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第一話 発端

最強でも無敵でもない冒険者が人に優しくない世界でいろいろと頑張る物語です。

 冒険者の朝は否応無く早い。夜明けの光と空腹によって一日が始まる。

 彼は藁布団から立ち上がり灰色のチュニカ、このあたりでは一般的な衣服である半袖で膝まである貫頭衣、を着て帯を締めると火を熾して朝食の準備を始める。今日の朝食は夕食の残りの蕎麦のお粥、キャベツの酢漬け、アンズである。残念な事に西方北部辺境の地は寒冷で、確実に収穫を得ようと思うなら蕎麦かライ麦をつくるしかない。農業技術が未発達なせいか蕎麦とライ麦では収穫量にそれほどの差は無いのだが、ライ麦は麦角病が怖いのであまり栽培されていない。

 彼は三十代半ばの、平均寿命が四十歳に満たないこの世界では年老いた、元冒険者である。南方から流れてきたのであろう、北部辺境ではめずらしい黒い髪と茶色の目を持つ。特に優秀というわけではないが慎重さと逃げ足の速さには定評がある。その慎重さで三十代半ばまで生存できたと言っても過言ではない。現在は一線からはほぼ引退し、帝国北部辺境の開拓村で開拓者兼冒険者として暮らしていた。

 彼は簡素な食事で腹を満たすと仕事の道具を点検する。そろそろ本職の鍛冶屋に砥いでもらおうと思っている短剣と片手斧とナイフ、革の胸当て、旅人の杖と呼ばれる人の背丈より長い棒、丈夫な布袋、麻縄、松明、革の水筒、火打石と焚付。もろもろの装備に異常がない事を確認すると、彼は斧と諸々の商売道具を布袋につめる。帝国の支配は文明の恩恵を辺境の地に与えたが、その代償の一部として個人の武装の自由を制限した。つまり、騎士様か兵隊さんでなければ槍やら鉄の鎧などの武装を整えるのは不可能になった。平均的な冒険者には槍や長剣や鎧などの金のかかる装備は縁のないものではあったが、帝国の武装制限令には少なからぬ不満が存在する。

 彼は帯に斧と短剣を挿しサンダルを履き、旅人の杖と袋を持って小屋を出る。村共有の井戸で村人に挨拶し、水筒に水をつめる。行き先は森の中にある大地の女神の神殿である。神殿といっても簡素な建物が一つあるだけで、大神殿に公認された神殿ではない。

 建物の前では十二歳前後の子供が二人、彼の到着を待っていた。子供達は北方の生まれらしく、淡い色の髪と青い目をしている。着ている物は継接ぎの多い古そう半袖膝までのチュニカである。

「おじさん、遅い!」

「お前らが早いんだよ」

 彼は袋からアンズを取り出して子供達に放り投げた。朝食を食べていないのか、二人はアンズにかぶりつく。

「ありがと! 今日はどこに行くの?」

「森だ」

「また森に?」

「森にも面倒な連中はいくらでもいる」

「うん」

 簡単に森と呼ばれているが北方大樹海は西方北部最大の森林で、森の奥には森妖精の城砦や亜人の集落に放棄された都市や先史文明の遺跡が存在する。そして、森の王と呼ばれる竜の伝説も伝えられている。彼は子供達に今日の目的は森で木の実などの食料を取る事だと教えているが、本当の目的は先史文明の遺物や帝国最盛期の遺産を拾う事である。うまくいけば金貨で数百枚を超える収入になる。辺境の村であれば一生遊んで暮らすことも夢ではない。

 彼は右手に旅人の杖を持ち、ゆっくりと歩く。子供達は彼の後ろでそれぞれ即席の棒を持って少々不安そうな顔で彼の後をついていく。子供達はまだ十二歳ぐらいだが、もう十二歳ぐらいでもある。再来年には大人と認められる歳なのだ。両親が健在であれば、この子達も家業の手伝いで忙しい頃だろう。彼も冒険者という半端者の仕事を教えるのは後ろめたいが、冒険者の彼には他に教えることはほとんどない。

 彼らは食べられる草や木の実を探しながら森の奥に進んでいく。森の入り口からしばらくは薪や食料を得るために村人が作った道が続いている。亜人と呼ばれる敵対的な人型異種族もめったなことでは森の奥にある集落からこの道まで近寄らない。だが一マイルも歩けば村人の作った道は終わり、暗い森がここから先は人の子の領域ではないと明確に断言している。

 彼らは暗く細い獣道を慎重に歩きながら森の奥へ進んでいく。道が獣道に変わってからは、食べ物になる木の実や香草も次第に増えてくる。今の時期であればアンズやキイチゴなど、北方の森は豊かではないが少なくない恩恵を森と近隣の住民達に与えている。

「亜人はいないようだが、全部取るなよ」

 彼は自生したアンズの木の前で子供達に言い聞かせた。食べられる果実が残っているということはこのあたりに亜人はいないという事だ。

「うん」

 素直に答えたものの、子供達はアンズの実を全部持ち帰りたいらしい。食べ盛りの子供達に食欲を我慢は難しい。この子達よりさらに幼い子供も神殿に保護されている。チビ達へのお土産も多い方がいい。

「また腹を減らした亜人達が襲ってきてもいいのか?」

「良くない」

 子供たちは恐怖を顔に出しながら否定する。腹が減るのは嫌だが、腹を減らした亜人達がまた襲ってくるのはもっと嫌なのだ。亜人の群れが村を襲えば戦って死ぬ者や食料を奪われて飢えて死ぬ者がでる。平和に暮らしたければ森の恵みを皆で共有するしかない。

「開墾も進んでるし、そのうちにみんな腹一杯食えるようになるさ」

 彼は偽りの希望を子供達に与える。彼の言葉は全て嘘だ。亜人族は早熟で多産な種族であり、戦って個体数を減らさねば数が増えすぎて人や森妖精達を巻き添えに滅びてしまうだろう。つまり、どれだけ人が譲歩しても人と亜人の戦いはどちらかが滅びるまで終わることはない。

 神殿の開墾地にしても横取りを企んでいない村人の方が少数である。弱いものは食われる定めの世の中で、彼は僅かな力で抵抗してきた。後十年もしないうちに彼もこの世を去るだろう。その時までに少しは世界を変えたかった。

「畑は大丈夫なの?」

「心配ない。いざとなれば昔の仲間を呼んで返り討ちだ」

 帝国は辺境の治安維持にそれほど熱心ではない。駐屯する軍を維持するための税さえ取れれば十分という方針で統治している。犯罪者の処罰は被害者の権利ではあったが、その権利が行使されることはほとんど無い。

「おじさんがいなくなった後は?」

「お前らが頑張れ」

 彼は不安そうな子供達に他人事のように笑いながら答えた。神殿の巫女と保護された子供達に出来るだけの事はするつもりであったが、彼に残された時間と出来ることはそう多くはない。森を開墾して畑を作る。村人に神殿の所有を認めさせる、この子達に畑を守るための武器を準備する。後は森の所々に植えた栗の木がどれだけ実を実らせるだけ育つか、ぐらいだろうか。

「僕らも頑張るけど、おじさんも長生きしてよ」

「もちろんだ。そう簡単にはくたばらんぞ。とっとと死ねといわれるぐらいまで長生きするつもりだからな」

 他愛もない会話を続けながら彼は違和感を感じる。森の獣道に一マイルも入り込めば、姿を見ることはまれにしても亜人の気配を全く感じない事はめずらしい。

「今日は早めに帰るか?」

「やだ。もっとたくさん採る」

「今日はほとんど採れてないよ」

 子供達は彼の意見に反対のようで梃子でも動かないぞと地面に座り込んだ。

 彼もこの場にいる危険だと確信があって帰ろうとしたわけではない。子供達を森の中に放置して村に帰るわけにもいかない。

「今日はやけに静かなのが気になる」

「亜人がいないのはいいことだよ」

 なぜ亜人がいないのかが問題なのだが、彼は子供達に不安を感じさせないために口には出さなかった。

「仕方が無い。先に進むぞ!」

「うん!」

 子供達が立ち上がって森の奥のほうへ走り出す。

「ガキは元気だなあ」

 彼は我が身を振り返りながら呟く。二十年以上も昔の事だが、彼も元気なガキだった。

時はいつの間にか矢よりも早く流れ人生の半分以上が過ぎた。恥も悔いも多い人生だったが、まだまだやり残した事は多い。彼は過去を振り返るのを止めて森の奥に歩き出す。

「順調みたいだな」

「何が?」

「森に植えておいた栗の木だ。うまくいけば今年の秋には収穫できそうだな」

「うまくいけばいいね」

「そうだな」

 子供達は早くも実りの秋を想像しているらしい。栗は保存が難しいので食糧事情が劇的に改善することは無いだろう。だが栗を食べれば他の食物を保存できる。今年の冬に飢えることは確実に減るだろう。飢えが減れば病も減る。今年の冬は「家族」が減ることなく無事に過ごせるかもしれない。

 彼らは木の実や香草などを集め、陽が西に傾く前に村に帰ることにした。都市はともかく辺境の村では陽が沈めば一日が終わる。それまでには夕食の支度などいろいろやる事がある。

「今日の晩御飯はなんだろ?」

「いつも通り蕎麦のお粥にキャベツの酢漬けろうな」

「明日の朝はアンズの実だね」

 とりあえずは飢えを心配する必要はない。彼らは夕食を楽しみに家路を急ぐ。

 森の中の小屋は静かだった。いつもならば遊んでいる子供達の姿も無ければ、夕食のための炊事の煙もない。彼らはいぶかしげに顔を見合わせると、小屋に入ろうとする。小屋の中では巫女が座り込んで泣いていた。巫女は二十歳前後、半袖膝までのチュニカを着て亜麻色の髪を腰の辺りまで伸ばした女性である。

「何が起こった?」

 巫女は何も答えない。

「亜人が襲ってきたんだ!」

「連中が襲ってきたならまだその辺に何匹かいるはずだ」

 子供達に聞かせる話ではないが、亜人達が襲ってきたのであれば今はお楽しみの最中のはずだ。だが巫女に乱暴された様子も見て判るような怪我もない。

 彼は巫女から情報を聞き出すのは後回しにして、小屋の中を見回した。チビ達が隠れている気配はない。小屋の隅に置かれていた蕎麦の壷も綺麗さっぱりなくなっている。

 非公認の神殿ではあるが村人との交流は少なからずある。神殿に亜人の襲撃があれば村人が放置する可能性は低い。だが、村人が神殿を放置せざるえないほど大規模な襲撃も考えにくい。亜人は十人を超えるような大きな群れをつくって、人の村を襲撃する事は非常にまれな事である。族長と呼ばれる変異体が生まれなければ起きることはないと言ってもいい。そしてここ数年はこのあたりで族長が生まれたという話は聞いたことがない。

「チビ達がいない」

「助けに行こう」

「無理だ。諦めろ」

 子供達は勇敢だったが、彼は即座に反対する。

「おじさんが止めても僕らだけで行く!」

「死にたいのならば死ね。俺を巻き込むな」

 彼は賛成してくれると思ったのだろう。子供達は信じられない物を見る目で彼を見る。

「相変わらずですね、おじさん」

 彼らは声のほうに振り向く。いつ現れたのか、小屋の傍に長袖足元までの長いチュニカに黒い外套を着てフードを目深にかぶった男が立っている。

「久しぶりだな」

「あなたもお元気そうでなによりです」

「この有様はお前の仕業か?」

「相変わらず察しのいい方ですね」

「お前には恨まれても仕方がないと思っている」

「姉達が馬鹿だったんです。あなたは必死で止めてくれたのに」

「だからといって恨んでないわけではないということか」

「人は感情の生き物ですから」

 八つ当たりであることは自覚しているのであろう。男の言葉には罪悪感がある。

「仕方がない事だ。俺も身に覚えがある」

「あなたは私を恨んでいないのですか?」

「正直に言えば、この村はいずれこうなった。亜人は早熟で多産な種族だ。誰かと戦わねば数が増えすぎて滅びてしまう」

「それでは何もかもあなたの思った通りと言うわけですか?」

「そんな事はない。これほど大規模な襲撃があるのは当分先で、こちらも十分に対応するだけの準備が出来ているはずだった」

「それを聞いて安心しました」

「そうか。そろそろお別れだな。さすがにこの状況では残念には思わないが」

「いえいえ。まだしばらくは私の復讐に付き合っていただきますよ。あなたに私を滅ぼすだけの力はありませんし」

 そう言って男は愉快そうに笑う。

「俺はお前を咎める気はないが、大地の女神はそうではないらしい」

 目には見えないが上位精霊が集まってくる。その気配を察知したのか、男は両の手を合わして抵抗を試みる。その手には皮膚や肉はない。死霊王と契約して不死者となり、人の子では持ちえぬ力を得たのであろう。

「無駄な事だ。先に地獄で待ってろ」

「非常に残念ですがそうするしかないようです。いろいろと御迷惑をかけて申し訳ありませんでした」

 大地の女神の意思によって集まった上位精霊達が男の持つ負の魔力を急速に無効化していく。この世界に存在する数少ない魔法の一つ、退魔の法である。

「安心しろ。お前は俺を感情で恨んだが、理性では恨んでいなかった。俺は両方とも事実だという事は判っている」

「それはどうもありがとうございま……す」

 そう言い残し、男は糸の切れた人形のように倒れ伏す。死霊王という人形遣いに操られていた人形が魔力と言う糸を断ち切られたわけでもある。彼は過去の経験から死霊王の人格についてそれなりの知識を得ている。後々面倒な事にならないといいがと思っているが、さすがそれを口に出すことはない。

 子供達は黙って彼を見る。

「こいつは昔の仲間でな。姉を止められなかった俺を恨んでいた」

「僕らはどうすればいいの?」

 子供達はさまざまな想いのこもった言葉で問いかける。

「俺を恨むなとは言わん。だが協力しろ。お前達が生き残るためにな」

「おじさんは悪くない。あの時、帰っていればここまでひどいことにはならなかった」

「そういうのは後だ。お前達は巫女さんを介抱して何が残ってるか調べておけ。俺はとりあえずこいつを埋めておく」」

「判った。今日採った分は食べていい?」

「巫女さんと三人で分けろよ。俺の分はいいから」

「うん」

 彼は小屋から木製の鍬を持ち出すと男の隣に穴を掘り始める。

「そこに埋めるの?」

「適当な所に埋めると復活しかねんからな」

「ここなら大丈夫なの?」

「しばらくは精霊さんが見張っててくれるだろう」

 子供達は男をその場に埋めることは反対だが、そう言われると反論のしようがない。

 彼は黙々と穴を掘りながら考える。彼自身が村の様子を見に行くべきか。やはり単独行動は避け、全員で移動するべきか。

 陽は西の空に沈み、夜が空を覆い尽くそうとしていた。

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