚が原因なのか?」

「違うわ。」

 彩美は新に嫌われる事を覚悟して、口を開いた。

「もう、新の事を好きじゃないの。気持ちが冷めてしまったの。」

 新の腕から逃れ、自分の上履きを見つめた。

「嘘だ!」

 新の声が動揺を隠せずにいる。

「嘘じゃないわ。」

「じゃあ、授業中や休み時間に、どうして、俺を見つめるんだ。刹那そうな瞳で俺を見ているんだよ。」

「…気付いていたの?」

 自分の口の中で転がすように、呟く。

「そうよ。新が好きよ。でも、どうしようもないの。もう、一緒にいられないのよ。」

 彩美の中で何かが弾け、声を荒げる。同時に大粒の涙が零れ落ちた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

 自分を抑えようと、懸命に涙を拭く。そんな彩美の顔を覗きこみ、唇を合わせた。びっくりして、身体を離そうとする彩美を抱き締め、口付けを続ける。彩美の口元から溜息に似た吐息が漏れた。唇を離すと、彩美は身体の力が抜けたように、しゃがみこんでしまう。

「俺の気持ちは、そんな簡単に変わらない。ずっと、彩美の傍にいるよ。話して。何が遭ったんだ?」

 彩美の視線を真っ直ぐに見つめ、優しい声で囁きかける。

「ご、ごめんなさい。」

 彩美が視線を逸らし、唇を噛み締めた。

これ以上、声を出したらすべてを話してしまう。そしたら、嫌悪されてしまうかもしれない。気持ち悪いと思われるくらいなら、このまま、終わった方がいい。

「いつまでも、彩美を待っているよ。俺には、彩美しかいないから、な。」

 彩美の唇をもう一度奪い、保健室を出て行く。背中を見送って、泣き続けた。

「新…。」

 涙を拭いて、立ち上がる。水道の前までふらふらと歩き、鏡に映り出された自分を見る。瞼が腫れ、酷い顔をしている。冷たい水で顔を洗い、頬を強く叩き、教室に向かい歩き出した。



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