第三話 出発
最強でも無敵でもない冒険者が人に優しくない世界で頑張る物語です。
何事も無理やりはよくない。
ノーザンゲートには行きたくないという巫女達の説得を諦め、ログは一人で出発した。
目的地であるノーザンゲートまでは約十二マイル。移動速度の速い単独行動の冒険者なら徒歩でも半日かからずに移動できる。だが、ノーザンゲートの市場は営業時間が日の出から日没までと決まっている。買い物を済まして輸送のための荷馬車と護衛を雇えばノーザンゲートで一泊することになる。護衛付きでも大量の食料を持って夜間に歩き回るのは安全ではない。日が沈むまでは善良な村人が日没後も善良な村人とは限らないのだ。
ログは朝食を求めて四マイル先の隣村を目指す。いかに元冒険者であってもすきっ腹で半日歩くのは辛い。順調に行けば昼過ぎにはノーザンゲートに到着する予定ではあるが、隣村ですぐに食べられる物を売ってもらえればかなり助かる。暖かい食事であれば言うことが無い。できれば神殿の巫女達に何か食料を送ってやりたかったが、隣村には余ってる食料がほとんど無いらしい。隣村だけにログ達の村に親族がいる者が多い。蓄えてある食糧の内で渡せるものは渡してあるか、すでに渡す約束が出来ているそうだ。村人にそう説明されるとログも無理にとは言えない。余計な波風を立てれば誰にとっても嬉しくない状況になる。それに現状では食料を森の小屋まで運ぶ方法がない。平穏無事な時であれば荷車に蕎麦の袋を乗せて運べばいいだけだが、亜人の襲撃の後では護衛が三人は欲しい。そうなると護衛を雇う費用が馬鹿にならない。そのあたりは元冒険者のログも理解しているので食料の調達はさっさと諦めた。首謀者はすでに冥府に旅立ったといっても村人は信用しないだろう。亜人が三匹纏って襲撃すれば一人では防ぎきれない。十分な装備を持った熟練の冒険者でも一対三で亜人と戦えば、少なくとも一匹は背後に回られる。つまり、我が身を守ることさえ出来ないだろう。もちろん弓があれば話は別だ。弓をもった人間には亜人はよほど腹が減っていない限り襲ってこない。だが、帝国による武装規制で弓の所持は狩人などの一部の例外を除いて冒険者を含む一般人には認められていない。
幸いなことにログは隣村の村長であるクライスさん宅で朝食にありつけた。しかもクライスさんの奥さんがわざわざ火を熾して調理してくれた暖かい食事、蕎麦粥にキャベツとレンズ豆スープ、を出してくれた。これからノーザンゲートまでの残り八マイルを歩かねばならない身には非常にありがたい事である。気前良く朝食を振舞った隣村の村長にしてもログがこっそり置いておいた一枚の銀貨は非常にありがたかった。
そんなわけでログの身は少々重くなったが心と歩みは軽い。隣村からノーザンゲートまでの八マイルは人間の勢力圏内であり、亜人の脅威はほぼ無くなる。ノーザンゲートに駐留する帝国軍の行軍訓練で歩く距離が一日十六マイルである。ちょうど隣のクライスさんの村で折り返すのだ。ログが住む村の村長などが帝国軍の偉い人に行軍訓練の延長をお願いしてるが、なかなか実現しない。ログ達の住む村まで行軍すると往復で二十四マイルで一日で行軍するのは不可能ではないものの面倒な距離になる。その日の内に駐屯地に帰れないと当然野営が必要になる。勿論野営技術の維持向上の為に月に一度は三個大隊がログ達の村の先にある村まで行軍して野営する訓練も行ってはいる。だが予算の都合で月四回が限度らしい。
少々横道にそれるがに平時の帝国軍は東西南北各地域に二個軍団を配備し八個軍団で編成される。一個軍団は十二大隊で一個大隊は二個中隊、一個中隊は二個小隊で編成される。一個小隊は小隊長と副官、従兵二名と八人からなる分隊が十二個で百人が通常の構成である。一個軍団は四十八の小隊からなり、四千八百人となるが完全に充足されることは平時でも極めてまれである。ノーザンゲートには第八軍団が駐屯し、北方軍を構成する相方の第7軍団はノーザンゲートの東南、ダーヌ河とレギン河の合流地に駐屯している。
ログはというと道中で知り合った行商人のヴォルケさん一行に同行してノーザンゲートに移動中である。そこそこの冒険者であるログも一人より集団に混じったほうが安全だし、行商人も無料の護衛が増えるようなものだから歓迎してくれた。
「最近のノーザンゲートはどうなっている? ここしばらく顔を出してないんだが」
「ノーザンゲートもそうそう変わりませんよ」
商品を載せた荷車を引っ張っているヴォルケさんは二十代半ばの、愛想のよい行商人である。十二歳ぐらいから親の手伝いを始めて十五歳で一人前のこの世界だが、商売を始めるには商業ギルドの株と元手と信用が必要である。おそらくは親御さんが亡くなって商売を引き継いだのであろう。
「そうだと良いんだがな」
「もちろん何も変わっていないというわけではないですよ。神殿の神官長様も銀竜亭のおかみさんも代替わりしましたし」
「神殿」と神の二つ名を省略して呼ばれる神殿は「大地の女神の神殿」のみで、他の神々の神殿は「太陽神の神殿」とか「月の女神の神殿」と省略されずに呼ばれる。銀竜亭はノーザンゲートにある冒険者向けの宿でログが現役の冒険者だった頃にお世話になっていた。
「銀竜亭の女将さんは亡くなったのか?」
「ええ」
「連絡して欲しかったなあ」
「ここだけの話ですが……」
「俺は話して良い事と悪い事は心得てるつもりだ」
「各所のご老人方があなたが来ると神官長の被ってる猫が落ちるんじゃないかと心配しまして。後、帝国軍の偉い人とかも反対したようです」
「何で帝国軍の偉い人が?」
「傭兵ギルドが神殿に影響力を持ちすぎるのが面白くないんでしょう」
「俺は唯の開拓民だ。今更復帰するはずはないだろう」
「皆がそう思ってるわけではないですし、あなたに現役復帰してもらおうと思ってる方々も少なくないようですよ」
「……やけに詳しいな?」
「その程度は心得ておかないと商売になりません」
「それもそうか」
「いえいえ。お役に立ててなによりです。ところで、ノーザンゲートにどんな御用事があるんですか?」
「いくつか買い物がある」
「それならお役に立てるかもしれません」
「親切な商売人だな」
ログがいささか皮肉な言葉を投げかけてみるが、行商人は動じた風も無い。
「親父もお袋もノーザンゲートの神殿に厄介になってましたから」
大地の女神の神殿の運営する孤児院の最初の後援者がログだった。物好きと人から笑われたが、十数年後には笑うものはいなくなった。神殿の権威と成人した孤児達の人脈はそれほど馬鹿にしたにものではなくなったからである。ログが冒険者として手ほどきした子供達がノーザンゲートの冒険者の主力になりつつある。帝国軍の軍人になった者もいるし、この行商人の両親のように商売を始めた者もいる。孤児ではないが大地の女神の神殿の神官長もログのパーティのメンバーだった。子供達の出世は悪いことでは無かったが、ログは痛くない腹を探られてノーザンゲートを離れて開拓村に移ることになる。
「そうか……。俺も歳をとるはずだ」
行商人は周囲の畑を見回した。
「畑はそろそろ収穫時ですよ、ログさん」
「俺は最小限のリスクで最大限のリターンを狙う主義だ。危ない橋は渡るつもりは無い」
「堅実ですね」
行商人がログの答えを聞いて苦笑する。
「ああ。勝てそうに無いバクチを打って何もかもなくした奴が多すぎる」
「私もその主義は見習う事に致します」
「親父さんもそう言っていただろう」
「それはもう耳にタコができるほど言ってましたよ」
それからしばらく他愛ない話が続き、ノーザンゲートの門が見える。
「どうします? 一緒に入りますか?」
「いや。ここで分かれよう。正直に言うと面倒ごとに巻き込まれてな。迷惑をかける可能性が高い」
「判りました。お気をつけて」
「君もな」
行商人が門を通過するまで待ってからログは門を潜ろうとする列の最後尾につく。門には帝国軍の兵士一分隊分隊長一人に兵士七名が警備に当たっている。
「お前、名前は?どこから ノーザンゲートに何をしに来た?」
若い兵士がぶっきらぼうに訪ねる。商人達は素通りしていたから冒険者などの怪しげな連中は用件を確認しろと言われているのであろう。
「名はログ。フェルゼンさんの村の開拓民だ。穀物を買いに来た」
「すいませんが、あの村から来た方には小隊長が聞きたい事があるのそうなので少々お待ちいただけないでしょうか?」
ログの名前を聞いているのだろう。兵隊達の言葉遣いが丁寧になった。
「嫌だとは言えんのだろう?」
「申し訳ありません」
しばらくすると当番の小隊長が走ってきた。
「お久しぶりです!」
「元気そうでなによりだな」
「……すいませんが、少々お時間をいただけますか?」
「構わんよ。今回の件は俺にも責任があるし」
「たすかります」
小隊長はログがやたらと協力的な事をいぶかりながら、ログはこの手の面倒事は大嫌いだった、駐屯地にある建物の一角に案内する。場所は下級仕官の士官室らしい。小隊長の傍らには従兵がパピルス紙に筆記する準備をしている。
「どうぞ」
「お邪魔する」
小隊長とログは簡素で丈夫そうな軍用椅子に座り、聞き取りを始める。
「何が起こったんです?」
「詳しくは知らん。その時は森にいたからな。村長に聞くところに寄れば亜人が二十匹以上集団で襲ってきたらしい」
「原因に心当たりは?」
小隊長が事務的に質問する。答えが聞けるとは予想していない。
「俺に恨みを持つ知人が不死化してな。本人が言うにはそいつが亜人を先導したようだ」
「で、あの馬鹿は?」
小隊長も大体の事情が判ったらしい。同時にパーティに所属していた事はないが小隊長とあの男は面識が無いわけではない。
「大地の女神の神殿に乗り込んできたから浄化された」
「相変わらず無茶な事をする人だ……」
「俺は特に何もしてないぞ。あいつを浄化したのは精霊さんだしな」
「判りました。聞き取りはこれでお終いですから飲みに行きましょう」
「仕事をサボるな。俺は銀竜亭にいるから仕事が終わってから来い」
「はい」
「それと、頼みたいことがあるんだが?」
「なんでしょう? 帝国を裏切る事できませんが」
小隊長は割と本気で言っているらしい。顔が少々引きつっている。
「オート麦を五百ポンド売って欲しい」
「そのぐらいでしたらそう難しい事じゃありません。補給担当に話を付けておきます。銀竜亭に持っていけばいいですか?」
銀竜亭に行く事は既定事項らしい。
「ああ。じゃ、前払いしておくか。いくらだ?」
「銀貨四十枚です」
ログが袋から財布を取り出し、銀貨を数えようとして面倒になり金貨二枚を渡す。
「確かに受け取りました。仕事が終わり次第、銀竜亭に届けます」
「よろしく頼む。俺は親方の所に用事があるから急ぐ必要は無いぞ」
「判りました」
小隊長はそう言いながら猛烈な勢いで走り出す。
「苦労するな」
「いつもは立派な方なんですよ。兵隊達の苦労も判ってますし」
どうやら小隊長の信頼は厚いらしい。
「頑張ってくれ」
「はい。じゃ、外にご案内します」
従兵は街と駐屯地を区切る柵まで案内する。
「クラフト親方は元気か?」
「あの人は殺しても死なないといわれてましたが、最近はあまり調子が良くないみたいですね」
クラフト親方はノーザンゲート一の鍛冶屋の主で、このあたりで数少ないログよりも年長の人物である。歳はそろそろ五十を超える。若い頃の頑健さはさすがに衰えてきているらしい。
「あの親方がねえ?」
「跡継ぎの息子もいい腕してますから問題はないでしょう。ではお気をつけて、いろいろと」
「そうだな。お気遣いに感謝する」
ログは駐屯地の門をくぐって市街地に出る。親方の工房は駐屯地の門の側の一等地にある。駐屯地の管理者の配慮で一等地を譲ってもらえたのだ。兵隊は歩くのが仕事はいえ、歩くのは少ないほうがいい。
「親方、いるか?」
親方の工房は相変わらず工具や原料などの雑多な品々で満ち溢れていた。工具などを下手に動かすと親方の雷が落ちるので、整理の仕様が無いのだ。
「ああ」
ログの記憶よりだいぶ老け込んだ親方が愛想の無い返事をする。老け込んだといってもがっちりとした体格は以前とそう変わってはいない。
「砥いでくれ」
ログが短剣を渡す。万が一を考えて斧と同時に渡すことは無い。
「久しぶりだな」
「ああ。元気そうでなによりだ」
「……もう少し丁寧に使え」
短剣の刃を見て親方がログに文句を言う。それからおもむろに短剣を研ぐ準備を始める。
「すまん」
「まあいい。斧も研ぐんじゃろ?」
「ああ。それと短剣が一本欲しい。持ち帰れる奴はあるか?」
「お前が使うのか?」
「いや。ガキの土産だ」
「いくつのガキだ?」
「十二かな」
「見繕っておく。俺の短剣を貸してやるから斧もよこせ」
親方が棚に置いてあった短剣をログに渡し、斧を受け取る。ログが試しに鞘から抜いてみるが、良く研がれた業物である。
「すまんな」
「くれてやるわけじゃない。短剣と斧は銀竜亭に届ければいいな?」
「ああ」
「先に行っとけ。わしも仕上がったら行く」
「で、いくら払えばいい?」
「砥ぎ代は銀貨二枚。短剣は数打ちなら銀貨二枚。中が銀貨五枚。上は金貨一枚だ」
「じゃ、中でいいか。ここに銀貨七枚置いとくよ」
短剣が置いてあった棚に銀貨を置くとログは店から出て足取りも軽く銀竜亭に向かう。
この時、ログは「巫女さん達も来れば良かったのに」と暢気な事を考えていた。