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今日は、こちらは二話投稿です。
海辺に辿り着いた彩美は、砂浜に降り、ゆっくりした速度で歩きながら、海を眺める。
「シン……。」
口の中で転がすように呟き、立ち止まる。夢の中に出てきたシンを思い出すと、胸の痛みを感じる。
「私は、何を期待していたの?」
小さな声で言葉にして、溜息を漏らした。
シンに会えるかもしれない。そんなバカげた事を期待する自分に呆れる。
でも、夢で逢っただけなのに、シンに会いたいと願い続けている自分がいるのは確かだ。
「アヤミ?」
背後から声が聞こえ、期待を消せないまま振り返った。
「シン……。」
夢の中で逢っていたシンにそっくりな人が呆然と彩美を見つめている。
手で口元を覆い、呆然と彼を見つめ返した。瞳から涙が零れ落ち、指先に触れる。
「会いたかったよ。ずっと探していたんだ。本当にアヤミなんだな。」
彼が手を伸ばし、彩美の頬に触れる。
「シン……。」
彩美は自分が泣いている理由を探していた。ただ、胸が痛いほど嬉しくて、彼にどうしようもなく会いたかった気持ちだけしか、見出す事が出来ない。
「アヤミ。」
彼が強く彩美を抱き締めた。
拒否しなければいけない事がわかっているのに、そのまま身体を預け、彼のぬくもりの中で瞳を閉じた。
彼の事を何も知らないのに、安心感がある。彼のぬくもりを知っている。
自分の行動の不可解さに疑問を抱きながら、夢と現実の区別を求めていた。
急に酷い頭痛に襲われ、彼の腕をすり抜け、しゃがみこんだ。
「アヤミ!」
彼に肩を抱かれ、近くの階段に座るように促される。深呼吸を何度も繰り返すと、頭痛が治まった。
「大丈夫か?」
顔を覗き込み、心底心配そうな表情で彩美を見つめている。
「はい、ごめんなさい。」
彩美は頬を染め、俯いた。心臓が壊れてしまいそうなほど早く脈打っている。
「アヤミ?」
彼が不思議そうに彩美を見つめた。
「もしかして、憶えていないのか?」
「憶えていない?」
驚いて、顔を上げると、目の前に彼の顔。夢と同じ大きく澄んだ瞳だ。
「私、前に貴方に会っているの?」
「ごめん。」
「どうして、謝るの?」
一度止まった涙が溢れてくる。
何が哀しいのかわからない。ただ、胸が痛い。申し訳なさそうな彼の顔が辛い。
「どうして、泣くんだ?」
彼は苦笑いを浮かべ、指先で彩美の涙を拭った。
「わからない。でも、貴方に会いたかったの。私、どうにかなってしまったみたい。」
肩の力を抜き、彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「俺は、七海新。十七歳。」
「光彩美です。同じ十七歳です。」
彼の満面の笑みに釣られ、彩美の唇も弧を描く。
「彩美、ちゃん。よかったら、少し話をしないか?これから予定ある?」
「別にないけど…。」
「いいだろう?」
彩美も彼と一緒にいたいと願っていた。少しでも彼を知りたい。
「うん。」
二人で階段に座ったまま、ぼんやり海を眺める。沈黙だけど、それがとても心地よい。
「彩美、ちゃん。」
「ちゃんの付け方がぎこちないわよ。彩美でいいから。」
「俺も新でいいよ。」
「ありがとう。」
二人で顔を見合わせた。穏やかで優しい空気が漂っている。
「彩美。」
「何?」
新の顔を見上げると、優しい表情で彩美を真っ直ぐに見つめている。
彩美の胸の奥で漣が小さな音を立てている。急速に頬が熱くなった。
「俺、彩美が好きだ。付き合って欲しい。」
「新?」
「彩美にとっては急な話かもしれない。でも、俺にとっては彩美しかいないんだ。」
「どうして?」
「十八年間、彩美だけを待っていた。俺の事を嫌いじゃないのなら、考えてくれないか?それに、彩美だって、少なからず俺に興味がある。違うか?」
少しだけ強引さを纏った言葉。でも、嫌悪感はないし、素直に頷けてしまう。
「とても気になるの。初めて会ったはずなのに、どうしてかしら?わからないけど、私も新と一緒にいたい。」
「じゃあ、決まりだ。これからよろしく。彩美。」
「よろしくお願いします。」
二人で微笑みを交わし、そのまま見つめ合った。
彩美の中で懐かしさに似た感情が生まれていく。彼とこうして時間を過ごしていた。いつも一緒にいた。
心の何処かが、彩美に懸命に訴えかけている。
何を話すでもなく、ただ並んで海を見ている間に、時間は過ぎていたらしい。波の音だけの沈黙の中、隣にいるぬくもりに寄り添っていただけなのに、とても心地よい。
「ねぇ、新。」
「何?」
幼い表情を隠せない顔で微笑む。
「私達、何処で会ったの?」
「ずっと、前だよ。十八年以上前。」
「十八年以上前?私達、産まれてもいない。」
「そうだよ。今の俺達が俺達になる前。」
「もっと詳しく教えて。」
「今の彩美に話しても信じられないと思う。でも、いつか必ず思い出す。」
「どうして、そんな確信しているの?」
「彩美が俺に興味を持ってくれた。それだけで思い出している証拠だ。それに、思い出さなくてもいいと思っている。俺達は、ここではただ愛し合って、一緒にいられるんだ。俺はそれだけで充分だよ。」
純粋に彩美が愛おしいと訴えかける笑み。
「新……。」
彩美は、その笑みに答える事も出来ずに、不安そうな表情のまま。
「彩美は、どうして、この街に?」
「両親が亡くなったの。それで叔母一家が引き取ってくれたの。」
「そうか。大変だったな。」
「新はずっとこの街に?」
「うん。今は行という親友と二人で暮らしている。俺達の両親は、中学二年の時に火事で亡くなった。」
「そう、新も大変だったのね。」
「もう前の事だよ。両親には感謝している。俺達を育ててくれた。」
「そうね。」
彩美は淋しさを隠せない表情のまま、海に視線を移した。
彩美の胸の痛みを感じた新は、無言のまま、彩美の手を握る。
「俺達は、ずっと一緒だよ。彩美が淋しくなったり、哀しくなったり、どんな事が遭っても一緒にいる。だから、そんな顔をしないで。」
「新……。」
「約束するよ。」
真っ直ぐに彩美を見つめる瞳。目を逸らす事さえ出来ずに、息が詰まりそうな鼓動を抱えたまま、新を見つめ返した。
「彩美。」
優しさに溢れた声で呼び、左手で彩美の頬に触れる。ゆっくりした速度で顔を近付けてくる。
そっと瞳を閉じ、彩美もその瞬間を待った。
「新?」
唇が触れたのは一瞬。
でも、今日会ったばかりの人と、唇を合わせた事を思い出し、羞恥に顔が熱くなる。
「誓いのキスだよ。俺は、ずっと彩美の傍にいる。もう離れない。」
真っ赤な顔の彩美に反して、新は嬉しそうに顔全体で笑う。
「子供みたい。」
あまりに無邪気なその笑みに、彩美も笑い出した。
「そろそろ、帰ろう。陽が沈み出した。」
「また、会える?」
彩美が不安そうに立ち上がった新を見上げた。
「必ず会えるよ。明日、会おう。」
「約束だからね。」
「約束だよ。」
新が手を差し出し、それに掴まり立ち上がる。きつくその手を握り締めた。
「必ず守ってね。」
「絶対に守るよ。」
彩美の髪を撫ぜ、微笑む。
「送っていこうか?」
「大丈夫。まだ、明るいから。」
「気を付けて。」
「新も。」
二人とも動けずに、見つめ合う。
「一二の三で、背中を向けよう。」
「うん。」
「一二の三。」
新が背中を向け、彩美はそのままでいた。
「彩美、明日な。」
「うん。またね。」
新の背中を見送り、もう一度、海に視線を向けてから、彩美も歩き出した。
新に明日も会えるようにと、願う。