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最終話です。
アヤミ達が天上球に帰ってきてから、数か月が過ぎた。季節は流れ、夏の香りを運んでくる。日差しが眩しいほど世界を照らし、雲は自由に流れていく。
マザーは、強制結婚の廃止を発表した。一時の動揺はあったものの多くの人々はそれを受け入れた。それでも一部の人は反対運動を重ねている。アヤミ達の所に抗議の電話や中傷の手紙が届けられたりしているが、それでも穏やかな時間を過ごしていた。何よりアヤミのお腹の中で健やかに育っている子供が二人に最高の喜びを届けてくれている。
「ただいま。」
「おかえりなさい。お疲れ様。」
「良い子にしていたか?ツバサ。」
シンは仕事から帰ってくると、アヤミのお腹に触れ、子供に話し掛ける事を日常的に繰り返している。最近、男の子だとわかり、名前も付けていた。
「今日も元気よく動いたのよ。」
「男の子はわんぱくくらいで丁度良い。でも、ママを困らせるのはダメだけどね。」
シンはユキとカズヒトと同じ中央政府情報処理課で仕事をしている。記憶を消去されたカズヒトとの関係も良好で、家を行き来する仲。
「すぐご飯にするね。お風呂は後でいい?」
「うん。」
二人は手料理で食卓を囲む。
「今日、ユキが気になる女性がいるとやっと白状したよ。」
「気になる女性?」
アヤミが興味を隠さない瞳で振り返った。
「第二情報処理課にいる、ユキちゃんと言う、綺麗な黒髪のかわいい女性だよ。」
「ユキちゃん?」
シンにご飯を渡し、アヤミは椅子に座る。
「付き合い出したら、二人でユキと呼び合うのかと笑ったよ。」
「そうね。すごい偶然ね。そのユキちゃんに会ってみたいわ。楽しみ。」
「会うとびっくりすると思うよ。俺も最初にユキちゃんに会った時、声も出なかったよ。」
「どうして、びっくりするの?」
「よく似ているから、だよ。」
「誰と?ユキと?」
「それも嫌だな。」
シンが腕組をして、考え込む。
「本当に気が付いていなかったのか?」
「何を?」
不思議そうにシンを見つめた。
「ここまで鈍感だったのか。」
頭を抱え、心底呆れたように溜息。
「えっ、鈍感って?何が?」
「ユキちゃんは、アヤミと似ているんだよ。」
「私?」
「そうだよ。」
「それのどこが鈍感なの?」
シンが声を出し、笑い出す。呆れたり笑ったり大忙し。
「何がおかしいのよ。」
アヤミが頬を膨らませ、不満そうな声を出すと、シンは目尻に溜まった涙を拭いた。
「ユキが、ずっと胸に秘めていた女性が誰だか、気付いていないのか?」
「いるのは、知っているわよ。でも、誰なのか、教えてくれないじゃない。わかるはずがないでしょう。シンは知っているの?」
「気付いてもいないのか。少しユキに同情するよ。」
「どうして?何が?」
「ユキのずっと好きだった女性は、アヤミ、お前だよ。少しも気付いてもいなかったのか?」
「えっ?」
アヤミの頬が赤く染まる。
「嘘…。だって、ユキはそんな事を一言も言わなかったし、ずっと私達と一緒にいてくれたじゃない。協力してくれたのよ。」
「そうだよ。俺の気持ちを知ってから、ユキは自分の気持ちを胸の奥に仕舞いこもうとしていた。俺達が付き合い出してからは、隠そうと必死だった。そこまでして、俺達と一緒にいる事を選んだ。ユキは、よく出来た男だと思うよ。」
「…知らなかった。」
アヤミが呆然と呟く。
「どうしよう。私、ユキに悪い事をしていたわ。ユキに酷い事を言ったかもしれない。」
「気にしてなんていないよ。ユキは、そんなヤツだよ。」
「私、これから、どうすればいいの?ユキとどんな顔をして、会えばいい?」
「何も変わらなくていい。ユキは、この気持ちに終わりを告げ、新しく始めようとしている。だから、アヤミも気にする必要はないよ。」
「うん。そうだね。もう、ユキちゃんがいるものね。」
「そうそう。」
二人で顔を合わせて、微笑み合う。
「シン。明日、ユキに伝えて。ユキちゃんを誘って、遊びに来るように、って。カズちゃんも誘って、賑やかに騒ぎましょう。」
「そうだな。」
「カズちゃんに、好きな人はいないの?」
「まだいないみたいだよ。今は、カズサちゃんに夢中らしい。当分、ムリかもな。」
「カズサちゃん、可愛いものね。」
「カズヒトにも本当に好きな人と幸せになって欲しいよな。」
「うん。」
シンが立ち上がり、アヤミを抱き締めた。アヤミもそっと瞳を閉じ、シンのぬくもりを感じていた。
「TRRRR、TRRRR。」
アヤミは表情を硬くして、電話を見つめる。日常的に繰り返されるいたずら電話かもしれないと思うと、アヤミの心は痛みを訴えている。
「俺が出るよ。」
「ごめんね。」
シンが腕を伸ばし、電話に出る。
「はい。」
シンの顔が強張っていく。
「わかりました。すぐに伺います。」
重たい空気が流れる。アヤミは息を潜めて、シンを見つめた。
「どうしたの?」
声を出すと空気が震える。
「ユキが亡くなった。」
「ユキが?何かの間違いでしょう?だって、元気だったんでしょう?」
「殺されたらしい。」
「殺された?どうして?」
「よくわからない。銃殺されたとしか、言われなかった。」
「嘘よ。ユキは何も悪い事をしていないわ。ユキが死ぬわけがない。」
両手を組み合わせて、落ち着かせるように、唇に触れる。
「嘘よ。」
アヤミの頬に涙が伝い、床に落ちる。
「きっと、間違いだ。確認するためにも病院に行ってみよう。」
「うん。」
アヤミの手を取り、外に飛び出す。タクシーを捕まえ、乗り込む。
「付属第一病院まで。」
「はい、かしこまりました。」
運転手が前を向いたまま、口元だけ笑みを浮かべた。
「七海さんだろう?知っているよ。有名な人だからね。」
運転手が独り言のように呟いた。シンが睨み付けるように、運転手の背中を見据えるが、敵意を感じさせる空気は変わらない。アヤミが身体を硬くし息を潜めた。
「微風行が亡くなったんだって。」
「どうして知っている?」
「俺の仲間が殺したからさ。大丈夫。何も心配はいらないよ。もうすぐ、お前達も微風行と同じ所に送ってやるよ。」
「シン…。」
アヤミが不安を隠せない表情でシンを見上げる。アヤミの肩を抱き締め、頷いた。
「この車は、三分後に爆発をする。ラクに逝かせてあげるよ。」
「どうして、こんな事をするんだ?」
「俺達の属する団体は、マザー保守会。マザーに異を唱える者を消す。それが俺達の団体の仕事だ。俺達に殺される理由が思い当たるだろう?」
運転手が一人で演説を始める。
「マザーは絶対的な力を持つ。その力に反対しようと思う方が間違っている。マザーは絶対だ。マザーは正しい。」
シンがアヤミの耳元に唇を寄せる。運転手はそれにさえ気付かず、独り演説を続けている。
「アヤミ、飛べるな?」
「うん。」
「じゃあ、ドアを開けるから、飛び出すんだ。大丈夫だな?」
「うん。」
「一、二の三!」
シンが勢いよくドアを開け放ち、アヤミの手を握り締めたまま飛び立つ。翼を羽ばたかせ、空に溶け込むほど高く飛び上がる。
「どうして、こんな目に遭わなくてはいけないの?私達、間違っていたの?」
「間違っていないよ。ただ、一緒にいたいと願っただけなんだ。何も悪い事はしていない。間違っているのは、彼等なんだ。」
地上を見下ろすと真っ黒な煙を吐き出し、車が燃えている。煩い位のサイレンが鳴り響き、二人はぼんやり、それを聞いていた。
病院の前に降り立つと静まり返っている。一人の看護師に案内され、地下の霊安室に連れて行かれ、ノックをすると、すぐ静かな返事が返ってきた。
「シン、アヤミ。」
カズヒトが振り返った。
「本当に?」
「あぁ。」
アヤミの手を引いて、顔に掛けられた白い布を持ち上げる。ユキが、まるで眠ったような安らかな表情をしている。
「ユキ…。」
目を逸らし、シンの胸に顔を埋める。
「嘘よね?嘘だよね?」
「寮の傍で、ユキと別れたんだ。俺が交差点を曲がったら、銃声がした。急いでユキの所に向かったんだ。でも、遅かった…。」
アヤミの泣き声だけが薄暗い部屋に響く。シンは、アヤミを支えるように抱き締め、横目でユキの遺体を見ていた。
「ユキを殺したのは、マザー保守会だ。俺達も殺されかけた。」
「殺されかけた?」
「カズヒトも気をつけるんだ。俺達は狙われている。マザーの意思に反したのが、理由だそうだ。」
「マザーの意思に反した?」
「あぁ、そうか。カズヒトは、忘却処理をしたんだったな。強制結婚廃止の原因は俺達だ。カズヒトとは直接関係ないかもしれない。でも、ユキが殺されたと言う事は、カズヒトも狙われている。」
カズヒトは、シンを見つめた。何となくは、理由がわかっているようだ。
「トントン。」
ノックする音で、振り返る。
「はい。」
シンが静かに返事をすると、ドアが静かに開く。何人かの足音がして、空気が乾く。
「何のつもりだ?」
シンとカズヒトの声が難い。アヤミが顔を上げる。
「悪いが死んでもらう。」
「きゃあぁぁぁ。」
アヤミの叫び声を消すように、銃声が響き渡る。何発も何発も弾が発射され、シンはアヤミを守るように強く抱き締めた。
「シン!シン!」
シンの背中から大量の血が流れ、倒れ込む。アヤミはシンを抱き寄せ、泣きながらシンを呼び続けている。
「アヤミ、逃げるんだ。早く。」
シンがアヤミを見据えて、掠れる声で訴えった。涙で滲んだ視界でシンを真っ直ぐに見つめ続ける。
「でも、シン。」
「ツバサを助けなければいけないだろう。ツバサを守れるのは、アヤミだけだよ。」
乱暴に涙を拭い、真っ直ぐに彼らを睨み付けた。彼らが一歩だけ後退する。神経を集中させ、嵐の様な風を呼んだ。歩き出すと、彼らは慌てたように銃を発射させるが、銃弾は風に踊るように舞い落ち、アヤミまで到達しない。アヤミは、ゆっくり彼らを睨んだまま、歩みを進めた。一人の男がスーツの内ポケットからサバイバルナイフを取り出し、アヤミに向かい、真っ直ぐ走ってくる。アヤミは身重の身体で避けるが、限界はすぐに訪れた。鈍い音がして、アヤミの腹部にナイフの傷が出来る。
「うっ。」
蹲りそうになる自分を支え、男を振り払い、歩き続けた。その男に倣うように他の男もナイフを出し、アヤミに向かってくる。アヤミは避けきれず、それを受け入れるしか出来ない。何本のナイフが身体中に深い傷を作る。風が止み、辺りは静まり返った。
「ツバサ、ごめんね。ツバサ。」
囈語の様に呟き、片足をついた。ナイフが抜かれた傷口から大量の血が溢れ出て、周りが真っ赤に染まる。自分を支える事が出来なくなり、倒れ込んだ。
「アヤミ…。」
シンがやっと自分の身体を動かし、横たえるアヤミを抱き締めた。
「シン…。ごめん。ツバサを、守りきれなかった。ツバサが…。」
お互いが消えそうな声をしている。
「俺こそ、ごめん。アヤミを、ツバサを守るなんて、言っておきながら、守れなかった。」
「私達、もう終わりなの?」
「終わりなんか、じゃない。これからも、ずっと、一緒だ。離れる事は、もう、ない。」
「シン…。」
「ずっと、ずっと、愛して、いるよ。」
シンが呟き、アヤミを抱き締めたまま、意識を失った。
「私も、愛して、いるわ。」
アヤミもシンの腕の中で瞳を閉じた。
男達は、動く事さえ出来なくなった身体に、銃を向け、発射させた。
「手間を取らせやがって。」
「マザーに逆らうヤツ等は、死で罪を認めさせる。それが一番、相応しいのさ。」
「行こう。次の仕事だ。」
「あぁ。」
靴音をさせ、部屋を出て行く。部屋に沈黙と血の臭いだけを残して・・・。