5
長い授業が終わり、放課後。
「行、彩美。帰ろう。」
新がご機嫌な声で誘いをかける。
「俺は後から帰るよ。」
「どうして?」
「いや、二人の邪魔をしたくないから、さ。」
「何を言っているんだよ。邪魔だと思っていたら、最初から誘ったりしないよ。なっ、彩美。」
「そうね。一緒に帰ろう。」
「わかった。」
彩美を間に挟み、三人並んで歩く。
同様に帰路に着く生徒達が、ちらちらとこちらの様子を伺っている。
学園のアイドル二人に挟まれた見慣れぬ女生徒。それも仲の良い、三人でいるのが当たり前の自然体な姿。動揺と羨望、噂が独りでに広がっていく。
「行はいつからそんな遠慮深くなったんだ?今までずっと三人でいただろう。」
「いや、十八年も二人は離れていたんだ。少しは気を使った方がいいかなって、思っただけだよ。まぁ、必要ないと言うのなら、もうしない。」
「今更だよな。三人でいるのが当たり前になってから言うなよ。」
「わかったよ。」
彩美は不思議な気分で二人を交互に見上げた。
こんな風に並んで歩くのは初めてのはずなのに、懐かしさを感じている。
「二人は本当に仲が良いのね。」
「そうでもないよ。殴り合いの喧嘩をする時もあるんだから。」
「でも、仲が良いから喧嘩になるんでしょう?」
「まるで自分は関係ないと言いたそうだな。彩美だって、仲間なんだよ。わかっているのか?」
「私も?」
「そうだよ。ずっと三人でいたんだ。喧嘩する時だって、三人だった。」
「さすがに殴り合いにはならないけど。」
新と行が、彩美を見下ろし、優しい瞳で微笑む。
「でも、彩美はいつもずるいんだ。絶対にどちらかを味方にして、二対一で喧嘩を仕掛ける。だから、彩美と敵対すると負けるんだ。」
「そうそう。」
「それは相手が間違っているから、二対一になるんじゃないの?」
「そうとも限らないよな。」
「どうかな?」
「あっ、行、ずるい。そうやって、彩美の味方をする。だから、いつも彩美に負けるんだよ。全部、行のせいだったんだな。」
「おいおい、俺のせいにするなよ。新が彩美に頭が上がらないだけだろう。」
「行。それって、まるで凄く強情みたいじゃない。」
「そうだ。行が悪いんだ。」
「おい、新。そうやって逃げるんだな。新こそずるいじゃないか。」
三人の視線が絡み合う。一瞬の沈黙の後、誰からともなく笑い出した。
「俺達って、成長がないな。」
「本当に。同じような事で喧嘩してる。」
「それに笑い出して、喧嘩が終わる。全く変わっていない。」
二階建てのハイツの前で足が止まった。
「ここが俺達の家だよ。」
「こんな綺麗な場所に住んでいるの?」
「そう。俺達のハイツ。父さん達が残してくれたお金で、行と二人で建てたんだ。」
「そうすれば、家賃収入が入る。生活が出来るだろう。ない頭を使ったんだ。」
「行こう。俺達の部屋は二階だよ。」
階段で二階に上がり、一番奥のドアを開ける。
「入って。」
「お邪魔します。」
綺麗に整理されている。リビングには、ソファーとテレビ。
新がベランダに出て、洗濯物を仕舞い始める。行は、キッチンでお湯を沸かし始めた。
「私にも何かさせて。」
「大丈夫だよ。すぐに終わる。彩美は、座っていていいよ。」
「うん。」
落ち着かない様子で辺りを見回す。ふとテレビの上の写真立てに目を止めた。手に取ると、彩美を間に挟んで、仲良く三人で写っている写真。少しだけ古ぼけた色をしている。
「私達、よね?」
写真をじっくり見つめた。学校の様な佇まいの建物の前で、お揃いの服を身につけている。笑顔がとても眩しい。
彩美は、頭痛を覚えて、両手で頭を抱えた。何かが頭の中で、囁きかけている。ぼやけた映像が流れていく。鮮明に何かとはわからない。でも、微かに見覚えがある、そんな景色。
「彩美、どうした?」
新が心配そうに彩美の顔を覗きこむ。
「ううん。何でもないよ。」
彩美は頭痛を抱えたまま、少しだけ微笑み、新を見上げた。
「ねぇ、この写真は?」
「彩美が記憶を失っている部分の俺達だよ。」
「学校なの?」
「そうだよ。学校の卒業式に撮ったんだ。俺達は、クラスメイトになって、仲良くなったんだ。」
「そう、なの?」
彩美は、ぼんやりしながら、返事をする。
先ほどまで流れていた映像を思い出そうとするが、それが上手く出来なく、もどかしい。
「コーヒーを淹れたよ。とにかく、座って話をしないか?」
行の声に振り返り、彩美を真ん中にして、三人並んでソファーに座った。
「彩美、ムリに思い出そうとしなくても大丈夫だよ。俺は、あの火事の時、自然に思い出した。きな臭い風が記憶を運んできたんだ。最初は、戸惑いがあったけれど、素直に受け入れられた。彩美だって、きっと何かのきっかけで思い出す。」
「ありがとう、行。」
行を見上げ、微笑んだ。温かいコーヒーに口を付け、ほっと溜息を漏らす。
「新は、ずっと憶えていたの?」
「うん。気が付いた時には、記憶の中にあった。不思議だけれど、戸惑いとかなかった。その頃から、彩美に会いたかったんだ。昨日、砂浜で背中を見つけた時、夢かと思った。でも、振り返って、俺の事を呼んでくれた。もう離れる事はないと実感したよ。」
「新…。」
「でも、過去に縋っている訳じゃない。彩美との未来を夢見ていたんだ。これからは、それを現実にするための努力をするんだ。」
「どんな未来を夢見ているの?」
新が頬を染め、耳まで赤くなっている。
「彩美と結婚して、行と同じ職場で働いて、三人で夕食を食べたり、休日には行の彼女も誘って、出掛けたりするんだ。それで、お互いの子供を囲んで、遊園地に行くんだ。小さいかもしれないけれど、暖かい生活だよ。」
「素敵ね。」
彩美が目を細め、新を見つめる。
「俺の彼女は、ちゃんと可愛い子を想像しているんだろうな?」
行が楽しそうに笑う。
「行には、彼女はいないの?」
「いないよ。きっと、未だ、運命の子に出会っていないんだよ。」
新が少し俯き、下唇を噛み締める。
「きっと、行の彼女は、すごく可愛い女性だと思うわ。私のカンだけれど、ね。」
「ありがとう、彩美。」
三人で顔を合わせて、微笑み合う。
「彩美が、前に住んでいた所は、どんな所?」
「見渡す限り、山ばかりよ。とても静かで空気が綺麗な所。真事という親友がいて、すごく仲が良かったの。真事には、哲大と言う幼馴染がいて、真事はずっと片想いをしていた。いつも二人は一緒にいるのに、哲大は気付きもしないのよ。鈍感なのね。」
「彩美も人の事が言えないくらい、鈍感だけれど、ね。」
行と新が楽しそうに笑い出す。彩美は、不思議そうに二人を見つめた。
「そうだ。写真を撮ろう。私にも恋人が出来ましたって、真事に送るの。いいでしょう?」
「いいよ。」
彩美は、携帯電話を出し、にっこり笑う。三人で顔を近付け、写真を撮った。
「二人で撮ってあげるよ。」
行が携帯を持ち、カメラを構えるポーズをする。
「何、彩美、緊張した顔をしているんだよ。笑って。」
引き攣った笑顔が写真に収まる。撮った写真を見て、小さく溜息を漏らした。
「酷い顔。今度は、もっと可愛く写れるように訓練するわ。」
「訓練ね。」
新と行の間で笑いが起きる。不満そうに頬を膨らませる彩美。
三人で何でもない話をしていると楽しくて、時間は早く流れていく。
彩美は、腕時計を見て、立ち上がった。
「私、そろそろ、帰るわ。」
「えっ、もう帰るのか?」
「うん。かずちゃんが、心配すると思うの。」
「大丈夫か?」
「何が?」
「何でもないよ。」
新の顔が少し翳りを持っていた。
「送って行こうか?」
「まだ明るいし、大丈夫よ。それより、夕食の準備をしたら?」
「気を付けて。」
「うん、明日ね。」
新と行と別れ、夕陽に向かって歩く。
二人の姿が見えなくなると、彩美のバッグの中で携帯電話が着信を知らせる。
「はい。」
「もしもし、彩美。今、何処にいるんだ?」
「もうすぐ、お家よ。あと、十分くらいで着くと思う。」
「わかった。迎えに行くよ。」
「えっ、大丈夫よ。」
「すぐに行くから。」
電話が勢いよく切られる。携帯電話を仕舞って、ゆっくり坂を上っていく。
「彩美。」
しばらく歩くと、息をきらしながら走り寄ってくる一仁の姿。
「走ってきたの?」
「うん。彩美が迷子になったのかと思って、心配していたんだ。」
「大丈夫よ。迷子になんて、ならないわよ。」
「何処に行っていたんだ?」
「うん。」
彩美は言い辛そうに、少し視線を落とす。
「新と行と一緒にいたの。」
「七海達と?」
「うん。私、新と付き合う事にしたの。」
「七海と?どうして?」
「好きなの。私、新が好き。」
「だから、嫌だったんだ。あんなに七海達に近付くなと言っておいただろう。」
「ごめんなさい。でも、新達は、とても良い人よ。優しいし、楽しい人なのよ。」
「アイツらは、昔の彩美と重ねているだけなんだよ。」
「かずちゃん、知っているの?」
「何も知らないよ。帰ろう。」
「かずちゃん!知っているのなら、教えて。私、何も思い出せないの。」
「思い出すって、何を?俺は何も知らない。」
「そう…。」
彩美は言葉を見出せず俯き、一仁の後を歩くしか出来ない。
「かずちゃんは、どうして、新と行をそんなに嫌がるの?何か、あるの?」
「ただ、良い噂を聞かないだけだよ。」
「噂って?」
「噂だよ。彩美が気にしないのなら、それで構わないよ。」
「かずちゃん…。」
「彩美、最後の忠告だ。もう、七海達と付き合うな。」
「どうして、そこまで言うの?噂だけなんでしょう?そんなに拘る必要があるの?」
「彩美が傷付くのを見たくないんだ。」
「私が傷付く?」
「彩美が動じないのなら、もういいよ。」
「かずちゃん…。」
「一つだけ憶えておいて、欲しい事がある。」
「何?」
「俺と彩美は、高校を卒業したら、結婚をするんだ。」
「えっ?」
「初めて聞いたようだな。でも、もう決められた事だよ。彩美の両親の遺志でもある。俺は、彩美が好きだから、素直にそれを受け入れようと想っている。だから、一年だけ彩美の好きにさせてあげるよ。」
一仁は口元だけ笑みを浮かべた。彩美は、呆然と一仁を見つめて、言葉さえ浮かばないようだった。
「帰ろう。夕食の時間になる。」
今までの会話がなかったような笑みを彩美に向けてくる。けれど、彩美は哀しそうに地面を睨んだまま、笑みの応える事も出来ずにゆっくり歩き出した。