13
桜の蕾が大きくなり、もうすぐ花をつけようと準備を始めていた。梅の花は、もう咲き誇り、人々の目を楽しませていた。
彩美は、嫌がる新を説得して、卒業式を終えた今日、この街を出る事にした。一仁との戦いを回避する方法として、それしか思い浮かばなかった。
彩美が住んでいた街に小さなハイツを見つけ、そこに引越しの準備をしている。新と行は、正社員の仕事を見つけ、彩美も近くのスーパーのレジの仕事を見つけた。確実に新しい環境を整えてきた。
卒業式を終え、早々と校内を出る。
「じゃあ、零時に駅前で。」
「うん。気を付けてね。」
「彩美こそ、見つかるなよ。」
「うん。」
十字路で別れ、彩美は急いで最後の荷物をコンビニに持って行き、新しい住所に送付した。ファッション雑誌を一冊買って、コンビニを出る。
「彩美。」
コンビニから少し歩くと、一仁に会う。学生服のボタンは全てなくなり、シャツが露わになり、少し寒そうに見えた。
「おかえりなさい。今、帰り?」
「そうだよ。」
「全然、ボタンがないじゃない。」
「あっという間に、取られたよ。」
「瑤子さんには?」
「瑤子?どうだろうな?」
「そう。」
「これから、暇だろう?」
「嫌な言い方をするのね。実際、暇だけれど。」
「じゃあ、コーヒーでも奢るよ。」
「うん。」
近くのカフェに入る。席に腰掛けると、一仁が立ち上がる。
「何を飲む?」
「ホットカフェモカ。」
「わかった。」
チーズケーキとコーヒーを持ってくる。
「彩美、チーズケーキが好きだったよな。」
「憶えていてくれたのね。ありがとう。」
二人で向かい合いに座り、温かいコーヒーに口をつけた。
「こんな風に二人でお茶をするなんて、久しぶりだな。」
「そうだね。」
「これから、カラオケでも行かないか?」
「いいよ。かずちゃんの奢り?」
「仕方がないな。奢るよ。」
「わぁい。ありがとう。」
彩美が笑顔を見せると、一仁は眩しそうにそれを見つめた。彩美の胸がちくりと痛む。
「かずちゃん、瑤子さんとはどうなったの?」
「瑤子?別に。」
「瑤子さんとは、このままでいいの?」
「いいも何もないだろう。最初から、瑤子が一方的に恋人面していただけなんだから。」
「そう。」
彩美は小さな溜息を漏らした。
「瑤子さん、とても良い人だと思うわ。」
「何が言いたんだ?」
「本当に瑤子さんと何の関係もないの?」
「どう言う意味だ?はっきり言えよ。」
「間違っていたら、ごめんなさい。私が感じるだけなんだけれど、二人は身体の関係があるように、思うの。違う?」
一仁が目を逸らして、口を閉じる。
「やっぱり。瑤子さんは、しっかりした考えの女性だと思ったの。だから、意味もなく、かずちゃんの彼女面をするようには、思えなかったの。」
「俺を責めているのか?」
「まさか。でも、このままじゃ、瑤子さんが可哀想よ。」
「瑤子は、俺の気持ちがない事をわかっていて、この関係を望んだ。承知の上なんだ。」
「承知の上ね。それしか、選べなかったんじゃないの?」
一仁は何も言わずに、彩美を見ていた。
「別にかずちゃんを責めているわけじゃないわ。瑤子さんにも責任があるもの。でも、もう少し、瑤子さんの事を考えてあげられないの?」
「ムリだ。それに、もう関係は終わっている。」
「そう。」
彩美は一仁から目を逸らして、そっと溜息を漏らした。
「こんな事を彩美は気にしなくてもいい。」
「わかった。かずちゃんが、触れられたくないのなら、もう言わない。じゃあ、カラオケに行きましょう。」
「そうだな。」
トレーを片付け、店を出た。カラオケに行くと学生で溢れかえっている。少しだけ待ち、部屋に案内される。二人で過ごすには大き過ぎる部屋。ソファーの奥に一仁が座り、バッグを間に置いて、彩美は腰掛けた。
「先に入れていい?」
「いいよ。」
彩美は、お気に入りのミュージシャンの新曲を入れた。バラード調の曲を丁寧に歌い上げる。
「彩美、意外とうまいな。」
「意外なんて、失礼ね。」
「褒めているんだよ。」
「そうかしら?」
不機嫌そうな表情をした後、二人で顔を合わせて、笑った。一仁もドラマの挿入歌になっている新曲を歌う。
「かずちゃんが、こんな流行の歌を知っているなんて、意外だったわ。」
「結構、レンタルとかしているんだ。ドラマもチェックしているし、な。」
「そうなんだ。」
「同じ屋根の下にいても知らない事って、多いんだな。ほとんど自分の部屋にいるから、余計だな。」
「そうね。でも、私の知らないかずちゃんの顔を知っているのよ。」
「彩美の知らない俺の顔?」
「クールなかずちゃん。学校では、そのイメージらしいわ。」
「あぁ。いつも一人でいるから、そんなイメージなんだろう。」
「どうして?友達がいないの?」
「いないんじゃなくて、作らないの。彩美や家族以外に情を持ちたくないからさ。それに友達同士で一緒にいるのが面倒だから。」
「楽しいじゃない。くだらない事で笑ったり、ドラマの話をしたり、すごく楽しいわよ。」
「いいんだ。そんな事より、大切な人をもっと大切にしたい。それに、そんなに多くの人を守れるほど、器用じゃないんだ。」
「かずちゃん…。」
「だから、彩美や一紗、両親には優しく出来る。それでいいんだ。」
「そう。」
彩美は、言葉を見出せずに、歌う事で誤魔化した。一仁の心が彩美の心に重く圧し掛かろうとしている。交互に曲を入れ、二時間、熱唱をした。
「そろそろ、帰るか?」
「そうだね。」
一仁の大きな背中に着いていく。
「楽しかったな。」
「うん。」
「また、来ような。」
「うん。」
彩美は俯いて、溜息を漏らした。
「ごめんね。」
一仁の背中に小さな声で呟いた。
「何か、言ったか?」
「ううん。何も。」
無言のまま、歩く。家に着くと、夕食の時間だった。着替えをして、食卓に着く。
「随分、遅くまで遊んでいたのね。」
「二人でカラオケに行ってきたんだ。」
「私も行きたかったな。」
「今度、一緒に行こうな。」
「うん。カラオケもいいけれど、ボーリングがいいな。お姉ちゃん、私、すごくうまいんだよ。お兄ちゃんに教わったの。」
「そっか。」
一紗に向け、笑顔を見せる。
「お姉ちゃんにハンデをあげる。負けないからね。」
「私も負けないわよ。」
「うん。」
「私も行こうかしら?」
「母さんも?」
「私、うまいのよ。昔はお父さんとよく行ったのよ。」
「じゃあ、母さんの奢りだよ。」
「そう言う場合、親に奢ってあげるものじゃないの?」
「俺が稼ぐようになったらな。」
「期待しているわ。」
「私にも奢って。」
一紗が一仁に笑顔を向ける。一仁も笑顔で一紗に答える。
「もちろん、一紗にも奢ってやるよ。あっ、彩美にも、な。」
「あら?私も。ありがとう。」
彩美の笑顔が少しだけ引き攣っているのを感じていたが、どうにも出来ない。
食事を終え自分の部屋に戻ると、彩美は大きな溜息を漏らし、ベッドに腰掛けた。買ってきた雑誌を開く気にもならず、ぼんやり時計に目をやる。未だ八時を指したばかり。机に座り、便箋を開いた。
『かずちゃん、ごめんなさい。私は、この街を出ます。やっぱり、かずちゃんと一緒にはいられない。誰かが争うのをもう見ていたくないの。私の事は忘れてください。かずちゃんなら、もっと素敵な女性と恋愛が出来ると思う。それに、瑤子さんも素敵な女性だと思う。よく考えてみてください。あと、おじさんとおばさん、一紗ちゃんによろしく伝えてください。遠い空の下で、かずちゃんの幸せを祈っています。P.S.遊びに行く約束を守れなくて、ごめんね。可愛い彼女と行ってください。』
便箋を折り畳み、封筒に入れた。糊付けはしないで、机の上に置いた。立ち上がり、小さなボストンバッグに荷物を詰め込む。必要最低限の物だけしか持たない。それ以上の物がなくなれば、不信感を抱かれる。お気に入りの本もCDも大半を置いていく事を決めていた。時計の針が十一時三十分を指そうとする。彩美は、静かに部屋のドアを閉め、忍び足で家を出た。玄関を出ると駆け足で門まで向かう。門の前で振り返り、家を見上げた。
「さようなら。」
小さな声で呟き、歩き出した。夜の街は、静かに眠っているようだ。駅前に近付くと少しだけネオンが明るくしていた。
「彩美。」
駅が見えてくると、新と行が微笑みながら、彩美を迎える。ほっと胸を撫で下ろすような笑顔を見せ、駆け寄った。
「待った?」
「大丈夫だよ。行こうか?」
「うん。」
車に乗り込み、発車する。街が遠くなるのをぼんやり眺めていた。
「今日、かずちゃんとカラオケに行ったの。楽しかったけれど、少し苦しかった。かずちゃんに何度も嘘をついたわ。仕方がないとわかっているけれど、辛かったの。」
新は無言のまま、彩美の手を握り締めた。
「かずちゃんなら、きっと素敵な彼女が出来るわよね?私なんかより、ずっと素敵な女性。だから、大丈夫よね?」
「彩美は間違っていないよ。」
行がミラー越しに微笑む。
「新と行と三人で新しく生活を始める事、間違っていないよね?これでよかったんだよね?」
「俺達が離れる理由はないよ。」
「うん。」
「彩美、疲れた顔をしている。少し眠りなよ。着いたら起こすよ。」
「うん、ありがとう。」
横に座る新が、肩を抱いて、横になるように促す。彩美は素直に従い、新の腿を枕に、横になった。瞳を閉じて、車の揺れを感じていると、知らないうちに眠ってしまう。
「奥山は、これで諦めると思うか?」
彩美が眠った事を確認して、口を開く。
「ムリだと思うな。まぁ、時間稼ぎにはなるだろう。あの奥山だ。何処までも彩美を探そうとするだろう。地球に来てまでも争うようなんだな。」
「仕方がないよ。彩美を失いたくない。ただ、それだけの理由だ。でも、彩美は傷付く。それだけが、嫌だな。」
「彩美は優し過ぎるんだよ。奥山の事なんて、気にしなければ、もっとラクになれるのに、それが出来ない。」
「彩美の良い所だよ。行、お前まで巻き込んで悪かったな。ここでは、お前まで巻き込む理由は何もないのに、さ。」
「巻き込まれたなんて、思っていないよ。俺自身が、一緒に行く事を決めたんだ。天上球にいる時から、俺の家族は、彩美とお前だけだ。だから、一緒にいて、当たり前だろう。」
「ありがとう。」
「新だって、俺と別れるのは辛いだろう。」
「そうだな。」
二人は声を潜めて、笑い合った。
「新、学校での噂を知っているか?」
「噂?」
「俺達、ホモだと言う噂があったんだって、さ。お前が彩美と再会する前まで。」
「何だよ、それ。気色悪いな。」
「俺だって、同じ意見だよ。」
少しだけ笑って、新が真顔に戻る。
「行、ずっと聞きたかったんだけれど、正直に答えて欲しい。」
「何?」
「今も彼女を、愛しているのか?」
新が真剣な表情をする。行は、前を見つめたまま、口元だけ笑みを浮かべた。
「例え、そうでも何も変わらないよ。そうだろう?それでいいんじゃないか?」
「そうか。わかった。」
二人の間に沈黙が流れる。
「それにさ、彼女は何も気付いていない。」
「鈍感だからな。」
「そうだよ。物凄く鈍感だから、さ。」
お互いに含み笑いを漏らす。
「そろそろ、着くよ。彩美を起こしてもいいんじゃないか?」
「あぁ、そうだな。彩美、彩美。」
彩美が目を擦る。
「そろそろ、着くよ。」
「うん。」
瞳を開け、身体を起こす。
「本当だ。もうすぐだね。」
見慣れた景色を眺めて、微笑む。車を駐車場に置き、部屋の前に立つ。
「じゃあ、十時頃、朝食にするわ。それまで少し休みましょう。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
行は、隣の部屋に入る。彩美と新も部屋に入った。
「シャワーを浴びる?」
「いいよ。このまま、眠ろう。」
「うん。」
新は、部屋の真ん中に立ち尽くしている。
「新、どうしたの?寝よう。」
「あのさ、彩美。」
新が真剣な表情で彩美を見つめる。
「どうしたの?」
「結婚しよう。」
「えっ。」
彩美が瞳を見開き、新を見つめた。
「紙切れに拘るわけじゃないけれど、ずっと一緒にいる約束として、さ。それに、ここでは、俺達は結婚出来る。そうだろう?」
新が頬を染め、恥ずかしそうに微笑む。
「うん。そうね。」
彩美が嬉しそうに笑みを浮かべる。
「結婚してくれますか?」
「もちろん、お受けします。」
「よかった。」
彩美の頬に触れ、口付けを交わす。
「じゃあ、明日、もう今日か。市役所に手続きに行こう。」
「うん。」
「じゃあ、眠ろう。」
「うん。」
二人で笑顔のまま、見つめ合った。