3
真っ赤な炎。世界を全て焼き尽くそうとしているような威力で、廃墟となったビルを紅色に染めている。弱い雨が降り注ぐが、炎を消す事は出来ずにいる。
「アヤミ!」
「ごめんなさい。私、やっぱりシンといたいの。」
アヤミは、シンに身体を寄せた。片腕でアヤミの肩を抱き寄せる。
シンの横には、紅茶色の髪をした青年がいる。背が高く、綺麗な顔立ちをしている。
「そんな事が許されると思っているのか?」
アヤミ達の真正面に、黒髪の青年。煙に邪魔されて、顔を確認する事が出来ない。
「ごめんなさい。でも、もうシンと離れるなんて考えられない。」
睨み合う二組の間から、大きな爆発が起こる。衝撃と共に強い爆風が吹き抜ける。大地が裂け、炎が噴き出した。
「アヤミ!」
大粒の雨が降り出し、炎の勢いが弱まる。雨と煙で視野が遮られる。シンと紅茶色の髪をした青年が、アヤミを守るように一歩前に出た。
「ありがとう、シン、ユキ。」
アヤミが二人を見上げ、微笑む。二人は前を見据えたまま、同時に頷いただけ。
周りの空気が晴れ、視界が広がっていった。
「イヤ!」
背後に回った黒髪の男に抱えられ、もがくアヤミ。
「アヤミ!」
シンとユキが振り返り、黒髪の男を睨み付けながら、少しずつ歩み寄る。
「いい加減、目を覚せ。」
黒髪の彼は冷たく言い放つ。背中から真っ黒な翼を出し、アヤミを抱えたまま飛び立とうとしていた。。
「離して。」
アヤミの周りから風が起き、黒髪の青年を包み込む。アヤミを捕えていた腕が、風に負け解かれる。
アヤミに自由が戻ると風は止み、シンとユキに向かって走り出した。
もう少しで手が届く。アヤミが手を伸ばすと同時に、大きな爆発音が響き渡り、大地が揺れる。
爆風が、炎が、煙を巻き上げ、再び視界を遮る。
「シン!」
アヤミが大きな声を上げるが、爆音が掻き消していく。
「シン、ユキ。」
返事はなく、ただ風の音だけが耳に残っていた。
「あっ。」
彩美が目を覚ますと、今までの映像が夢であった事を理解させる。
それでも頬を濡らす涙と胸の痛みは、現実に残っていた。
「夢の中のシンと同じ人なの?私が失っている記憶なの?」
ベッドに腰掛け、零れてしまう大きな溜息。
「新……。」
消えそうな呟きを口の中で転がして、そっと瞳を閉じた。
「ふぅ。」
息を大きく吐き出すと、気分を変える意味を込めて、カーテンと窓を開け放った。
海からの汐風を、空からの太陽の日差しを、身体中に取り入れる。
「おはよう。」
うん、大丈夫。あれは夢だ。現実の苦しさじゃない。
自分に言い聞かせ、今日から行く学校の新しい制服に着替え始めた。
黒を基調にしたブレザーの制服。髪を整えると、気分も少し向上する。
「おはようございます。」
「あっ、おはよう。彩美ちゃん。早いのね。」
ダイニングに向かう廊下で、叔母の背中を見付けた。朝の忙しい時間のはずなのに、優雅にのんびりと廊下を歩いている。
「お手伝いをさせてもらえますか?」
「ダメよ。彩美ちゃんは、私達の家族。余分な気を使うのはなしよ。」
「でも…。」
叔母は、年齢に似合わない可愛らしい笑みを浮かべる。
「それにね、お仕事でしている人達に失礼でしょう。すべて任せるべきなの。」
「…はい。」
数人のお手伝いさんが来ているのは、知っている。
だけど、今まで両親と一緒の頃は、母親とよくキッチンに立った。お手伝いもしていた。それが幸せだったから。
そんな幸せを亡くしてしまった事を確認させられるのは、少し辛い。
「だから、お庭を散歩している一仁に付き合ってあげて。それが今出来る彩美ちゃんのお仕事。ねっ。」
「はい。」
彩美は諦めて、庭に向かう。
庭師によって綺麗に整えられた庭園が広がっている。少し歩くと、薔薇が色とりどりの色を纏い、大輪の花を咲かせている。
「彩美、おはよう。」
少しウェーブ掛かった黒髪の一仁が振り返る。
「おはよう、早いのね。」
「彩美も、な。」
「お手伝いしようとしたら、断られちゃったの。かずちゃんとお散歩したらと、言われてしまったわ。」
「気を使う必要なんてないよ。もう俺達の家族なんだから。」
気を使ったわけじゃない。そう言いたいのに、言葉が出てこない。
「…ありがとう。」
十センチ以上上にある顔を見上げ、微笑んだ。
それが精一杯だ。
「かずちゃん、いつの間にそんなに大きな身長になったの?気付かなかったわ。」
「おいおい、成長期みたいな言い方をするなよ。何年も前からこの身長だよ。」
「そうだった?私が気付かなかっただけ?」
「そうだよ。」
優しく穏やかな表情で彩美を見つめる一仁。
「今日から新しい制服なの。似合う?」
昨日と何も変わらない表情のはずなのに、今日の彩美にはやけに落ち着かない気持ちにさせる。
それを隠すように、少しおどけた表情で誤魔化す。
「よく似合うよ。セーラー服も似合っていたけどね。」
「ありがとう。似合わないって言われたら、どうしようかと思った。」
「そんな事を言うはずがないだろう。例え、似合っていなくても似合うと言うさ。」
「本当はどうなの?」
「彩美は何を着てもよく似合うよ。」
「さすがお優しい一仁様ですね。」
二人で顔を見合わせ、笑い出す。
「そろそろ朝食の時間だ。行こう。」
「うん。」
一仁の三歩後ろを着いていく。
その後ろ姿は、まるで夢の中に出てきた黒髪の男の人を思い出させ、知らない人みたいだ。
ずっと一緒の時間を過ごした従兄妹の一仁じゃない人を追いかけている気分になる。
「おはよう、お兄ちゃん、お姉ちゃん。」
一紗の声で、今まで宙を彷徨っていたような考えが現実に戻ってくる。
「おはよう、一紗ちゃん。」
「さぁ、朝食にしましょう。」
大きな食卓には、四人だけ。
「お父さんは?」
「出張だと言って、朝早く出掛けましたよ。」
「そう。」
「一紗はファザコンだからな。」
「違うもん。」
可愛らしく頬を膨らませた。
「一紗はブラコンよ。」
「そうだもん。だから、お兄ちゃんの恋人は嫌い。彩美お姉ちゃんが、お兄ちゃんの恋人なら、大賛成なのに。」
彩美が困ったように眉間に皺を寄せつつ、苦笑を零す。
「彩美ちゃんならいいの?」
「うん。お姉ちゃんなら、優しいし、可愛いし、お兄ちゃんに似合うと思うわ。あの人なんか綺麗かもしれないけど、気取っているみたいで嫌。」
「瑤子は恋人でも何でもないよ。」
「だって、あの人はそう言ったの。」
一紗が顔いっぱいに不満を露わにした。一仁は苦笑の後、パンを千切り口に放り込む。
「御馳走様でした。」
彩美は与えられた朝食を食べ終えると、とっくに食べ終わった一仁が立ち上がった。
「あっ、待ってよ。」
一紗は、置いていかれると思い、オレンジジュースで口に入れたパンを流した。
「まだ時間があるよ。ゆっくり食べなさい。外で待っているよ。行こう、彩美。」
「うん。じゃあ、一紗ちゃん。ゆっくりしっかり食べてきてね。」
「はぁい。」
二人は部屋に戻り、バッグを持って、庭に出た。何気なしに薔薇の前で二人が並んだ。
「緊張してきちゃった。」
「しっかり挨拶しろよ。」
「うん、頑張る。」
「あっ、彩美。」
「うん?」
「七海新と微風行には気を付けた方がいい。近寄らない方がいいぞ。」
「どうして?」
「良い噂を聞かないんだ。同じクラスにならなければいいけど。」
新は悪い人じゃないわ。そう言い掛けて、言葉を飲み込んだ。
彩美は、まだ新をよく知らない。でも、悪い人じゃない事だけは、自分の中で証明出来た。ただ、一仁を納得させるだけの言葉を探し出せない。
「薔薇がとても綺麗ね。」
そういう時は、話を誤魔化す。
「そうだな。でも、棘がある。ただ、綺麗なだけじゃない。」
「そうね。」
「まるで彩美みたいだな。」
「私?」
「見た目はこんなに美しい。でも、強い意志を持っていて、振り向きもしない時がある。」
「かずちゃん?」
遠くを見つめ、何か違うモノを見ている表情。やけに彩美の気持ちをざわつかせる。
「美しいなんて、お世辞でも嬉しいわ。」
わざとらしいほど明るく言い放つ。
「本当にそう思っているんだよ。」
「口が上手くなったのね。それとも視力が落ちた?」
笑いながら、一仁を見上げる。一仁も諦めたように笑みを浮かべている。
その事に大きな安堵を覚えた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。お待たせ。」
一紗が、明るく二人の間に割り込んでくる。
「じゃあ、行こう。」
玄関に横付けされた黒い高級車に、慣れた様子で乗り込んだ。
「車で学校に行くの?」
「そうだよ。どうした?早く乗れよ。」
「うん……。」
違う。これは私の日常じゃない。そう訴えかける自分の心を押し込み、車に乗り込む。
幼等部、小等部、中等部、高等部、大学部まである学校の大きな正門前には、同じような高級車が止まり、たくさんの生徒を送り出している。 この学校では当たり前の光景。
「じゃあ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。またね。」
車から降りると、一紗は大きく手を振って、小等部校舎の方に向かっていく。
「ありがとうございました。」
彩美も一仁の後から車を降り、運転手に深く頭を下げた。
「どうした?彩美、早く来いよ。」
「うん。」
さっさと高等部の校舎に歩き出した一仁の背中を追いかけた。
やけに周りがざわつき、痛いほどの視線を感じる。
「ここが職員室だ。」
校舎内に入っても同じ視線は続いていた。一仁は何でもない顔で歩いているし、彩美だけが居心地の悪さを感じているらしい。
「大丈夫か?一緒にいてやろうか?」
「大丈夫よ。同じ歳なのにいつまでも子供扱いね。一人で行けるから。」
「そうか。」
「頑張れよ。」
「うん。またね。」
一仁の背中を見送り、職員室に入った。
「光彩美さんだね。」
職員室に入ってすぐ、大柄の少し怖そうな先生に声を掛けられた。
「三年の学年主任の大河原だ。担任の先生を紹介しよう。」
「はい、お願いします。」
彼の後ろを着いていくと、爽やかな青年の印象を持たせるルックスの先生。
「担任の平林先生だ。」
「平林です。よろしく。」
目の下にクマがあり、疲れた表情をしている。でも、笑顔は優しい。
「光彩美です。よろしくお願いします。」
小さくお辞儀をすると、微笑んで彩美を見た。
「困った事があったら、相談するといい。ここにいる先生方は、よくしてくれるはずだ。」
「はい。」
「さて、教室に案内しよう。」
「はい。」
彼の後を着いて、教室に向かう。三年A組と書かれた教室の中からは、賑やかな話し声が聞こえる。ドアを開けると、途端に静まり返る。
「転入生を紹介します。光彩美さんだ。」
教室中の視線が彩美に集中する。緊張と羞恥が一気に身体を駆け巡る。
「一番後ろの席を用意しておいた。七海、手を挙げて。彼の隣の席だ。」
「はい。」
新が嬉しそうに微笑みながら、天井に手が届きそうな勢いで、挙手する。
「彩美。」
「新。」
「だから、会えると言っただろう。」
「うん、よかった。」
教室の後ろまで歩いてきた彩美に、小声で話し掛ける新。
「それも隣の席なんて、運命としか言いようがないね。」
「運命ね。」
口元に手を当て、少しだけ笑う。
「じゃあ、授業の準備をしておくように。」
そう言い残し、栗林先生は教室を出て行った。
「よかった、彩美と同じクラスで。たくさん話が出来るね。一緒の時間が増える。」
「うん。」
二人で顔を合わせ、自然に笑みを零した。
少しの気恥ずかしさもあるが、それを上回る嬉しさには勝てそうにない。
「私、川野智恵。よろしくね。彩美って呼んでもいいかな?」
彩美の前の席の女子生徒が振り向き、人懐こい笑みを覗かせた。
「うん、よろしく。私も智恵でいい?」
「もちろん。」
「川野さん、彩美をよろしく。」
「あら?二人は知り合いなの?」
「俺の可愛い恋人。」
「恋人?七海くんに恋人がいるなんて、初めて聞いたわ。」
「昨日、やっと出会えたばかりだからね。」
「昨日?」
「そう。」
新が大きく頷きながら、嬉しそうに笑った。子供のような無邪気さだ。
「七海くん、顔がだらけているわよ。本当に彩美が好きなのね。」
「もちろん。大好きだよ。世界で一番ね。」
「はい、御馳走様です。」
「楽しそうだな。」
智恵の頭の上から声が聞こえ振り向くと、夢の中に出てきたユキにそっくりな青年。
「ユキ?」
「そう。微風行。よろしく、彩美。」
「よろしく、微風くん?」
「行でいいよ。」
「ありがとう。」
新を入れた三人の間に、違う空気が流れる。
「初対面なはずなのに、三人の間には、仲良し空気が流れているね。本当に初対面?」
「仲良し空気って何?」
「さぁ?」
惚けた智恵の返事に、笑いが漏れる。
楽しい学校生活が送れそうな雰囲気に、彩美は安堵の溜息を小さく零した。
あぁ、突っ込みが入れたい。白馬のおうじ様と違って、呆けたままの言葉が放置されている。どうしたらいいの?シリアス風味なのに突っ込んでも許されるの?
お願いです。誰か教えてください…。